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大井【球磨型軽巡洋艦 四番艦】
【Kuma-class light cruiser forth】

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①大正10年/1921年竣工時
②昭和16年/1941年(重雷装改装完了後)

起工日 大正8年/1919年11月24日
進水日 大正9年/1920年7月15日
竣工日 大正10年/1921年10月3日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年7月19日
南シナ海海上
建 造 川崎造船所
排水量 ① 常備排水量5,500t
② 公試排水量6,900t
全 長 ① 162.15m
水線下幅 ① 14.17m
最大速度 ① 36.0ノット
② 33.6ノット
航続距離 ① 14ノット:5,000海里
馬 力 ① 90,000馬力

装 備 一 覧

大正10年/1921年(竣工時)
主 砲 50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃 40口径7.6cm単装高角砲 2基2門
魚 雷 53.3cm連装魚雷発射管 4基8門
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 混焼2基、重油10基
技本式ギアード・タービン 4基4軸
その他 水上機 1機(デリック)
昭和16年/1941年(重雷装改装時)
主 砲 50口径14cm単装砲 4基4門
備砲・機銃 25mm連装機銃 2基4挺
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 10基40門
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 混焼2基、重油10基
技本式ギアード・タービン 4基4軸
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最も目立つはずが、全く目立たない輸送任務へ

【北上】と同じく、【大井】も軽巡から『重雷装艦』へ改装されています。
【大井】「球磨型」の中で唯一技本(海軍技術本部の略)と川崎が共同開発した、ブラウン・カーチス式タービンを採用しました。
しかしこれが大失敗。
川崎はこの一件で技本を全くあてにしなくなります。

このような竣工当初からの不具合に悩まされた【大井】は、艦隊に所属されるのではなく「練習艦」として時を過ごします。
海軍兵学校の最上級生たちはこの【大井】の中で本格的な船の乗り方を学び、そして練習艦隊での訓練を経て、晴れて配属の名を受けることになります。
これまで机上の勉強ばかりだった者たちが初めて船に乗ると、多くの生徒が挫折を味わうようでした。
机上と実艦は違う、いわんや実戦をや。
【大井】に乗り込んで、改めて兜の緒を締めた生徒たちがやがて戦場へ向かいます。

練習艦としての在籍は昭和3年/1928年から昭和12年/1937年までの10年間。
生徒たちの年齢は16~20歳が大半でしたので、【大井】で力をつけた生徒たちが太平洋戦争で指揮を執る人も多数存在したでしょう。

また、【大井】は小規模ながら【長門】と衝突事故を起こしています。
「第二次上海事変」の際、【長門】に乗員している将兵が軽巡や駆逐艦に移乗している時のことでした。
舷窓からいきなり顔を出したのは【大井】の艦首。
操舵を誤って接近しすぎた【大井】はそのまま【長門】にぶつかってしまいました。
幸い接舷寸前で速度は遅く、被害も微々たるものでした。

その「第二次上海事変」に参加した【大井】ですが、昭和12年/1937年末から昭和14年/1939年末ごろまでは再び練習艦任務に戻っており、戦いがないときはとにかく育成に力を注ぐ存在でした。

さて、昭和16年/1941年8月に『重雷装艦』に改装されたあとの顛末は【北上】と同じで、昭和17年/1942年に「高速輸送艦」へ再改装されています(【大発動艇】を4艇、半年後さらに4艇搭載も同じ)。
その後、トラックやニューギニア、インド洋海域で輸送任務をおよそ2年ほど務めます。

昭和19年/1944年7月18日、【大井】【敷波】とともにマニラからシンガポールへと出発します。
しかしこの時【敷波】の機関に不具合があり、出撃は遅延し、更に速度も安定しません。
加えて天候は台風により大荒れで、両艦は潜水艦の襲撃を恐れていました。
潜水艦からすれば視認距離が急激に少なくなる悪天候はもってこいです。
潜望鏡も雷跡も見つかりにくいですし、自分は多少潜れば航行に問題もありません。
この2隻に狙いを定めていたのは、【米ガトー級潜水艦 フラッシャー】でした。

【大井】【フラッシャー】から放たれた魚雷4本のうち2本の直撃を受けてしまいます。
うち1本は不発でしたが、なにせ老齢で元は軽巡の【大井】です、1発でも被害は甚大で、特に直撃したのが機関室だったのは致命的でした。
防水処置が急がれましたが、この悪天候ですから船体はギシギシと悲鳴を上げます。

【敷波】が爆雷投下で【フラッシャー】を牽制する中、果敢にも【フラッシャー】はさらに魚雷攻撃を強行。
これは外れはしたものの、【フラッシャー】に「巡洋艦1隻 撃沈」という戦果がもたらされるのは時間の問題でした。

重症を負って止まっている【大井】を強風と波浪が容赦なく襲います。
このままだと沈没は免れないため、【敷波】が曳航を試みますが、ついに魚雷直撃箇所である艦後部が断裂して沈んでいきました。
そしてその半身を追うように、【大井】の姿は波の中へと消えていったのです。

本当なら戦場での切り込み隊長として大いにその辣腕を振るうはずだったのに、結局まともな戦闘には1度も参加することがありませんでした。

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