陽炎型駆逐艦

不知火 2番艦で、写真は昭和14年/1939年12月20日、引渡式を終えて建造所の浦賀船渠を出港して行くところ。軍縮条約のくびきから解放された日本海軍が、理想的な艦隊駆逐艦として計画したのが陽炎型だった。

雪風 8番艦の本艦は、太平洋戦争中の日本駆逐艦の中で最も有名だ。開戦以来幾多の海戦に参加しながら、ほぼ無傷で終戦を迎えた。写真は公試出動中の姿で、昭和14年/1939年12月ないし15年/1940年1月、佐世保沖で撮影。

天津風 9番艦。昭和15年/1940年10月17日、宮津湾で公試中の艦影である。本艦は高圧高温期間実用化のために実験艦として、のちに登場する高速駆逐艦島風(2代)搭載主缶と同じ蒸気条件(40キロ/平方センチ、400度C)のボイラーを搭載していた。