【四式十五糎砲戦車 ホロ】

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全 長5.52m
全 幅2.33m
全 高2.36m
全備重量16.0t
最高速度35km/h
走行距離200km
乗 員5人
携行燃料 
火 砲三八式十五糎榴弾砲 1門
エンジン三菱SA一二二〇〇VD
空冷V型12気筒ディーゼル
最大出力170馬力

各 所 装 甲

砲塔 前面25mm
砲塔 側面20mm
砲塔 後面 
砲塔 上面12mm
車体 前面25mm
車体 側面20mm
車体 後面20mm
車体 上面15mm
車体 底面8mm
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埃を被った大口径榴弾砲をチハに タ弾との組み合わせは幻に

他の戦車や自走砲に比べると明らかに変わった構造の【四式十五糎自走砲 ホロ】
自走砲として最大の15cm砲弾を放ち、しかもその砲は倉庫で眠っていた旧式大型砲を活用する、そして防御力の欠片もないのに対戦車戦にも使うことを想定されていたという、特徴だらけの自走砲です。

改めて確認ですが、自走砲はあくまで野砲、山砲などを扱う砲科所属の兵器です。
大方の火砲は両輪が付いていますが、これを操縦して移動することができるようになったのが自走砲です。
極端に言えば二輪車でも一輪車でも砲が自走できれば自走砲です。
戦車とは全く異なります。

その砲ですが、日本では各種エンジンとともに兵器開発でも連合軍に大きな溝を開けられていて、陸軍では火砲の開発と更新が非常に遅いのが問題でした。
特に戦時中の開発速度は技術力の差を如実に反映しており、結局日本は既存の火砲を改修したりその砲を車体に載せるなどして急場を凌ぐしかありませんでした。

そして凌いでも凌いでも埒が明かず、そして生産数もどんどん落ちてきたため、何かないかと探し回った結果引っ張り出してきたのが、兵器においては骨董品とも言える明治44年/1911年製の三八式十五糎榴弾砲でした。
十五糎というととんでもない大きさです、海軍の軽巡洋艦クラスの砲弾が発射されるわけですから(砲身長は別)。

この砲は「日露戦争」には間に合いませんでしたがドイツ製で、1門2tを超える重さを誇ります。
馬鹿みたいにでかい砲ですからそりゃあ砲撃力は抜群なのですが、この馬鹿みたいなでかさが文字通り足を引っ張ります。
ドイツでは8頭の馬で牽引するとされていたのですが、日本の馬は欧州の馬よりも非力だったため、8頭でも足りなかったのです。
止む無く分解搬送をすることになるのですが、今度はその分解・組み立てが手間で手間で仕方がない。
そもそもそういう運搬方法を想定していない構造なので、持って行くのが大変、組み立てるのが大変、撃つまでに時間がかかると、苦労の割に貢献度が低い砲となってしまいます。

そんなわけで日本では遠の昔にお蔵入りになった三八式十五糎榴弾砲をわざわざ引っ張り出してきて、こいつを【九七式中戦車 チハ】に搭載しようという考えで誕生したのが【ホロ】です。
開発速度は滅茶苦茶早く、昭和14年/1944年7月に陸軍技術本部で開発が始まり、翌8月にもう試作車ができています。
どんだけ簡易構造なんだよと言いたくなりますが、車体に砲を固定し、防楯をつけて、照準器を付けただけと言ってもいい構造です。

射撃は拉縄式、つまり縄を引っ張って発射という一般的な火砲のまま、乗員は6名と【チハ】よりも2人も多く、側面もほとんどガラ空き状態でした。
これは三八式十五糎榴弾砲を砲塔化してしまうと、狭すぎて動きづらいという問題や、当然製造期間を短縮すること、また砲弾の重さが36kgもあり、1人で装填するのは大変だったため人数を増やさざるを得ないという理由があります。
でも自走砲って普通砲塔化しないので、だいたいこういうものです。
砲自体の重さは2tと、15cm車載砲としては逆に軽いため、その点は【チハ】の車輌でも十分でした。
実は陸軍には同じ15cm砲として九六式十五糎榴弾砲を保有していたのですが、この重量が倍の4t超えですから、短射程を忍んで軽量の三八式十五糎榴弾砲を採用したわけです。

しかし短砲身は初速が遅くて貫通力が足りないとあちこちで述べていますが、【ホロ】三八式十五糎榴弾砲は初速が僅か275m/sです。
【八九式中戦車】九〇式五糎七戦車砲でも350m/sあります。
これで非車載の場合の最大射程が5,900mだそうですからほとんど遠投です。

ただし、貫通力に対しては日本には秘密兵器がありました。
ドイツから技術供与を受けて開発された成形炸薬弾「タ弾」を砲弾として、これまでの砲弾とは別次元の貫通力を誇る新砲弾を搭載するつもりでした。
この「タ弾」は他項目で紹介していないだけで、特に本土決戦用の温存車輌・温存砲で使用される計画が多くありました。
「タ弾」そのものも陸上戦で使用されており、その貫通力は火砲だけでなくクラスター爆弾に内蔵されて航空機からの爆撃にも活用されています。

「タ弾」の大きな特徴として、射撃時の推力ではなく、直撃時の穿甲力(化学エネルギー応用)で装甲を貫くため、どれだけ遠方でも直撃さえすれば等しい貫通力を発揮できることです。
なのでこれを使えば初速が遅い三八式十五糎榴弾砲でも、その大口径を活かした膨大なエネルギーで敵戦車をぶち抜く、ともすれば大穴を開けることができるとされたのです。
砲弾数は12発、24発、28発の3説が主なものです。

防御に関しては見た目通り側面・上方・後方はゼロ。
前面装甲も25mmと当時としてはあまり効果がある厚さではなく、【ホニⅢ】のように車輌前面装甲が強化されたわけでもありません。
つまり当時の戦場で【ホロ】が攻撃を受けると全くひとたまりもありません。
そのため【ホロ】は攻撃ではなく防御陣形の中での迎撃に使われることになります。

ですが【ホロ】は最大でも25輌が三菱重工業で生産されたにすぎず、そしてそのうち3門だけが日本を出撃しています。
この3門は昭和19年/1944年12月22日にフィリピンへ向けた「ヒ85船団」の中の【青葉山丸】に運ばれてフィリピンへと向かうのですが、制空権なんて全部アメリカに取られている中の強行輸送だったため、【青葉山丸】はこの輸送中に被弾沈没。
1門が沈んでしまい、
残った2門が数少ない火砲の1つとしてアメリカと対峙します。

この2門は現地の独立戦車第8中隊と連携してクラークフィールド飛行場の防衛で奮戦。
ちょこまかと動き回ってアメリカを翻弄し、約1週間の戦いで【M4中戦車 シャーマン】をはじめ敵戦車7両を撃破したという証言が残されていますがあえなく撤退し、その後の戦いで1門が炎上、もう1門も撃破(放棄?)されました。
とはいえこの時の砲撃は榴弾だったらしく、いくら貫通力の乏しい砲とはいえ100~200mという至近距離で15cm砲を受ければさすがに大ダメージを与えることができました。
これがもし「タ弾」であれば、【シャーマン】は穴だらけになっていたことでしょうが、ついに【ホロ】から「タ弾」が放たれることはありませんでした。
【ホロ】の活躍はこの時のものしか伝えられておらず、本土決戦が叫ばれ始めると【ホニⅢ】と共に独立自走砲大隊10個が編制されることになりましたが、幸いにも本土決戦前に終戦を迎えます。