陸上攻撃機 『泰山』/三菱 G7M

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十六試中型陸上攻撃機「泰山」
全 長20.00m
全 幅25.00m
全 高???m
主翼面積???㎡
重 量16,000kg
航続距離2,778km
発動機
馬力
空冷複列星型18気筒×2「MK10A」(三菱)
2,300馬力×2
最大速度576.0km/h
武 装13mm機銃 6挺
20mm機関砲 2門
爆弾1t~ 1発
航空魚雷1t 1発
符 号G7M
連 コードネーム
製 造三菱重工業
設計者本庄季郎

「一式陸上攻撃機」の生産が始まった昭和14年/1939年、同時に海軍は次の一手として「十六試陸上攻撃機(泰山)」の開発を三菱に命令しました。
しかしその内容は時速556km/h・航続距離7,400kmという馬鹿げた数字で、しかもそれを双発機で実現しろというものでした。
さらに急降下爆撃可能や防弾ゴム皮膜といった嬉しくないオプションもついてきて、三菱は早々に「四発機でないと無理です」とさじを投げています。
しかし海軍はこれを却下、三菱はゴールの見えない難問に立ち向かいます。

三菱は新しいエンジンを製造するためにドイツから工作用の機械を輸入する段取りを立てていましたが、欧州で第二次世界大戦が勃発したためにこの計画はご破算。
続いて自力で「火星」を18気筒にグレードアップしたエンジンの開発に転換しますが、今度はそのエンジンの重量が想定を上回るものになり、この計画も停滞。
設計がまともに進まないため、三菱「十六試陸上攻撃機」に対して計画値の引き下げを求めます。

結果、確かに引き下げは認められたのですが、その代わりに防弾性の大幅な向上が求められました。
更にその内容も「インテグラルタンクゴム皮膜」→「完全防弾ゴム」→「重要部分防弾鋼板」と、どんどん重量がかさむようになっていきます。
エンジンの重量が増加するから設計が頓挫しているにも関わらず、その代わりに他で重量を増やす命令を受けるという、にっちもさっちもいかない事態に陥ります。
また、この再三の変更は計画の練り直しを招いたため、三歩進んでも三歩戻るという、単なる時間の浪費を生み出しました。
結局無駄な時間を5年も使い込み、昭和19年/1944年にようやく「泰山」の計画は中止となりました。