
起工日 | 昭和15年/1940年11月13日 |
進水日 | 昭和16年/1941年11月21日 |
竣工日 | 昭和17年/1942年8月31日 |
退役日 (沈没) | 昭和17年/1942年12月12日 サボ島沖 |
建 造 | 三菱長崎造船所 |
基準排水量 | 2,701t |
垂線間長 | 126.00m |
全 幅 | 11.60m |
最大速度 | 33.0ノット |
航続距離 | 18ノット:8,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 65口径10cm連装高角砲 4基8門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 1基4門 次発装填装置 |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
ソロモン海の激闘を体験した照月 秋月型最初の喪失
【照月】は「ミッドウェー海戦」後、最初の大きな分岐点となった「ガダルカナル島の戦い」の最中に誕生します。
竣工は昭和17年/1942年8月31日となっておりますが、最終的な工事が完了したのはさらに1ヶ月後の9月30日。
「第一次・第二次ソロモン海戦」はすでに終結し、戦況は制空権の掌握に至っていない日本の不利が鮮明になりつつありました。
航空部隊に所属する第十戦隊に編入された【照月】は、10月7日に早速【秋月】と第六一駆逐隊を編成。
実はこの2隻、ともに編成を組んで行動をしたことはありません。
【秋月】は1週間もしないうちに第四水雷戦隊での活動に移り、【照月】は想定通り機動部隊に所属することになったためです。
しかし最大の理由は、【照月】が短命であったことではないでしょうか。
10月26日の「南太平洋海戦」では【翔鶴、瑞鶴、瑞鳳】の3隻で編成された第一航空戦隊の直衛に就きますが、【照月】は航空機ではなく飛行艇からの至近弾によって小破しています。
その損傷は【明石】によって修復され、【照月】は次の任務を待つことになりました。
しかし「南太平洋海戦」最大の功績である、米航空隊の一時的鎮圧は、皮肉にも防空駆逐艦である【照月】の本業を奪うことになりました。
空母による襲撃が想定されない以上、その空襲の対策として存在している「秋月型」の出番はないと言ってもいいでしょう。
ところが【照月】は駆逐艦です、主砲はありませんがその長10cm高角砲の威力は誰もが認めるところであり、さらに魚雷も1基ですが搭載しています。
つまり、駆逐艦の役割もそれなりには果たすことができる船なのです。
【照月】は第十戦隊とともに、「第三次ソロモン海戦」の火蓋を切る挺身攻撃隊に所属し、ガダルカナル島へと出撃しました。
11月13日に勃発した「第三次ソロモン海戦」では、【照月】も多大な功績を残しています。
【夕立】の活躍が目立つ第一夜ですが、【照月】も「駆逐艦1隻撃沈、4隻撃破」が認められ、大乱戦となった中で長10cm高角砲からは160発もの砲弾が発射されました。
しかし被害が集中した【比叡】の護衛を全うすることができず、敵機3機の撃墜を果たすものの【比叡】は太陽とともに海中へ没していきました。
即座に艦隊の再編が成され、翌日は【霧島】の後方警戒にあたりながら第二夜の戦いに挑みます。
【照月】は【霧島】とともに【米サウスダコタ級戦艦 サウスダコタ】へ向けて多数の攻撃を行い撤退させますが、その後ろに控えていた【米ノースカロライナ級戦艦 ワシントン】の反撃にあい、【霧島】は沈没。
【照月】は日本の戦艦を率いてきた偉大なる高速戦艦2隻の沈没を間近で目撃していました。
その後、【照月】はトラックで修理を施された後、第二水雷戦隊の旗艦に任命されます。
【神通】が「第二次ソロモン海戦」で損傷して戦列を離れている間、二水戦の旗艦は【五十鈴】が務めていましたが、駆逐艦による鼠輸送の役割が更に重要になってきた情勢から、空襲対策として【照月】が抜擢されたのです。
12月7日、拝命したその日に【照月】は空襲を受けた【野分】の救助にあたり、さらに10日には同じく空襲によって損傷した【輸送船 富士山丸・東亜丸】の救助も行っています。
そして11日、山本五十六連合艦隊司令長官の激励を受けた【照月】は第四次輸送作戦を発動。
ショートランドを発ち、10隻の駆逐艦とともにガダルカナル島へ向かいます。
道中で空襲にあうものの、全艦損傷なくこの危機を突破、中継地点になるエスペランス岬に到着します。
通常、周囲の警戒にあたる際はすぐに加速できるように微速航行をしていますが、ここで二水戦司令の田中頼三少将は航跡が空襲を招くことを懸念し、全艦に停止を支持しました。
しかしこの判断が完全に裏目に出てしまいます。
当時の周囲からは、魚雷艇の襲撃を危惧する声がありました。
実は入泊の1時間前に当たる22時頃、魚雷艇との小規模な交戦がありました。
ここでの被害はなく、魚雷艇も撤退していたのですが、たった1時間前です、全滅したわけでもない魚雷艇が再び襲いかかってこない保証はどこにもありません。
23時頃、その魚雷艇によるものだと思われる雷撃が【照月】に襲いかかりました。
2本の魚雷が左舷に直撃し、舵と機関を損傷した【照月】は航行不能となり、さらに重油や火薬に次々と引火して一気に大炎上します。
【嵐】らが懸命に救助・消火活動を行いますが、その痛みを体現するかのような業火は【照月】を覆い隠し、とても【照月】を助けだすことはできませんでした。
止むなくキングストン弁が開放され、【照月】は自沈処分が決定。
執拗な魚雷艇の攻撃が鬱陶しく、救助作業も中途半端な状態で各々は撤退せざるを得ませんでした。
結果、最新鋭の防空駆逐艦を失っただけでなく、輸送任務も一部しか完了せず、第四次輸送作戦は失敗。
そしてこの結果が、ガダルカナル島からの撤退を決定づける大きな一因にもなりました。
連合艦隊司令長官が激励するほどの重要な任務を全うできなかった田中少将は陸にあげられ、そして二度と大海原に出ることはありませんでした。