【伊二百一型潜水艦】(潜高型)

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基準排水量1,070t
水中排水量1,450t
一番艦竣工日伊号第二百一潜水艦
昭和20年/1945年2月2日
同型艦3隻竣工、5隻未成
全 長79.00m
最大幅5.80m
主 機マ式1号ディーゼル 2基2軸
特E型(1,250馬力)電動機 4基
最大速度水上 15.8ノット
水中 19.0ノット
航続距離水上 14ノット:5,800海里
水中 3ノット:135海里
馬 力水上 2,750馬力
水中 5,000馬力

装 備 一 覧

備 砲25mm機銃 2挺
魚雷/その他兵装艦首:53cm魚雷発射管 4門
搭載魚雷 10本
22号電探 1基
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真の潜水艦を目指して 水中高速潜水艦 潜高型

日本の潜水艦技術は、元々後発組だった水上艦よりもさらに遅れており、海軍戦力が比較的強い国々の中では断トツで最下位からのスタートでした。
しかし第一次世界大戦終結後のドイツ潜水艦「Uボート」7隻の獲得と、大正13年/1924年のドイツ潜水艦躍進の大黒柱であったゲルマニア造船所の主任設計者ハンス・ヘッテル博士の招聘によって、日本はこの距離を一気に縮めます。
図らずも潜水艦の技術力をイギリスと二分していたドイツが敗北し、またフランス・イタリアもこの戦争での疲弊と潜水艦技術の低迷が重なり、日本は非常に運がいいタイミングでドイツ潜水艦技術を獲得することができました。

そして日本は一等潜水艦の建造に始まり、大型、高速、水上機搭載等々で欧米の注目を浴びる潜水艦を輩出。
日本の潜水艦建造技術は着実に欧米列強に比するところまで近づいていったのです。

その旧海軍潜水艦の頂点とも言えるのが、莫大な航続距離、十分な雷装と最強の備砲、そして何と言っても特殊水上攻撃機「晴嵐」を3機搭載できるという斬新な設計で有名な「伊四百型」
しかしそれとスペック上では比肩できる潜水艦が日本には存在しました。
それこそが「伊二百一型潜水艦」です。

日本は昭和時代から「海大型・巡潜型」の建造を着々と進めていましたが、その数は潤沢とまではいかず、潜水艦については戦力は整っていても結構ギリギリの状態で戦争に突入しています。
その証拠に、昭和16年/1941年には「マル5計画・マル追計画」の2つの建造計画で潜水艦の早期大量建造が決められました。
さらに開戦後は、潜水艦の役割は敵艦隊への闇討ちではなく通商破壊が求められるようになり、「輸送船なんてちんけな船を沈めるためにわざわざ潜水艦を使うなんて」という海軍の姿勢もあってなかなか活躍の機会はありませんでした。

やがて戦況が五分五分から連合軍側に傾き始めると、レーダー・ソナーの普及によって日本の潜水艦は途端に被害が膨れ上がります。
潜水艦は水上艦と違い、中破・大破という被害規模はほとんどありません。
それぐらいの被害を受けるとほぼ沈没だからです。
特に水中での爆雷や魚雷は、破孔が生じればあとは水圧と浸水で息の根は止まります。

かといって水上航行中に敵艦に見つかると、砲撃が当たれば潜水艦の命は尽きます。
でも潜水艦は潜航のために充電が必要で、それをするためには空気を取り込むために必ず水上に出なければなりません。
ひたすらに潜り続けることができるようになるのは、原子力潜水艦の登場を待たなければなりません。
とにかく潜水艦は、見つからないように進み、見つからないように充電し、見つからないように潜り、見つからないように攻撃し、見つからないように帰る。
何が何でも見つかってはならないのです。

ですがどんどん見つかりどんどん沈む日本の潜水艦の被害はとても見過ごせるレベルではなく、海軍は早急にこの状況を打開できる潜水艦を配備する必要に迫られます。
そこで昭和18年/1943年に提言されたのが、「潜水空母(「伊400型」)の建造再開」「輸送潜水艦の建造」、そして「水中高速潜水艦の建造」です。

潜水艦の潜航速度は2桁に満たないものが多く、速くても10ノットちょっとというものでした。
水上での高速性と水中での高速性の両方を備え持つことは、水の抵抗の受け方が異なるのでほぼ不可能です。
極端に言えば、水上用の形状から潜航用の形状にトランスフォームするぐらいしないといけません。

だいたいは水上速度を優先し、潜航速度には目を瞑るのですが、しかしどこの国もこのおっそい水中での動きをどうにかして速くできないかと実験が行われています。
日本では【仮称第七十一潜水艦】という実験艦が、水中速度25ノットを目標として(水上でもそこまで出ないのに)誕生しています。
当初搭載予定だったドイツのダイムラー・ベンツ製のディーゼルが届かなかったため、最終的には国産ディーゼルを搭載することになりましたが、それでも21.3ノットの水中速度を発揮することに成功しています。

日本はこの【仮称第七十一潜水艦】の成果と、すでに誕生している「甲標的」の設計をもとに、できるだけ長く水中を進み、できるだけ水上にいる時間を減らす、全く新しい潜水艦の建造を目指しました。
そのために必要なのは、潜航行動に合わせた船体設計でした。
前述の通り、これまでの潜水艦は水上での動きが重視され(水中の運動が軽視されたわけではありません)、基本的には水上での速度や運動性、また潜航速度などを考慮して設計されました。
ですが今回の「潜高型」は全く逆で、どれだけ長く、速く水中を移動できるかが重要です。
そのためこれまでの船体とは全く異なるデザインにならざるを得ませんでした。

その上、この戦況と激減する潜水艦の補填のために、同時に求められたのは量産性でした。
1年に2~3隻程度では焼け石に水どころか水をかけることすらできません。
目標は毎月1隻、つまり年間12隻、合計30隻を目標とされ、徹底した効率化、しかし抵抗を限りなく抑えるという難題を突き付けられたのです。

これに対応するための救世主が、遠くドイツから日本へと渡ってきました。
「遣日潜水艦作戦」で無事渡日に成功した【U511】は、当艦の無償譲渡に加えて、ドイツの溶接技術とそれに適した高張力鋼St52の工法を得ることができました。
第二次世界大戦でもドイツの潜水艦戦力は世界一と言え(それでもソナーには敵わず、この時期は日本同様被害が激増しています)、再び日本はドイツの先進技術を取り入れようとしたのです。
さらにブロック工法によって工期を短縮。
内部構造はともかく、外部構造はいたってシンプルな潜水艦とブロック工法の相性はよく、以後の潜水艦建造でもブロック工法が取り入れられています。

これにより量産・工期短縮の算は立ちました。
後は目下の目標である水中高速性能です。

その速度ですが、ペーパープランの段階での水中最高速度はなんと25ノットでした。
【仮称第七十一潜水艦】で達成できなかった速度を何とかこの「潜高型」で、という思いがあったのでしょう。
しかし速度最優先にしようにも、「潜高型」には同時に航続距離の延長も必要でした。
それはそうです、最高速度を出せるのが10分だけとかなら、飛行機の対応可能範囲の移動しかできません。
高速を維持、もしくは低速でも超長距離を移動するためには、様々な装備が必要でした。
そのため、速度は20ノットに、しかしそれも不可能となり、最終的には19ノットにまで落ちてしまいます。
それでも十分速いほうなのですが。

その速度を減速せざるを得なかった装備についてです。
まず、潜水艦の潜航中の動力は充電した電池です。
この充電が多ければ多い程長距離を潜行することができます。
なので「潜高型」には「甲標的」にも使用された「特D型」と呼ばれる蓄電池を大量に、具体的には2,088個も搭載しています。

また、これとは別に水中充電装置のシュノーケルを設置することで、たとえ充電が切れてもこれまでのように水上に上がることなく、少なくとも船体は海中に留めたままこのシュノーケルを通じて外気を取り入れることが可能になりました。
ディーゼルエンジンは吸気ができないと動きませんから、このシュノーケルを通って入ってくる空気でディーゼルを動かし、二次電池に充電をすることで水中航続距離を増やす、といった仕組みです。

さらに、開発された22号電探の搭載によって抵抗が当初よりも増してしまい、水中航続距離は3ノットで40時間、最速の19ノットで約1時間の航行という性能になりました。

一方で、取り付ける予定が失敗して諦めた装置もあります。
「潜高型」には大出力の特E型電動機が4基搭載されていました。
それに対して本来であれば減速装置をディーゼルと電動機の間に取り付ける予定だったのですが、これがとてつもなくうるさく、隠蔽にとても重要な静音性を阻害してしまいました。
これにより減速装置の設置は取りやめとなり、結果的に電力消費の軽減ができず、想定よりも航続距離は短くなってしまいました。
それでも「潜補型」でも搭載された「自動懸吊装置」「重油漏洩防止装置」も搭載し、さらにブロック工法や流線形を重視した船体、さらに高張力鋼St52を用いた全溶接の取り組みによって、「潜高型」はこれまでとは全く異なる、素晴らしい潜水艦として世に現れる、はずでした。

高性能はハイリスク 遅すぎた竣工と背伸びしすぎた設計

新設計の船はともかく、装備においては高確率で失敗するのが日本です(別によその国が失敗しないとは言いませんが)。
まず、搭載したドイツのマン社マ式1号ディーゼルが故障を連発。
これはもともと駆潜艇に搭載するために用意しておいたものを潜水艦用に改造したものだったのですが、この故障の頻度は容認できるレベルではなく、修理が何度も行われました。
また、これほどの速度を出す潜水艦はもちろん初なのですが、これにより最高速度で移動すると船が安定しないことがわかりました。
ディーゼルの修繕と最高速度での不安定さの危険から、結局現実的な最高速度は17ノットにまで落ちてしまいます。
ただ、これでもまだ十分速い速度です。

他には「特D型蓄電池」も耐久性が悪く、しょっちゅう交換や整備が必要でした。
【伊202】では火災も起こっており、蓄電池の扱いにはほとほと参っていました。
対応として【伊207】からは蓄電池を大型の「一号三三型」へと交換する予定でしたが、残念ながら【伊207】は完成することなく工事中止となっています。

退避のために重要な潜航速度も、30秒という計画に対して実際は普通に潜航を行えば全没まで110秒もかかったそうです。
急ぐための負浮力タンクを使っても90秒かかったようで、さすがにこれだけ時間がかかると爆雷の餌食になりかねません。
注水速度が遅いのが原因で、それの改善と耐圧タンクを2個に増やしたことでようやく40秒にまで縮まったそうです。

他には「海大型」に比べると小型の船体の中、蓄電池でめちゃくちゃスペースを取ってしまったため、ただでさえ狭すぎる潜水艦がもっと圧迫されしまいました。
こういう場合どこが割を食うかというと、当然居住区です。
潜水艦の場合は居住区といえばほぼ寝台だけなのですが、これが2、3人で1つの寝台という超劣悪環境になってしまいました。

こんな感じで、苦心の末に完成した「伊二百一型潜水艦」ですが、スペックだけで見るとかなり画期的な反面、動かしてみると欠陥が次々と明るみに出てしまいました。
計画23隻に対して竣工したのはたったの3隻、そしていずれも訓練ばかりで一度も任務を負うことはありませんでした。
【伊201】【伊203】は終戦後にアメリカに回航されて調査をされたのですが、その評価は「危ない船」でした。
つまり、手に負えない技術をふんだんに使いすぎたということです。

しかし時を経て、再び日本が独自に潜水艦を建造することが許されると、昭和29年/1954年から海上自衛隊国産第一号潜水艦の議論が始まりました。
この結果誕生する【おやしお】のベースとなったのは、何を隠そうこの「伊二百一型潜水艦」でした。
先取りしすぎた「伊二百一型潜水艦」は、終戦後の新しい日本の門出を担う存在として貢献しています。

同 型 艦

伊号第二百一潜水艦伊号第二百二潜水艦伊号第二百三潜水艦
伊号第二百四潜水艦(未成)伊号第二百五潜水艦(未成)伊号第二百六潜水艦(未成)
伊号第二百七潜水艦(未成)伊号第二百八潜水艦(未成)