大日本帝国海軍 記録写真[航空母艦 蒼龍・飛龍]広告写 真 2020.06.10 2017.12.25広告広告航空母艦 蒼龍昭和12年/1937年昭和12年/1937年呉工廠で艤装工事中の状況で、昭和12年(1937年)春に撮影。本艦は当初航空巡洋艦的な空母だったが、友鶴事件の影響を受けて設計を大改正し、コンパクトな艦橋を有する島型空母となった。昭和17年/1942年6月5日 ミッドウェー海戦昭和17年/1942年6月5日 ミッドウェー海戦昭和17年/1942年6月 ミッドウェー海戦昭和16年/1941年12月8日 真珠湾攻撃前昭和16年/1941年昭和10年/1935年12月23日 進水式昭和10年/1935年12月23日 進水式昭和10年/1935年12月23日 進水式昭和13年/1938年1月22日昭和12年/1937年12月29日航空母艦 飛龍昭和14年(1939年)6月20日、横須賀で最終艤装中の姿で、船体は外舷塗装を終え綺麗な状態となっている。九四式高射装置が艦橋トップに装備済みである。昭和14年(1939年)7月5日、横須賀における引渡し当日の姿。印刷ではわかりづらいと思うが、飛行甲板上に儀式用の植物飾りが認められる。この日、本艦は所属港の佐世保へ向けて即日出港した。昭和14年/1939年6月21日昭和14年/1939年6月21日昭和14年/1939年2月20日昭和14年(1939年)4月28日、館山沖で撮影した全力公試シーン。本艦は蒼龍の発展バージョンで、同じく島型空母だが、艦橋構造物は赤城と同様飛行甲板の左舷中央に置く特異なアレンジとなった。昭和14年/1939年3月20日昭和17年/1942年6月5日 ミッドウェー海戦ミッドウェー海戦で赤城以下3空母を喪失後、本艦は一隻で米側に反撃したが遂に大破し、友軍の魚雷で処分された。写真は処分翌日の6月6日朝、鳳翔搭載機が撮影した沈没しばし前の姿。昭和17年/1942年6月6日 ミッドウェー海戦昭和17年/1942年6月 ミッドウェー海戦で生き延びた飛龍の捕虜昭和17年/1942年6月 ミッドウェー海戦で生き延びた飛龍の捕虜駆逐艦バラードが引き上げた、飛龍のカッター