大日本帝国海軍 記録写真[航空母艦 赤城・加賀]広告写 真 2020.06.10 2017.12.24広告広告航空母艦 赤城大正14年/1925年昭和2年(1927年)6月17日、伊予灘で全力予行運転中のシーン。第1煙突からは排煙冷却のための海水シャワーが出ている。中段飛行甲板への20センチ連装砲2基はまだ搭載していない。昭和17年/1942年 二航戦、五航戦、金剛型昭和14年(1939年)4月27日、宿毛湾で撮影。改装で新設された艦橋構造物は飛行甲板左舷中部に設置されたが、これは世界的にも珍しい配置だ。昭和4年/1929年昭和5年/1930年昭和9年/1934年昭和9年/1934年昭和16年(1941年)12月、太平洋戦争緒戦のハワイ作戦時の艦影。本艦は真珠湾奇襲機動部隊の旗艦として行動し、大戦果を挙げたことは有名である。飛行甲板後端の対空識別標識「ア」に注意。昭和17年/1942年昭和16年/1941年12月 真珠湾攻撃昭和16年(1941年)12月8日、真珠湾へ向かって発艦する制空隊の零式艦戦。艦上では本艦乗員たちが「帽振れ」で発艦を見送っている。マントレットが装備された艦橋がものものしい。昭和16年/1941年12月 真珠湾攻撃昭和16年/1941年12月 真珠湾攻撃昭和16年/1941年12月 真珠湾攻撃インド洋機動作戦中の迫力満点の空撮写真で、昭和17年(1942年)4月、発艦機上から写したもの。本艦の飛行甲板には、艦橋付近から前後にマイナスの傾斜が付けられており、それが非常によく分かる。昭和12年/1937年 赤城、比叡、高雄型昭和12年/1937年 赤城、比叡他昭和17年/1942年6月 ミッドウェー海戦 (随伴艦は野分)昭和16年/1941年12月8日 真珠湾攻撃後昭和16年/1941年11~12月昭和17年/1942年4月5日昭和16年/1941年 航空機整備士の集合写真昭和16年/1941年11~12月昭和16年/1941年 後方は加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍、蒼龍昭和16年/12月8日 真珠湾攻撃昭和16年/1941年12月24日大正14年/1925年4月22日 進水式大正14年/1925年4月22日 進水式昭和8年/1933年8月25日大正14年/1925年6月30日赤城、龍驤 昭和8年/1933年8月24日航空母艦 加賀本艦は昭和9年(1936年)6月~10年6月、島型1段飛行甲板空母への改装を佐世保工廠で施された。写真は工事完成翌年の撮影と思われる。艦橋構造物の位置は、赤城と反対の右舷側である。昭和5年(1930年)の艦影。至近距離で海面近くから見上げた3段飛行甲板(中段は赤城と同様、艦橋の設置により利用できなくなっていた)は迫力がある。右舷真横を向いた第1砲塔に注目。昭和5年/1930年昭和5年/1930年昭和16年/1941年 真珠湾攻撃 加賀、瑞鶴昭和12年/1937年昭和5年/1930年昭和16年/12月6~7日 真珠湾攻撃前の確認昭和12年/1937年5月11日昭和3年/1928年11月20日昭和3年/1928年9月15日改装後昭和9年/1934年昭和4年/1934年加賀と九六式艦上攻撃機大正10年/1921年11月17日 この時点では戦艦として大正10年/1921年11月17日 この時点では戦艦として大正10年/1921年11月17日 この時点では戦艦として大正10年/1921年11月17日 この時点では戦艦として昭和2年/1927年9月20日昭和4年/1929年12月5日大正10年/1921年11月17日昭和4年/1929年2月20日昭和2年/1927年8月20日昭和3年/1928年12月20日加賀、比叡、陸奥 昭和8年/1933年8月25日昭和4年/1929年12月5日昭和4年/1929年4月22日昭和4年/1929年3月20日昭和8年/1933年8月25日昭和2年/1927年2月20日昭和4年/1929年12月5日昭和3年/1928年1月20日昭和4年/1929年9月18日昭和3年/1928年9月15日昭和16年/1941年