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(試製)【五式軽戦車 ケホ】
【Type 5 Light Tank “Keho”】(prototype)

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全 長 4.38m
全 幅 2.24m
全 高 2.23m
自 重 9.0t
最高速度 50km/h
走行距離
乗 員 4人
携行燃料 163ℓ
火 砲 試製四十七粍(短)戦車砲 1門
九七式車載重機関銃(7.7mm) 1門
エンジン 統制型一〇〇式発動機
空冷直列4ストローク6気筒ディーゼル(過給器付き?)
最大出力 150馬力

各 所 装 甲

砲塔 前面 20mm
砲塔 側面 19mm
砲塔 後面 16mm
砲塔 上面  
車体 前面 20mm
車体 側面 16mm
車体 後面 12mm
車体 上面 12mm
車体 底面 8mm
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対軽戦車戦で真価を発揮するはずだった、陸軍最後の軽戦車

【九五式軽戦車】以降の軽戦車開発では、いろいろな事情によって開発されたのに量産されなかった【九八式軽戦車 ケニ】【二式軽戦車 ケト】、そして【九五式軽戦車】の砲撃力だけででもちゃちゃっとアップさせようとした【試製三式軽戦車 ケリ】【三式軽戦車 ケル】、そのいずれもついに陸軍の戦力として寄与されることがありませんでした。
そんな軽戦車の歴史の最後を飾るのが、この【試製五式軽戦車 ケホ】です。

ですが、実は開発時期としては【ケト】のあとでして、昭和17年/1942年から日野重工業で開発が始まっています。
この【ケホ】を開発している時点で、すでに【九八式軽戦車】【ケト】の量産は無くなったと言えるかもしれません。
まぁ理想的な量産が実現できればの話ですけど。

【ケリ、ケル】がともに【九五式軽戦車】の派生型でありますが、【ケホ】はこれまでの中戦車、軽戦車の性能をミックスしたような設計となりました。
まず装甲は前面装甲が砲塔、車輌ともに20mm、側面装甲も16mmと順調に厚くなっています。
ですがこれでも足りないというのもまた事実で、相変わらず【M3軽戦車 スチュアート】には抜かれます。
別にもっと厚くできるといえばできるのですが、そうなると軽戦車の枠内に収まらないため、結局軽快さ重視という設計目的からこの装甲で忍ばれました。

戦車砲には【一式中戦車 チヘ】に搭載された一式四十七粍戦車砲Ⅱ型を改良した、試製四十七粍(短)戦車砲が搭載される予定でした。
この短というのは短砲身の意味で、つまり従来の一式四十七粍戦車砲よりも初速や貫通力が落ちてしまいます。
ですがこれが大きすぎると車体バランスと合わず、またその車体強度に対して砲撃時の反動が制御しきれないため、この措置はやむを得ませんでした。
それでもこの試製四十七粍(短)戦車砲によって【スチュアート】のM3 33mm戦車砲よりも高い貫通力を獲得することができ、ようやく【スチュアート】に戦いを挑める軽戦車が登場したと言えるでしょう。
副砲となる機関銃ですが、これは設置個所に諸説あり、車体にあった、砲塔にあった、両方にあった(双連式)といろいろ情報が飛び交っています。

この攻守の改良によって、とにかく中戦車に近い能力を軽戦車として発揮させたいという願いはある程度実現します。
そして今度は軽戦車としての能力をより高める方法ですが、これには従来のディーゼルエンジンの能力をブーストさせる方法で最大速度を押し上げる方法を取りました。

搭載していた可能性が高い統制型一〇〇式空冷直列4ストローク6気筒ディーゼルエンジンは、【ケト】など戦中開発の戦車に多く採用されたエンジンです。
ですがこれの最大馬力は130馬力で、重量も増えた【ケホ】だと【ケト】の40km/hを発揮するのは不可能です。
そこで追加されたのが、過給器を搭載してより酸素濃度の高い空気を取り込んで燃焼効率を高めるという方式です。
これでエンジンは150馬力となり、最大速度は50km/hにまで達しました。
装甲は別として、この砲撃力を持ち、かつこの速度、軽快性を発揮できるというのは世界的にもなかなかの軽戦車と言えます。

全長は4.38m、全幅は2.235mと重量同様に大きくなり、さすがにこれまでの履帯幅では接地圧が高くなって、特にぬかるみだとはまって抜け出せなく危険性が高くなりますから、300mmの履帯へ更新されました。
足回りでは、他にも懸架装置が【九八式軽戦車】の時に内蔵されていたものが外に出ています。
これも理由は不明ですが、【ケト】同様車内容量や製作工程削減のためでしょうか。

と、【九八式軽戦車】【ケト】に比べて格段に性能が上がり、撃たれ弱いけど【スチュアート】とまともに戦える初めての軽戦車として、【ケホ】は無事に試作車が早々に完成しませんでした。
誕生したのは昭和20年/1945年です。
遅すぎますね。

【ケト】の時もそうでしたが、とにかく日本の戦時開発は車輌と兵器がそろって上手くいくことがほとんどありません。
【ケト】の一式三十七粍戦車砲が車輌完成に対して1年半ほど遅れているのと同様、【ケホ】の試製四十七粍(短)戦車砲もまた、昭和18年/1943年末には完成する予定だったものが昭和20年/1945年3月までずれ込みました。
そして戦車への資材供給の優先度も低かったことから、もはや対戦車戦を前提としている以上、軽戦車より中戦車という考え方から軽戦車生産も停滞し放題でした。
ということで車輌も同年にようやく試作車が完成。
後の祭りどころか、祭りがあったことすら忘れられてるぐらい遅いです。

実際の車両の性能は、カタログスペックも運用の評価も上々だったらしく、戦闘に参加していたらそれなりに戦場をかき乱すことはできたと思います。
ですが【ケホ】の資料は戦後に多くが焼却されており、実際の性能は上記と異なる点も多い可能性もあります。

戦車/装甲車
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