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ポートダーウィン空襲/オーストラリア空襲

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ポートダーウィン空襲 オーストラリア空襲

戦闘参加戦力

大日本帝国 連合国
第一航空戦隊(司令官:南雲忠一中将) オーストラリア軍基地
 航空母艦【赤城】  
 航空母艦【加賀】  
第二航空戦隊(司令官:山口多聞少将)  
 航空母艦【蒼龍】  
 航空母艦【飛龍】  
第八戦隊  
 重巡洋艦【利根】  
 重巡洋艦【筑摩】  
第一水雷戦隊 旗艦:軽巡洋艦【阿武隈】  
 第十七駆逐隊  
  駆逐艦【谷風】  
  駆逐艦【浦風】  
  駆逐艦【浜風】  
  駆逐艦【磯風】  
 第十八駆逐隊 第一小隊  
  駆逐艦【霞】  
  駆逐艦【霰】  
 第二十七駆逐隊 第二小隊  
  駆逐艦【時雨】  
  駆逐艦【白露】  
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戦果上々も、侮りがたし連合軍 早期復旧で立て直し

(ポートダーウィンはじめオーストラリアへの空襲は何度も行われているが、本項では最初かつ最大のポートダーウィン空襲を取り上げる。)

太平洋戦争の開戦から2ヵ月が経過し、日本は順調に南方諸島を占領していった。
特に南洋部隊である第四艦隊の司令長官だった井上成美中将が早期占領を訴えていたラバウルの攻略が完了したのは、日本にとって僥倖だった。
ラバウルとトラック島は地図を見ればわかるが、南北にまっすぐ線を引ける位置にあり、つまり航空戦力による防波堤の役割をこの2つの基地で担おうという狙いであった。
しかしそれを脅かすのが同じくニューブリテン島にあるポート・モレスビーとオーストラリアにあるポート・ダーウィンであった。
どちらもラバウルを拠点とする上では大きな障害になることは確実で、日本は急ぎこの2拠点の機能を停止させる必要に迫られた。

この重要な作戦に八面六臂の活躍を見せていた第一航空艦隊の機動部隊が動き出す。
今回は港湾施設への攻撃のため、真珠湾攻撃の際に猛特訓を積んだ【九七式艦上攻撃機】も魚雷は積まず、爆撃による徹底破壊となった。
【九九式艦上爆撃機、零式艦上戦闘機】と、陸上より【九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機】、合わせて242機という大空襲部隊が2回に分けてポート・ダーウィンに攻め込む大規模な計画である。
2月19日8時45分までに、オーストラリア北西にあるティモール海まで出撃した【赤城・加賀・蒼龍・飛龍】から、あの日を彷彿とさせる第一波188機が発艦した。

飛行中に偵察のために現れた【PBY カタリナ】は通信する間もなく撃墜されてしまう。
ポート・ダーウィンにほど近いバザースト島の監視員も上空を無数の航空機が飛行していったことを
9時37分に王立オーストラリア空軍司令部に伝えたが、ちょうど悪天候のためにジャワ島への飛行を中止して引き返している【P-40】10機であると局員が勝手に結論付けてしまい、結局2度の対空戦闘準備のチャンスは失われた。

9時58分、10機どころか188機という夥しい航空機がポート・ダーウィン上空を埋め尽くした。
ここでようやくポート・ダーウィンには空襲警報が発令されたが、もはや手遅れでしかない。
日本の一方的な猛攻が始まった。

港湾に停泊中の【米クレムソン級駆逐艦 ピアリー】をはじめ、商船や輸送船など9隻を爆撃によって撃沈し、また他10隻に大破などの致命的な被害を与えた。
迎撃に来た【P-40】【零戦】の敵ではなく、次々と撃墜されてポート・ダーウィンは【九九式艦爆、九七式艦攻】の独壇場となった。
石油タンクやタンカーから次々と大爆発が起こり、市街地内にあった兵舎や石油貯蔵庫も見逃さずに爆撃や機銃掃射で破壊した。
唐突な襲撃に慌てふためき逃げ出す民間人の中には、彼らを守るべきオーストラリア軍人も含まれており、日本の攻撃に対して反撃をしたり、戦死した兵士の多くは米軍・英軍だった。

約30分という短い攻撃でポート・ダーウィンは火の海となり、多くの施設が使い物にならなくなった。
一方で日本側の被害は撃墜5機、被弾34機と極めて小規模で、十分な戦果を挙げることができた。
だが攻撃からの帰投中に貨物船2隻がこの攻撃を逃れているのを発見したため、艦載機による第二次攻撃も必要と判断された。

この艦載機の第二次攻撃とは別に、離陸の時を待っている存在がある。
ティモール島のクーパンで待機し、第二波空襲を任されていた【九六式陸攻、一式陸攻】である。

第一波がオーストラリアを去ってから2時間近く経った12時前、再び空襲警報が耳に飛び込んできた。
5,500mの高さで飛来した陸攻は、北東と南西の二方向からポート・ダーウィンを挟み込み、再び爆弾を基地上空から投下した。
この爆撃は空軍基地に更なる被害をもたらし、少数ではあるが航空機も破壊している。
これに対して反撃をしたい連合軍だったが、爆撃によって電気系統の損傷があり、高射砲が使えずに高高度を飛行する陸攻の被害は全くなかった。
悠々自適に爆弾を落としつくした陸攻は、20分ほどの空襲でポート・ダーウィンを去った。
一方で2隻の貨物船撃沈のために再出撃した【九九式艦上爆撃機】も無事に撃沈に成功し、攻撃の規模、被害の少なさから、この空襲はほぼ完璧といってもいい戦果を上げた。

誤算をあげるとすれば、復旧の速さであった。
ポート・ダーウィンは港湾施設や航空基地、石油貯蔵施設などが滅多打ちにあっているのだが、特に航空に関する設備の復旧は早く、3月下旬からポート・ダーウィンに対しての攻撃回数が明らかに増えている。
これはオーストラリアからの航空機による空襲頻度が多かったためで、壊滅的被害を与えたと確信し、実際にその通りであったのだが、その後の復旧の速さまでは計算されていなかった。
そしてこの後はもちろん連合軍も防備を疎かにするはずもなく、途中から陸軍も空襲に参加するものの、戦果は芳しくなくなっていくのである。

日本の勝利

両者損害

大日本帝国 連合国
沈 没
  船舶×9隻
喪 失・損 傷
艦載機 4機 喪失 基地機能麻痺
  251名 死亡
  300~400名 負傷