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【伊四百型潜水艦】(潜特型)

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基準排水量 3,530t
水中排水量 6,560t
一番艦竣工日 伊号第四百潜水艦
昭和19年/1944年12月30日
同型艦 3隻竣工、2隻未成
全 長 122.00m
最大幅 12.00m
主 機 艦本式22号10型ディーゼル 4基2軸
最大速度 水上 18.7ノット
水中 6.5ノット
航続距離 水上 14ノット:37,500海里
水中 3ノット:60海里
馬 力 水上 7,700馬力
水中 2,400馬力

装 備 一 覧

備 砲 40口径14cm単装砲 1基1門
25mm三連装機銃 3基9挺
25mm単装機銃 1挺
魚雷/その他兵装 艦首:53cm魚雷発射管 8門
搭載魚雷 20本
22号対水上電探 1基
13号対空電探 1基
航空兵装 特殊水上攻撃機【晴嵐】 3機
四式1号10型射出機 1基
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世界最大の潜水艦の野望 アメリカ本土空襲

戦果は別として、世界では耳を疑うような奇想天外な発想から生まれた兵器、艦艇、戦車などがたくさん存在します。
氷山空母(構想はイギリス)しかり、列車砲(最大のものを持っていたのはドイツ)しかり、まるでSFの世界が現実に現れたかのようなものですが、これら含め、歴史上には数多くのとんでも兵器の構想があったのです。

さて、日本では戦争中の構想の一つとして、「アメリカ本土を空襲する」というものがありました。
日本は昭和17年/1942年4月に「ドーリットル空襲」があり、その後、特に戦争終盤では本土空襲がたびたび行われました。
しかし「ドーリットル空襲」以前の2月に、日本は【伊17】がアメリカのカリフォルニア州の石油精油所を砲撃しており、その時のアメリカの混乱ぶりから、アメリカへの本土空襲がいかに重要であるかを日本は痛感していました。
また「ドーリットル空襲」を受けた後、9月には【伊25】に搭載された【零式小型水上機】が、9月にアメリカ本土空襲を2度行っていますが、これはどちらも森林を狙い、かつ火災もほとんど起こりませんでした。
(「ドーリットル空襲」は都市部を標的としていますが、あくまでも軍事拠点などの「戦争関係者」が滞在する場所を狙っています。民間人で亡くなった方がいますが、「東京大空襲」のような国際法違反にはあたりません。)

ですが本土空襲となれば、アメリカは地球のほぼ反対側ですのでそこまで航空機を輸送する空母が必要です。
しかし、日本は結局空母をアメリカに向けて出撃させることができませんでした。
理由は当然「ミッドウェー海戦」による空母壊滅で、空襲をしようにも空母がいないのですから、実行できるわけがなかったのです。

さて、五航戦をはじめ残存する空母をアメリカに差し向けれるほど日本は優勢でありません、むしろ劣勢になりつつあります。
しかしアメリカ本土空襲は捨て去ることのできない可能性でした。
そんな中、昭和17年/1942年9月に空母中心の建造計画に改められた「改マル5計画」の中に「潜特型」という分類が現れました。
それが何を隠そう、「伊四百型潜水艦」です。
この「伊四百型潜水艦」こそが、機動部隊によるアメリカ本土空襲の代案として計画された、まさに秘密兵器、帝国海軍史上最も壮大と言ってもいい計画艦でした。
「伊四百型潜水艦」の建造計画自体は「改マル5計画」が取りまとめられる前から進んでおり、ここで正式に「潜特型」として分類、発表されたと考えるのが自然でしょう。)

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晴嵐専用潜水艦 壮大な計画に見合った構造

「伊400型」は、水上機を発艦することができるため「潜水空母」とも呼ばれます。
また、後述のパナマ運河破壊については、どのタイミングで議論が持ち上がったのかが諸説あります。
「伊400型」竣工後なのか、山本五十六亡き後なのか、立案時からそもそもパナマ運河が標的だったのか、はっきりしていません。

「伊400型」の役目は、上記の通り「アメリカの本土空襲」です(山本五十六立案説が有力です)。
しかも【伊25】のような、「空襲をした」という事実を手に入れるためだけではなく、アメリカの中枢を直接爆撃するというとても本格的なものでした(軍事拠点か民間か、その面での標的は不明です)。
アメリカの中枢といいますと、当然ワシントンやニューヨークになります。
しかしワシントンやニューヨークは東海岸、つまりヨーロッパ側ですから、飛行機ならともかく、船で行くとなると航路はどうなるのでしょう。
なんと日本はマゼラン海峡をかすめ、南アメリカ大陸をグルっと回って北米まで上がろうとしたのです。
果たして何海里あったのでしょうか。

「伊400型」には多方面の要求が課せられましたが、何よりもまず、たどり着かねばなりません。
普通なら潜水母艦や給油艦等の協力を得て、道中で給油を行うのですが、今回は島から島へ渡るのではありません。
日本列島から地球を半周してアメリカ本土を攻撃し、それからまた帰ってこなければならないのです。
それも無補給で。
当然です、オーストラリアは連合国側、南米は表立って戦争に加担していませんが、いきなり補給してくれと現れてそれが連合国側に知れ渡っては元も子もありません。

要求された航続距離は33,000海里。
キロになおすと61,116km(1海里=1,852m)。
赤道の距離をベースとした地球1周は40,077kmですから、つまり「無補給で地球1周半できる潜水艦を用意しろ」と言っているのです。
これを聞いた時、設計に携わる人達はどんな心境だったのでしょうか。

この途方も無い航続距離を実現すべく、「伊400型」は従来の潜水艦とは全く違った構造へと変貌します。
通常の潜水艦は、真っ二つに切ると断面図が円形なのですが、この「伊400型」は円筒を2つくっつけて、断面図が眼鏡型になるような構造になっています。
眼鏡型になった理由としては、大型化に伴う安定性の維持があります。

安定性についてですが、内殻の上方には、水密された飛行機格納筒や司令筒など、大型の上部構造物を設置しなければならなかったため、通常の円筒形だと上部に重いものが集まりすぎて不安定だったのです。
その不安定さを解消するために、眼鏡型を採用して横幅を大きくとっています。
格納筒は眼鏡型の中心に発生するくぼみにはまるように設置され、司令塔(艦橋にあたる部分)はその上に置かれました。
その他にも、航続距離実現のための形状や燃料搭載量の増という理由もあります。

その結果、「伊400型」の全長は120mにまでなります。
120mというと、近い比較対象は全長119mの「夕雲型駆逐艦」があります。
さらに排水量は3,530tと、これは比較対象が【夕張】【天龍】になるほどの大きさ。
当然ながら当時世界最大、どころか2012年まで世界最大の座にはこの「伊400型」がついていたのです(2012年に中国の「032潜水艦」が、排水量3,797tで世界一となっています)。
スケールだけでなく、その存在そのものもまた巨大なものでした。

次に、到着すれば「攻撃」です。
今回は空襲による本土攻撃ですから、水上機を運用できなければなりません。
しかし以前【伊25】から飛び立った【零式小型水上機】は、あとで焼夷弾を積めるように改造された臨時案であり、もともとは攻撃機ですらありません。
本格的に空襲をするのであれば、本格的に空襲ができる水上機が必要でした。

その水上機が【晴嵐】です。
【晴嵐】は13mm機銃を一挺装備、また800kg爆弾1発か45cm魚雷1発を搭載できる、更には急降下爆撃も可能という、潜水空母から飛び立つとは思えない強力な水上機でした。
【晴嵐】の説明はここでは省略いたしますが、「伊400型」【晴嵐】は互いが互いのために存在しており、「伊400型」【晴嵐】を搭載できるような設計を、【晴嵐】「伊400型」に収納されるような設計をすることが決められていました。

「伊400型」にはこの【晴嵐】を2機搭載することになっていましたが、この【晴嵐】がまた大型で、収納するのに大変苦心しています。
これまでの【零式小型水上機】は文字通り小型で、かつ潜水艦そのものももちろん「伊400型」ほどの大きさではありません。
しかし【晴嵐】は800kg爆弾を積んでかつ急降下爆撃ができる機体ですから、重量はもちろん、サイズもプロペラも大型になります。
プロペラの全長は4m弱だったので、格納筒の直径は4mというギリギリのサイズになることが決定。
しかしその4mに収めるには両翼もまた4m以内に収めなければなりませんでした。

最初は両翼を上に折りたたみ、機体の上で三角形ができるような形を試してみました。
しかしこれでは高さが4mを超えてしまい、収納することができませんでした。
羽をどう折りたためばいいか。
この難問がしばらく設計者たちを苦しめましたが、ついに編み出されたのが、羽をまずくるっと90度回転させ、その後羽を後ろ側に折りたたむという二段構造でした。

人間で表しますと、直立している時、頭が機体の先頭になり、両腕が羽になります(うつ伏せに寝るとよりわかりやすいかもしれません)。
手のひらを正面に向け、両手を横に伸ばします。
これが通常の飛行機の状態です。
その両手の手のひらを、正面から下に向けます。
これが「くるっと90度回転させ」の部分にあたり、そしてその手を下にさげれば「気をつけ」の姿勢になると思います。
また、水平尾翼、垂直尾翼も折り曲げてともに格納筒に収まるように設計。
このように【晴嵐】のあらゆる羽を折りたたむことで、ギリギリ4mの格納筒に収めることができたのです。

また、嵩増しになってしまう水上機のフロートは取り外し、格納筒とは別の場所で保管するようになっていました。
発射用のカタパルトには四式一号十型という、【大和】に搭載されていたものよりも更に大型のものを搭載。
4t以上の重さになる【晴嵐】に耐えうる構造でした。

こうして溢れ出る難題を辛くも突破し、ようやく「伊400型」の設計は完成します。
そしてアメリカに奇襲を仕掛けるべく「伊400型」は昭和18年/1943年1月から建造が開始されました。

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史上最大の奇襲から、やぶれかぶれの突撃に

しかし、一安心したのもつかの間、合計18隻の建造が計画されていた「潜特型」が、一気に10隻まで削減されてしまいました。
単に減っただけなら設計、建造に支障はないのですが、減った分の戦力を補えとなると話は別です。
【晴嵐】2機搭載の「伊400型」を、急遽3機搭載へ変更するように通達が入ったのです。

すでに起工していた【伊400】はいきなり設計変更を迫られ、とにかく確実に延長しなければならない格納筒がさらに10m伸びました。
しかしそれだけは対応できず、機体尾翼にある方向舵を曲げてそのスペースに後続機体の頭を入れ、それでももうちょっと、という状態だったので、最終的には格納筒の扉に直径50cmのくぼみを付け、【晴嵐】と接触することがないようにしました。
本当にギリギリ収まった【晴嵐】3機のスペースを確認し、再び「伊400型」は建造に入ります。

ところが「伊400型」の運命に順調という文字はありません。
第二次世界大戦は同盟国であるドイツ、イタリアの敗北が濃厚となってきました。
ということは、戦争終結後、連合国である米英の戦力がこの太平洋戦争に集結することになります。
ただでさえ劣勢なのに、欧州の戦力までもつぎ込まれたらたまったものではありません。
狙いは東岸のワシントン、ニューヨークではなく、その戦力が確実に通過するパナマ運河の破壊へと変更されました。

パナマ運河、アメリカが明治36年/1903年に着手し大正3年/1914年に開通した、スエズ運河と並んで世界の海運に欠かせない重要施設です(現在はパナマ共和国が管轄)。
特にアメリカの艦船の多くは、このパナマ運河の大きさに準拠したサイズで設計されています。
当然パナマ運河を通過できるようにするためです。
通過できなければ「伊400型」のように南米をぐるっと回る羽目になります。

つまり、パナマ運河を破壊すれば太平洋戦争への戦力到着が確実に遅れ、また戦力そのものも大幅に減らすことができます。
船には航続距離があります、要所で補給をしなければ燃料が足りません。
それに航海の日程の増大も馬鹿にできません。
加えて民間を含めた多くの物流が停滞し、海軍で言えば艦船建造の遅れにもつながります。
パナマ運河を通過できるできないは、単に距離だけではない様々な影響があるのです。

先に説明しましたが、【晴嵐】には魚雷を搭載することができます。
これは当初からの計画でなく、パナマ運河破壊計画が決まってから要求されたものです。

このパナマ運河破壊計画に際し、海軍はこのパナマ運河開通に関わった青山士(あきら)を呼び出し、写真や設計図の要求と、どこを攻撃すれば効率よくパナマ運河を破壊できるかと尋ねました。
それに対して青山「私は運河を造る方法は知っていても、壊す方法は知らない」と返答したというエピソードがあります。
世界的プロジェクトに関わった一民間人が、戦争という題目の下に自らの成果を破壊しろと通達された時の心境は察するに余りあります。

昭和19年/1944年12月30日、【伊400】が竣工、続いて【伊401】が昭和20年/1945年1月8日に竣工します。
もはや太平洋戦争の情勢をひっくり返せる余地はありませんでしたが、2隻は必死に訓練に励みます。
【晴嵐】も格納筒に入った状態で射出できるわけではありませんので、【伊401】が海面に浮上後、すみやかに組み立てを行い、カタパルトに乗せなければなりません。
【晴嵐】はこの作業の時間短縮に注力していました。
当初は3機発射までに半日はかかっていたそうですが、たゆまぬ努力の末、わずか10分少しで3機が射出できるようになりました。

準備は整いました、あとはアキレス腱であるパナマ運河の破壊に向かうだけです。
3隻目の【伊402】の竣工は7月だったので、決行はそれ以降だったと推測されます。
(パナマ運河への攻撃は特攻だったという説もあります。)

しかし、またも「伊400型」の目論見は崩れます。
原因は沖縄戦の勃発、そしてもう一つは、連合軍艦隊がすでにパナマ運河を通過し、太平洋に到着しているという事実が判明したためです。
破壊だけならそれなりの効果はあるでしょう、しかし日本にはもう戦力維持の体力なんて残っていません、みんな精神と命だけで戦っています。
この状態で必要なのは「パナマ運河破壊」の事実ではなく、シンプルに「敵戦力の削減」でした。
「パナマ運河破壊」程度で戦意高揚になんて繋がる余地がなくなっていたのです。

結果、【伊401】の標的は再度変更、そしてその内容は、またも最悪の形となってしまいます。
ウルシー泊地、【晴嵐】による特攻。
沖縄戦も「坊ノ岬沖海戦」もそうですが、もはや命は華々しく散らすものだという風潮が軍司令部では蔓延しており、今回も爆撃と特攻でどちらが効果的であるかではなく、特攻前提で話が進んだようです。
そのため、本来帰還用に必要なフロートは装着されなくなりました。

先んじてウルシー泊地偵察のため、【伊13、伊14】【彩雲】をトラック島へ輸送するために7月11日に大湊を出発。
【伊14】は8月4日に無事トラック島へ到着しましたが、しかし【伊13】は予定日を過ぎても到着しておらず、戦後アメリカの報告として7月16日に撃沈されていたことが判明しています。

【彩雲】の偵察は成功し、特攻の日程は8月17日に決定します。
7月20日にすでに【伊400、伊401】は大湊を出港しており、それぞれ単独別ルートでウルシー泊地を目指していました。
ちなみにもう1隻の【伊402】は竣工が間に合わず、この作戦には不参加でした。

8月14日、【伊400】は無事合流予定海域に到着、【伊401】も到着していたのですが、お互いが合流することはできませんでした。
そして翌15日、両艦は艦内で玉音放送を受信するのです。

もはや戦うべき相手はいません、日本は連合国に敗北を認めたのです。
しかしこのままおめおめと引き下がれるものか、我々に再び踏む土はない、と特攻を予定通り結構するという意見と、ここで潔く自沈するという意見が【伊401】艦内で激しく議論されました。
この2つの議論に挟まれた南部信清艦長は、冷静に、「帰還」の命令を下します。
この玉音放送を聞いて、陛下のご意思に背いてなお牙を向ける訳にはいきませんでした。
同じく【伊400】でも特攻、帰還で意見が割れており、そしてこちらもまた日下敏夫艦長の命令によって帰還が決定。
ともに意見交換したわけではなく、各々の判断で帰還を決めた点は非常に評価できると思います。

両艦に搭載されていた【晴嵐】は、残念ながら海中に全て投棄されてしまいます。
「伊400型」だけでなく、この【晴嵐】もまた秘密兵器でした。
敗北したとはいえ、簡単に差し出したくはありません。

8月27日、【伊400】は三陸沖を浮上航行中に【米ガトー級潜水艦 ブルー】に発見され、翌々日に29日に拿捕。
29日には【伊401】も三陸沖で【米バラオ級潜水艦 セグンド】に発見され、翌日に拿捕されました。

【伊400】は30日、【伊401】は31日にそれぞれ横須賀へ帰港。
掲げられていた旗に陽は上がっておらず、48(当時)の星が輝いていました。

アメリカはこの巨大な潜水艦の存在に驚きます。
なにせ世界最大です、自国が持っていた主力潜水艦「ガトー級」は全長95m、排水量は1,825t。
全長は約1.3倍、排水量はなんと約2倍です。
【晴嵐】は投棄されていたので実物を見ることはできていませんが、まさに秘密兵器にふさわしい存在感でした。

アメリカは接収後の昭和21年/1946年1月、早速この「伊400型」の調査を始めます。
日本はたびたびアメリカを脅かす兵器を造ってきましたが、その内容を知ることは何よりも自国の利益になります。
また、アメリカには戦争終結後も強大な敵がそびえ立っています。
何を隠そう、ソビエト連邦です。
社会主義国筆頭のソ連相手に、できることはなんでもやっておかねばなりません。

その性能の高さと、格納できる航空機の数に驚いたアメリカは、2隻の「伊400型」を自軍の重要戦力として利用することも検討します。
しかしそのソ連の魔手が早くも米に伸びることになります。
すでにソ連は「伊400型」の存在を知っており、ソ連はアメリカに「伊400型」の検分を申し入れました。

かつて日本の兵器だった「伊400型」は、今やアメリカにのみ存在する唯一無二の技術です。
それがソ連に渡ってしまっては、貴重な優位性を損なうことになります。
昭和21年/1946年6月、アメリカは、世界最大の潜水艦2隻をハワイ沖で相次いで海没処分。
「伊400型」の生涯は、浮上中に魚雷を受けて沈没という、屈辱的な形で幕を閉じました。
アメリカは2隻の処分の理由は公表しておりませんが、状況から察するに、ソ連への検分を拒むためと捉えるのが自然でしょう。

長きに渡り造船技術を磨いてきた帝国海軍の最後の結晶とも言える「伊400型」
その本懐は果たすことができませんでしたが、この実績もあってか、潜水艦造船技術において日本は現在でも世界トップクラスを維持しています。

同 型 艦

伊号第四百潜水艦 伊号第四百一潜水艦 伊号第四百二潜水艦
伊号第四百四潜水艦(未成) 伊号第四百五潜水艦(未成)
潜水艦
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※1 当HPは全て敬称略としております(氏をつけるとテンポが悪いので)。

※2 各項における参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
わかっている範囲のみ、各項に参考文献を表記しておりますが、勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。

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