日振型海防艦【日振】 |
起工日 | 昭和18年/1943年10月9日 |
進水日 | 昭和19年/1944年5月15日 |
竣工日 | 昭和19年/1944年7月31日 |
同型艦数 | 20隻 |
次 級 | 丙型海防艦 |
基準排水量 | 940t |
全 長 | 78.8m |
全 幅 | 9.1m |
最大速度 | 19.5ノット |
馬 力 | 4,200馬力 |
装 備 一 覧
主 砲 | 45口径12cm連装高角砲 1基2門 |
45口径12cm単装高角砲 1基1門 | |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
主 機 | 22号10型ディーゼル 2基2軸 |
ソナー等 | 九三式水中聴音機 |
九三式水中探信儀 | |
その他 | 九四式爆雷投射機 2基 |
爆雷投下軌条 2基 | |
爆雷 120個 | |
掃海具 |
ついに量産化成功 改良点を残しながらも4ヶ月就役 日振型
「択捉型」から「御蔵型」へ移行し、徐々にではありますが日本の海防艦は護衛艦としての職務を果たせる能力を得つつありました。
しかし事ここに至っても未だに改善がなされていない問題があります。
それは工期の短縮でした。
「御蔵型」一番艦の【御蔵】は昭和18年/1943年10月竣工ですが、日本はすでに劣勢で喪失艦も増える一方でした。
駆逐艦は量産型駆逐艦である「松型駆逐艦」が8ヶ月の工期で建造され始めており、現場ではとにかく数が求められていることは明白でしたが、海防艦は未だにこの要望に応えることができていません。
そこで、これまでの海防艦では対応できていなかった短期建造を実現すべく、ようやく一から設計されたのが、「日振型海防艦」です。
この「日振型海防艦」、「御蔵型」として扱われたり、はたまた次型の「鵜来型」として扱われたりとはっきりしないのですが、まず「御蔵型」とは船体設計が違うので、公式とは言えこの分類には疑問が残ります。
一方「鵜来型」については、「鵜来型」が「日振型」の搭載装備を一部見直しているという違いぐらいしか差がないため、こちらは準同型艦とも言えますので一括りにされるのも頷けます。
ただ、「日振型」を独立して扱っていることも大変多いため、本HPでも「日振型」としてご案内いたします。
「日振型」は大きさこそ「御蔵型」とほぼ同じですが、とにかく徹底した工数削減が行われました。
曲面を減らして平面化、直線化を重視、工数を「御蔵型」の約5万7千からほぼ半分の3万にまで減らし、また建造先を日立造船桜島造船所に一本化し、より量産性を高めました。
これにより、ようやく量産型と言ってもいい工期4ヶ月を達成。
時期としては遅いと言わざるを得ませんが、昭和19年/1944年から一番艦【日振】が建造されます。
武装は「御蔵型」とほぼ同じです。
ということは、やはり掃海具も搭載しており、こんな時期でも海軍は未練たらしく副業を持たせようとしていました。
ただ、さすがに無駄だとわかったのか、四番艦【久米】からは掃海具の代わりに爆雷投射機が1基増設され、それ以前の艦も順次掃海具を爆雷投射機に換装していったそうです。
違いと言えば、対空兵装である25mm連装機銃が三連装機銃へと更新されている点でしょうか。
「日振型」は合計11隻が起工されますが、うち2隻が終戦により未完成。
生存艦の1隻である【生名】は、終戦後の昭和22年/1947年に運輸省管轄となって【定点観測船 生名丸】として転生します。
さらに昭和29年/1954年には海上保安庁へ移管され、【巡視船 おじか】として就役。
昭和38年/1963年の解体まで職務を全うしたという経歴を持っています。
『日振型海防艦 一覧』
【日振】ひぶり
【大東】だいとう
【昭南】しょうなん
【久米】くめ
【生名】いくな ⇒ 【定点観測船 生名丸】 ⇒ 【海上保安庁巡視船 おじか】
【崎戸】さきと
【目斗】もくと
【四阪】しさか
【波太】はぶと
【大津】おおつ(未完成解体)
【友知】ともしり(未完成解体)