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ビスマルク海海戦

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第八十一号作戦 ビスマルク海海戦

戦闘参加戦力

大日本帝国 連合国
司令長官:草鹿任一中将 陸軍第5空軍
輸送部隊 (指揮官:ジョージ・C・ケニー中将)
・第一分隊  B-17 フライングフォートレス爆撃機 39機
 輸送船【新愛丸】  B-25 ミッチェル爆撃機 41機
 輸送船【帝洋丸】  A-20 ハヴォック攻撃機 34機
 輸送船【愛洋丸】  戦闘機 154機
 輸送船【建武丸】 (P-38 ライトニング)
・第二分隊 (カーチスP-40)
 輸送船【旭盛丸】 (ブリストル・ボーファイター)
 輸送船【大井川丸】 他 ブリストル・ボーフォート雷撃機
 輸送船【太明丸】  
 輸送船【野島】  
水上護衛部隊(司令官:木村昌福少将)  
 駆逐艦【朝潮】  
 駆逐艦【荒潮】  
 駆逐艦【朝雲】  
 駆逐艦【白雪】  
 駆逐艦【時津風】  
 駆逐艦【雪風】  
 駆逐艦【敷波】  
 駆逐艦【浦波】  
護衛航空隊  
 零式艦上戦闘機 90機  
 九九式艦上爆撃機 9機  
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ダンピール海峡の悲劇 反跳爆撃に為す術なく蹂躙される輸送船団

1943年の年明けとともに日本は死闘の続くガダルカナル島からの兵士撤収作戦を発動。
欺瞞作戦によりまんまと連合軍を出し抜き、2月7日にはガダルカナル島から命ある日本兵が全て撤退した。
志半ばで飢えとマラリアで絶命した、日本兵の遺体だけが残された。

転進に伴い、当初ガダルカナル島への増援部隊としてラバウルまで移動したものの、そのガダルカナル島が放棄されたために働き場所を失っていた日本陸軍第51師団の輸送が決まる。
目的地はパプアニューギニアの東端にあたるラエ、サラモアである。
ニューギニアは言うまでもなく南方海域での最大の島である。
「ポートモレスビー作戦」で連合軍と激しい戦闘が続いていたが、兵力の差に圧されて1月2日にはブナの守備隊が玉砕。
現地の守備隊が散った今、ニューギニア島の防衛力を高めなければ、この島とガダルカナル島に挟まれている諸島への輸送に大きな障害となることは目に見えていた。

1月7日、8日にかけて第一の輸送作戦「第十八号作戦」が実施され、ラバウルを出撃した輸送船5隻中2隻が沈没したが、それなりの人員がラエへの上陸を果たした。
続く作戦が、悪名高き「第八十一号作戦」である。

「第八十一号作戦」は大きく3回の輸送をまとめて称し、輸送先はウェワク、ラエ、マダンの3箇所であった。
俗称「ダンピール海峡の悲劇」と呼ばれる「ビスマルク海海戦」は、ラエへの輸送船団が巻き込まれた。
ラエは3箇所のうちで最も敵飛行場のポートモレスビーから近く、海峡を通過し、さらに入江状となっているため航路が限られていて、作戦立案時からその難易度と予測される被害から反対意見が続出していた。

困難な理由は護衛の航空戦力の不足である。
敵機の数は数百はゆうに見込め、一方の日本の航空戦力は乏しいの一言である。
ガダルカナル島の戦いで熟練したパイロットが次々と戦死し、【零式艦上戦闘機】との戦い方をマスターした上に数に勝るアメリカ機との戦闘は不利になる一方であった。
貴重な戦闘機が次々と失われ、200機は必要と見込まれた同作戦に、無理やり導入できる戦闘機は陸海合わせても120機そこそこであった。
結局カビエンまで進出していた【瑞鳳】所属の機含め、海軍の【零戦】約60機、陸軍の【一式戦闘機『隼』】が同じく約60機、交代で護衛につくことになった。

作戦に参加する輸送船は8隻、護衛につくのは駆逐艦が8隻であり、空襲の恐れが非常に高い輸送にしてはずいぶんと貧弱である。
ましてや日本の艦艇は「秋月型駆逐艦」を除いて対空装備が貧弱であることは日米双方に認識の違いはない。
ならばなぜ実行したのか。
それは被害予測を立てた上でなお、決行しなければならないという、結論ありきの作戦だったからである。

作戦担当であった第八艦隊作戦参謀の神重徳大佐を始め、幹部は皆成功率は五分かそれ以下、被害も輸送船の半数の沈没程は想定していた。
そしてこれほどの被害は現場で戦う者たちにも容易に想像がついた。
第三水雷戦隊参謀であった半田仁貴知少佐は、実際に神大佐に対して作戦中止を具申している。
しかし神大佐「命令であるから全滅覚悟でやってもらいたい」と、半田少佐の意見に耳を貸さなかった。
出撃は2月28日、突入は3月3日とされた。
期間が非常に長いのは、鈍足の輸送船に合わせて時速約9ノットの速度を強いられたためである。
船団の指揮はこの海域に展開する第三水雷戦隊の司令官を務めていた木村昌福少将に任された。

迎え撃つアメリカは、すでに日本がニューギニア東方地域への輸送を行うことは予想していた。
これに備えてアメリカは爆撃機による新しい戦い方の訓練に励んでいた。
反跳爆撃である。
簡単に言えば、艦上攻撃機同様の攻撃方法で、低空を飛行して爆弾を水切り石のように海面を跳ねさせて艦艇の土手っ腹に爆弾を叩き込む方法である。
直撃はもちろん、海中での爆発は当たりどころによって魚雷同様凄まじい威力を誇る。

反跳爆撃の危険性は、これも艦攻同様に低空直線移動による撃墜の危険性の高さである。
急降下爆撃は速度も出る上に高さによっては高射砲、機銃の被害を受けずに奇襲ができる。
しかし低空飛行は平射砲でも攻撃できるので、対航空機装備が万全な場合はより危険な戦法になる。

アメリカが反跳爆撃を採用した理由は、これまでの戦いから日本の駆逐艦の対空兵装が貧弱であることと、敵の航空戦力がこちらより少ないことが予測できたからである。
急降下爆撃は技量が伴うが、反跳爆撃は急降下爆撃ほどの訓練がなくても攻撃できるという利点もあった。
この攻撃に伴い、爆撃機には艦艇への攻撃用の前方機銃が増設された。
反跳爆撃には【B-25】【A-20 ハヴォック】が採用された。
その他、水平爆撃用の【B-17】と戦闘機【P-38 ライトニング、P-40】、オーストラリア空軍戦闘機【ブリストル・ボーファイター】、攻撃機【ブリストル・ボーフォール】などが出撃準備についている。

作戦に先立って敵の戦力を削ぐためにポートモレスビーへの空襲が実施された。
しかし攻撃に必要な戦力がそもそも整っておらず、また悪天候が続いたためほとんど効果を上げていなかった。

そんな状態で28日午後11時30分、ラエへの輸送船団がラバウルを出撃した。
翌3月1日午後2時過ぎ、輸送船団は早速【B-24】に発見される。
この時はまだ船団の位置が攻撃範囲外だったが、アメリカはこの発見に対して出撃準備を整える。
エンジンの火入れを待つ航空機の数は総数268機である。

3月2日、【零戦】の護衛を受けつつ航行を続ける船団にいよいよアメリカが牙をむく。
【B-17】【ブリストル・ボーファイター】が船団上空に現れ、次々と爆弾を投下していった。
【B-17】1機を撃墜し、14機に損害を与えたものの、【旭盛丸】が沈没した。
船団は明日の到着までに訪れるであろう地獄に恐怖し、第三水雷戦隊を管轄している第八艦隊の三川軍一中将は待機させていた【初雪】をラバウルから救援に向かわせた。

午後には再び空襲を受け、今度は【野島】に被害が出る。
しかし航行には支障が無かったため、そのまま輸送を続行した。

日没後、【雪風】【朝雲】が闇夜に紛れて快速を武器に先行してラエへと兵員輸送を行った。
この2隻の先行輸送が気づかれていたかどうかは定かではないが、船団そのものは飛行艇【PBY カタリナ】の触接を受け続けている。
依然船団の情報が連合軍に筒抜けである状況は変わりない。
そして、海を黒と赤に染める地獄の3月3日を迎える。

雛祭りの朝は快晴であった。
午前中は海軍の【零戦】が護衛の受け持ちである。
当時は15機前後が1時間毎に交代をして護衛を続けていた。
そこへ先陣を切ってきたのが【ブリストル・ボーフォート】である。
この時はちょうど交代の時間帯だったため、迎撃ができた戦力は41機と言われている。
【零戦】はこれらを全て撃墜ないし追い払い、雷撃の恐怖は排除できた。
しかし攻撃機の襲来は挨拶代わりに過ぎなかった。

無数の戦闘機と爆撃機が徐行とも言える速度で進んでいる船団めがけて殺到してくる。
一番大きな的、そして一番大きな攻撃力を持っているのは言うまでもなく【B-17】である。
【零戦】は何故か護衛の少ない【B-17】の飛行する高度まで上昇し、撃墜を狙った。

ガラ空きになった船団に突入してくるのが、機銃を掃射してくる戦闘機と、どういうわけか非常に低い高度で飛行してくる爆撃機である。
その位置では爆弾を船にぶつけることはできない。
その高さはまるで、攻撃機ではないか。

次の瞬間、何が起こったかを瞬時に把握できたものはいないであろう。
海中にめがけて爆弾が投下されたかと思えば、瞬く間に爆弾が巨大なサメのように艦艇に突っ込んでくるのである。
上空からは【B-25】の水平爆撃もある中、真横から次々と爆弾が船を噛みちぎらんと襲いかかる。

冷静に戦況を分析する暇などない。
輸送船7隻全てと駆逐艦3隻が被弾し、うち木村少将が乗艦する【白雪】は沈没した。
そして輸送船も最終的には全て沈没した。
木村少将自身も3発の銃撃を受けて倒れたが、【敷波】に移乗して引き続き指揮を取り続けた。
この時木村少将「指揮官重症」の信号旗を「陸兵さんが心配する」と旗を降ろさせている。

戦闘は1時間で終わった。
浮かんでいる船は半減し、そして最も重要だった輸送船は先日の【旭盛丸】含めて全滅した。
凄惨な現場であった。
船から漏れ出た大量の重油と、その重油にまみれながらも助けを求める乗員、そして全く動かない無数の遺体。
重油で反射する歪んだ不自然な光が、光景の異常さを物語る。

木村少将は急いで乗員の救助を命令。
駆逐艦5隻に沈没艦の生存者をどれだけ救い出すことができるかわからない。
しかしこの地獄に生きたまま残すなどできるわけがなかった。

10時35分頃、再びアメリカの航空機が飛行場を発信したとの通信が飛び込んできた。
この状況で更に攻撃を受ければ、せっかくの生存者、生存艦をも失うかもしれない。
木村少将は涙をのんで退却を命令。
4隻の駆逐艦は急ぎ戦場を離れた。

【朝潮】を除いて。

出撃前、【朝潮】に座乗する第八駆逐隊司令の佐藤康夫大佐と、【野島】艦長の松本亀太郎大佐が酒を飲み交わしていた。
二人は海軍兵学校の44期生、45期生の先輩後輩の間柄で、同じ分隊に所属していた。
松本大佐は言う。
「今度の作戦は非常に危険で【野島】は沈むだろうから、骨だけは拾ってください」
それに対して佐藤大佐はこう答えた。
【朝潮】が護衛する限り見殺しにはしない。【野島】乗組員を救いにゆく」

今、【野島】の乗員が、松本が危機に瀕している。
【朝潮】は約束を果たす!

『我【野島】艦長トノ約束アリ 【野島】救援ノ後避退ス』

【朝潮】は退却命令を無視し、炎上している【野島】のもとへ急行した。
するとすぐ近くに、被弾によって【野島】と衝突し、航行不能となりながらも必死に復旧作業を行っている【荒潮】の姿が目に入った。
【荒潮】にはまだ怪我人が取り残されていた。
【朝潮】は負傷者と陸軍兵士を受け入れ、【野島】乗員の救助を行った。
【荒潮】もやがて微速ながら速力を回復し、北上を開始した。

しかし敵機はそこに浮かぶ2隻の駆逐艦と幾百人の生存を許すことができなかった。
【荒潮】は傾斜もあり、どう見ても重症だが、【朝潮】はピンピンしている。
狙われるのが【朝潮】になるのは当然だった。

13時過ぎから空襲に晒された【朝潮】もまた、輸送船たちと同じように航行不能となった。
それでも必ず助けると誓った松本大佐を始め、一部の生存者は救い出すことができた。
約束は果たされた。

しかしその約束を果たした佐藤大佐【朝潮】を離れようとしない。
彼は「俺はもう疲れたよ」と言う。
「このへんでゆっくり休ませてもらうよ。さあ、貴様は早く退艦したまえ」
松本大佐の手を取ることはなかった。
佐藤大佐【朝潮】とともに、戦死していた吉井五郎艦長とともにビスマルク海峡に沈んでいった。

日没後、【敷波・朝雲・雪風】と救援で出撃していた【初雪】が戦場へ戻ってきた。
言うまでもなく生存者の救出である。
夜間の救助は明かりを使いたいが、敵機に見つかる危険性もあるので困難を極めた。
そんな中でも可能な限り生存者を救い出し、彼女たちは再びラバウルへと引き返した。
【朝潮】沈没後に空襲を受けて再び航行不能になった【荒潮】と、第一次空襲で停止していた【時津風】はここで放棄された。

3月4日、【時津風】の周辺ではまだ1,000人以上の乗員がカッターなどの小型舟艇に乗って生き残っていた。
夜明け後に【九九式艦上爆撃機】から救命具などが投下された。
同時に【時津風】へ爆撃を行い処分しようと試みたが失敗し、最終的に【時津風】【荒潮】とともにアメリカの爆撃によって沈没している。

そしてこの時、前日に続いて生存者は恐怖することになる。
米軍の航空機や魚雷艇が生存者に銃口を向けたのだ。
戦闘意欲のない、戦闘能力のない兵士の殺傷は禁止されている。
それを知っていてなお、日本の生存者はいずれ我々の仲間を死者にするという理由で多くの無抵抗者を殺害した。
言わずもがな、戦後の処罰はないが、戦争とはこういうものである。
全員殺害されたわけではなく、この後も潜水艦などの救助が続けられた。

帰還後、第八艦隊司令部を前にして怒鳴り声が響いた。
【朝雲】艦長の岩橋透中佐である。
「こんな無謀な作戦をたてるということは、ひいては日本民族を滅亡させるようなものだ。よく考えてからやっていただきたい」
戦いには時に被害覚悟の強襲も必要だが、自殺行為を強要する司令部に誰が信頼を置くだろうか。
「ビスマルク海海戦」は日本の海軍史の中でも比類なき愚策であった。
海戦後の反省の弁も、実施前に述べられていた航空戦力不足が述べられていて、つまりは予測された被害を予測通りに受けて反省している体たらくである。
反跳爆撃がなかったとしても、少なくとも輸送船団の被害は同規模のものであったであろう。

この輸送作戦の失敗により、日本は鈍足の輸送船での輸送を断念し、「第一号型輸送艦」の開発を開始した。
またマダンからラエまでの約300kmを、山道、ジャングルを突っ切る道路を通すというこれまた現実性のない計画を実施。
これを重機一つなくすべて人力で行ったのだから、当然完成する前に日本はラエを失った。

アメリカの完勝

両者損害

大日本帝国 連合国
沈 没
【朝潮】  
【荒潮】  
【白雪】  
【時津風】  
【神愛丸】  
【帝洋丸】  
【愛洋丸】  
【建武丸】  
【旭盛丸】  
【大井川丸】  
【太明丸】  
【野島】  
1943年海 戦
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※1 当HPは全て敬称略としております(氏をつけるとテンポが悪いので)。

※2 各項における参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
わかっている範囲のみ、各項に参考文献を表記しておりますが、勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。

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大日本帝国軍 主要兵器