夜間戦闘機 『極光』/川西 P1Y2

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試製「極光」
全 長15.00m
全 幅20.00m
全 高4.30m
主翼面積55.00㎡
自 重7,265kg
航続距離3,900km
発動機
馬力
空冷複列星型14気筒×2「火星二五型」(三菱)
1,680馬力×2
最大速度550.0km/h
武 装20mm機関砲 3門
爆弾60kg 2発
符 号P1Y3-S
連 コードネームFrances(フランセス)
「銀河」と同名
製 造川西航空機
設計者山名正夫
三木忠直
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月光の二匹目のドジョウを狙った極光は空回り

「一式陸上攻撃機」の後継機として、中島飛行機が苦労して製作した「銀河」が誕生したのは昭和18年/1943年11月頃から。
しかし日本はすでにアメリカに明らかな劣勢を強いられ、「銀河」そのものの性能は高くとも、活躍できるシーンは多くはありませんでした。
また「銀河」に搭載されていた「誉」の慢性的な不調、熟練パイロットが全くいない状況も、「銀河」の活躍を阻害していました。

このような三重苦の中で、海軍や中島は開発段階からこの「誉」が厄介な存在であることは重々認識していました。
しかし「誉」に変わるエンジンはなく、安定性を求めて違うエンジンに換装すると確実に速度や馬力は低下します。
この悩ましい状況を打破するため、海軍は逆に性能の落ちた「銀河」の働き先を探すことにしました。
その居場所こそ、銀河の煌めきが映える夜間でした。

制空権が奪われたことで、日本は南方諸島での夜間空襲に悩まされていました。
夜間は陸上からの対空砲では対応が難しく、どうしても迎撃機による防衛が必要でした。
その対応として「二式陸上偵察機」「月光」に転用され、現場独断で採用された斜銃が想像以上の成果を出していたことから、海軍は「銀河」「月光」同様に夜間戦闘機として活躍させることができないか、と考えたのです。

「銀河」は当初から無理な欲張り設計だったため、逆に言えば戦闘機の性能も当初からそれなりに持っていました。
まず「誉」は三菱の「火星」へと換装されましたが、「誉」は高出力なだけでなく小型でもありました。
そのままでは「火星」を収めることができないためエンジンカウリングは再設計されました。
爆撃は行いませんので爆装関連の部品も撤去。
機銃も後方の機銃を取り外し、「月光」同様に斜銃のように胴体上部に配置しました。

この改造についてですが、一から改造型を製作するのではなく、すでに完成しながらも使われていない「銀河」「極光」仕様に改造するというものでした。
この改造計画は昭和18年/1943年5月から川西に命令が下っており、昭和19年/1944年6月に海軍に接収されました。

ただ、この「極光」が相手をすることになるのは誰あろうアメリカ最強の重爆撃機「B-29」でした。
そして「B-29」「超空の要塞」と呼ばれるほど堅牢で、また超高高度でも速度がなかなか速いため、生半可な機体では歯が立ちません。
そして「極光」はその生半可な機体だったのです。
機銃の威力は「B-29」にダメージを与えることができるものでしたが、エンジンを「火星」に換装した結果速度も上昇力も低下し、さらに「B-29」が飛行する高さの性能も満足のいくものではありませんでした。
つまり一言で言うと、この改造はまったく意味がなかったのです。

違う道を進んでみたらそこは行き止まりだった「極光」は、元の道を引き返して斜銃を撤去、爆装復活、しかしエンジンは「火星」のままの「銀河一六型」として再び改造。
「B-29」を撃退するという野望は、「電光」に託されました(しかし「電光」も木型模型完成から2ヶ月で開発中止となります。結局海軍は「B-29」の夜間の撃退方法を用意することができませんでした)。
「極光」「銀河一六型」と合わせて96機製造されました。

ちなみにエンジンが「誉」のまま夜間戦闘機に改造された「白光」という機体もありますが、この説が結構色んな意見があり、当初は「白光」という名前だったのが「月光」と紛らわしくて「極光」になったという説も有力だそうです。