金星

航空機/飛行艇

零式水上偵察機/愛知 E13A

昭和12年/1937年、帝国海軍はこれまで役割を果たしてきた「九四式水上偵察機」の後継機の開発に乗り出していました。 「九四式水偵」は複葉機ではあるものの、530機が製造されたことからもわかるように、当時の水上機運用に欠かせない存在でした。 しかし当時の技術進歩はめまぐるしく、2年もあれば次々と新しい要求が出され、そしてそれを叶えることができる力も身につけていました。
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九七式飛行艇/川西 H6K

「ワシントン海軍軍縮条約」と「ロンドン海軍軍縮条約」によって、世界は大規模な海軍力増強ができなくなりました。 これにより世界は(当初は)海軍力を補う目的で、制限のかけられていない航空機の開発に注力するようになります。 そしてそれからわずか10年足らずで、この航空機開発は世界中で飛躍的な進化を遂げることになります。
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九六式陸上攻撃機/三菱 G3M

「ワシントン海軍軍縮条約」及び「ロンドン海軍軍縮会議」によって、世界の海軍兵力は決められた制限内での増強を強いられることになりますが、その中で急速に脅威となっていたのが空母です。 戦艦や巡洋艦は自前の砲での攻撃ですが、空母の艦載機はそこから飛び立つ数々の航空機がそれぞれ自由に攻撃することができます。
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水上偵察機 『瑞雲』/愛知 E16A

昭和14年/1939年、日本は軍艦の搭載用として「零式水上偵察機(試作時は十二試三座水上偵察機)」を完成させます。 空母を量産できればいいのですが、何分コストと時間がかかりすぎますし、加えて搭載数に限界がある空母に「偵察」しかできない艦載機を載せることには非常に懐疑的でした。 そこで、軽巡洋艦以上の大型艦に搭載できる水上機を偵察機として運用し、その穴を埋めようという意図で誕生しました。
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水上偵察機 『紫雲』/川西 E15K

日本は昭和12年/1937年に「零式水上偵察機」の製作を指示したころから、水上機にかなり熱心に取り組み始めます。 どの海上にも必ず空母を派遣できるわけではありませんし、陸上からの支援が受けられる距離にも限界があります。 戦艦や巡洋艦に搭載できる水上偵察機は、自軍により有利な情報を一刻もはやく手に入れるために必要不可欠でした。
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九七式艦上攻撃機/中島B5N・三菱B5M

「九六式艦上攻撃機」は昭和11年/1936年に初飛行を迎えていますが、その前年の昭和10年/1935年、海軍は研究の手を緩めずに次代の艦上攻撃機の開発に取り組んでいました。 欧米では「九六式艦攻」のような複葉機は旧式化しつつあり、新型航空機はどこをみても単葉機でした。 このままでは世界との溝は開く一方だと危機感を抱いた海軍は、急ぎ中島飛行機と三菱重工業に「十試艦上攻撃機」の開発を命じます。
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艦上爆撃機 『彗星』/空技廠 D4Y

「九六式艦上戦闘機」の後継機が愛知航空機の「九九式艦上爆撃機」に決定した一方で、日本は別方面ですでに次の一手を打っていました。 「九九式艦爆」は通常通り各企業に試作機の製作を依頼した上で採用されていますが、この「彗星」の元となる「十三試艦上爆撃機」は海軍航空技術廠(空技廠)にのみ製作が命令されています。
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九九式艦上爆撃機/愛知 D3A

昭和10年/1935年、日本は3隻目の正規空母【蒼龍】に搭載する爆撃機には全金属製の高性能爆撃機を検討していました。 しかし【蒼龍】は竣工が昭和12年/1937年末と、試作・改良・増産の流れから見ると残された時間はあまりありませんでした。 急場しのぎとして「九六式艦上爆撃機」(「九四式艦上爆撃機」の発動機を変更・空気抵抗の改良)を製造し始めますが、こちらは複葉機のため、時代の流れに乗りきれる存在ではありませんでした
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