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ペナン沖海戦/マラッカ海峡海戦

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ペナン沖海戦 マラッカ海峡海戦(?)

戦闘参加戦力

大日本帝国 連合国
第十方面艦隊 第五戦隊 第61部隊
(司令官:橋本信太郎中将) (司令官:マンリー・ロレンス・パワー大佐)
 重巡洋艦【羽黒】  駆逐艦【ソーマレズ】
 駆逐艦【神風】  駆逐艦【ヴェルラム】
   駆逐艦【ヴィジラント】
   駆逐艦【ヴィーナス】
   駆逐艦【ヴィラーゴ】
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日本海軍最後の海戦 日本の【神風】を護り、羽黒没す

タイの西側アマンダン湾にあるアマンダン諸島、ニコバル諸島。
ここは1942年3月と6月にそれぞれの諸島を日本陸軍が占領していた。
しかし9月にソロモン諸島を巡り日米の激しい戦闘が繰り広げられ、対イギリス戦だったタイやインドなどの戦線に充実した陸軍戦力の投入ができなくなっていた。
そこに米英の航空戦力が増強を始め、日本はこのアマンダン・ニコバル諸島を防御拠点としたものの、それ以上の攻勢をかけることができないまま徐々に劣勢に立たされていった。

1944年11月、レイテ沖海戦で壊滅的大敗を喫した日本はもはや輸送に携わることができる艦船を集めることすら困難となっていた。
加えて輸送ルートの大半の海域をアメリカに制圧され、南シナ海を経由しなければ到達しないアマンダン・ニコバル諸島への輸送は11月を最後に途絶え、アマンダン・ニコバル諸島は完全に孤立した。
すでに1944年1月の段階で兵員による農耕も始まっており、同島の重要度は増す一方で、生活事情は著しく厳しいものとなっていた。

1945年3月、日本はもはや米英にとってアマンダン・ニコバル諸島は戦略的価値がなく、この諸島を飛び越えてマレー半島やシンガポールへ攻め入ってくると判断。
補給とともに両諸島で孤立している兵員をマレー半島や日本へ輸送することを決定した。
しかし3月26日に行われた輸送は駆潜艇・貨物船各2隻の船団が往路でイギリスの空襲によって全滅した(「オンボード作戦」)。

結局島を出ることができなかった日本陸軍だが、要請は続いた。
何しろ島では兵士が武器を構えることなくひたすら農耕、採集、漁業を続け、また島民にも餓死者や栄養失調を訴える者が続出。
食料を奪ったために射殺された島民も増え始めるなど、混乱を極めていた。

そんな中、海軍の大型艦では、損傷も大きいものの数少ない行動可能な艦、第十方面艦隊の【羽黒】が、【神風】とともにアマンダン諸島へ向かうことが決まる。
【羽黒、神風】は可能な限り輸送物資を増やすために一部を除いて武装を解除。
【羽黒】は魚雷を全撤去、弾薬は通常時の半分、甲板上にも輸送物資を満載していた。
【神風】も魚雷と魚雷発射管を撤去し、戻る際には兵員の何割かを日本に戻す予定だった。

【羽黒、神風】は5月12日にシンガポールを出発。
しかしこの動きはすぐにレーダーによってイギリスの潜水艦によって発見されてしまう。
イギリスの第61部隊は要撃準備を始める。

【羽黒、神風】は素直な航路を取らず、偽装航行をしながら徐々にインド洋を抜けるつもりだったが、14日、第61部隊は偵察機によって【羽黒、神風】の位置の報告を受ける。
しかし【羽黒、神風】もまた陸軍の偵察機によってイギリス艦隊の存在を知らされ、欺瞞航路の甲斐なくイギリスはしっかりと【羽黒・神風】を仕留めるために待ち構えていることがわかった。
やむなく第五戦隊司令官の橋本信太郎中将は作戦を中止、シンガポールへと引き返すことにした。

16日午前2時10分、【羽黒】の電探に反応があった。
すでにシンガポールも近く、味方かと思われたが、それはここまで待ち伏せをしていたイギリスの5隻の駆逐艦だった。
数で優勢とはいえ、相手は重巡洋艦。
明るい昼間では、負けなくても大きな被害を負ってしまうかもしれない。
しかし夜ならイギリスにはレーダーという大きな武器がある。
視認距離も圧倒的に短くなる夜戦を仕掛けるタイミングをここまで待っていたのだ。

【羽黒】はスクリューシャフトを損傷しており、本来なら逃げ切ってしまいたかったものの全速が出せず、【羽黒】はここで戦闘を決意する。
しかし2番砲塔は破壊されたままで使えず、甲板上の輸送物資は砲塔のスムーズな旋回を阻んだ。
構造上、羽黒は5つの砲塔のうち3つが甲板上にあり、2番、4番砲塔が段差をつけて高い位置にある。
甲板上のありとあらゆる場所に物資があったとすると、1、3、5番砲塔が満足のいく砲撃ができず、2番砲塔が故障していたことから、自由に砲撃ができたのは4番砲塔だけだったのかもしれない。

輸送物資の投棄が急がれたが、相手は小型の駆逐艦の上、スクリューシャフトの損傷は常時振動を生み出し、正確な照準も取ることができない。
【神風】【英駆逐艦 ソーマレズ】からの砲撃によって損傷。
【神風】は虎の子の魚雷も降ろしていたため、【神風】は威力の乏しい12cm砲で懸命に応戦しつつ、煙幕を炊いて【羽黒】を包み込んだ。

【羽黒】はなんとか主砲で【ソーマレズ】を砲撃し、見事命中。
【ソーマレズ】は一時戦線を離脱したものの、その直後に【羽黒】は船体前部に魚雷を受ける。
近接戦において魚雷を積んでいなかった第五戦隊は装備の上でも大きく不利であった。
【羽黒】はこの被雷によって電源が落ちてしまい、全て人力に頼らざるを得なくなる。
そして好機と見たイギリス駆逐艦は一気に【羽黒】に対して砲撃を開始した。

電源が落ちていたために届かなかったが、【羽黒】からは【神風】に対して撤退の命令が出ていた。
午前2時50分、【神風】ももはや勝機なしと判断し、残りの煙幕を炊きながら戦場から離脱し、ペナンへと向かった。

【羽黒】の甲板は搭載していた燃料への引火により真っ赤に燃え広がり、沈没は時間の問題だった。
しかし【羽黒】は人力による操舵と砲撃によって燃え盛る炎の中で必死に抗った。
2発目の魚雷が直撃し、退艦命令が出るものの多くの乗員は持ち場を離れることがなかった。
逆に障害がなくなった砲塔からは海戦勃発時よりも苛烈に砲弾が飛び、ありとあらゆる構造物が破壊されながらも【羽黒】が沈黙することは決してなかった。

午前3時33分(?)、【羽黒】沈没。
乗員の半数以上の400名が戦死したものの、海戦後に救助に訪れた【神風】によって320名の命が救われた。
救助後、【神風】はシンガポールへと戻っている。

この2回の輸送作戦の失敗により、アマンダン・ニコバル諸島は完全に孤立。
島では兵員と島民が餓死と戦い、そして島民は日本兵からの銃口とも戦いながら終戦までの3ヶ月を過ごすことになる。

イギリスの勝利

両者損害

大日本帝国 連合国
沈 没
【羽黒】  
損 傷
【神風】 【ソーマレズ】
1945年海 戦
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※1 当HPは全て敬称略としております(氏をつけるとテンポが悪いので)。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。