大日本帝国海軍 記録写真[夕雲型駆逐艦]広告写 真 2020.06.10 2017.12.30広告広告夕雲型駆逐艦巻雲 19隻から成る夕雲型(甲型)の2番艦。完成状態の写真で、引渡し当日の昭和17年/1942年3月14日、建造地大阪での撮影と思われる。本型は日本海軍最後の量産型艦隊駆逐艦である。風雲 昭和17年/1942年長波 4番艦で、竣工6日前の昭和17年/1942年6月24日、建造地大阪で撮影したもの。夕雲型の細部が明瞭に看取できる。本型は陽炎型の改型だが、艦橋構造物の前後が傾斜した形状となっている。また12.7センチ連装砲は大仰角75度のD型砲になった。早波 12番艦で、写真は昭和18年/1943年7月24日、宮津沖で公試中の艦影である。この時の速力は35.15ノット。戦訓に基づいて機銃兵装が強化され、前檣中段には22号電探が認められる。浜波 13番艦で、昭和18年/1943年10月10日、宮津沖で公試中の姿。艦橋前面の機銃台には25mm連装機銃を備えている。この時の速力記録は35.42ノットだった。朝霜 16番艦。竣工時の姿で、昭和18年/1943年11月、建造地大阪での撮影らしい。機銃兵装は従来艦よりもさらに強化され、第1煙突の背後にも機銃台を設けている。朝霜 昭和20年/1945年4月7日 坊ノ岬沖海戦早霜 17番艦で、写真は砲熕公試を終え舞鶴工廠に帰投途中の姿。昭和19年/1944年2月の撮影だが、朝霜で見られる第1煙突背後の機銃台はない。秋霜 昭和19年/1944年2月、藤永田造船所で艤装中のシーン。後部の備砲はまだ搭載されていない。陽炎型以来の特徴ある艦尾船底形状がよく分かる。清霜 最終19番艦で、写真は引渡しを終えて建造地の浦賀から横須賀へ向かっているところらしい。第1煙突背後には増強分の機銃台が設けられ、後甲板両舷には防雷具が見える。昭和19年/1944年5月15日撮影。早霜 昭和19年/1944年2月9日秋霜 昭和20年/1945年2月