基準排水量 | 1,630t |
水中排水量 | 2,502t |
一番艦竣工日 | 伊号第百七十六潜水艦 |
昭和17年/1942年8月4日 | |
同型艦 | 10隻 |
全 長 | 105.50m |
最大幅 | 8.25m |
主 機 | 艦本式1号乙8型ディーゼル 2基2軸 |
最大速度 | 水上 23.1ノット |
水中 8.0ノット | |
航続距離 | 水上 16ノット:8,000海里 |
水中 5ノット:50海里 | |
馬 力 | 水上 8,000馬力 |
水中 1,800馬力 |
装 備 一 覧
備 砲 | 45口径12cm単装砲 1基1門 |
25mm連装機銃 1基2挺 | |
魚雷/その他兵装 | 艦首:53cm魚雷発射管 4門 |
搭載魚雷 12本 | |
九三式水中聴音機 1基 | |
九三式水中探信儀 1基 |
海大型の最終型 潜航速度の改善と海大一の大所帯
「ロンドン海軍軍縮条約」の影響で、日本の潜水艦には1隻の最大基準排水量が2,000t、総保有排水量は52,700tに制限されました。
しかし「海大六型」建造中の昭和11年/1936年に日本は「ロンドン海軍軍縮条約」から脱退。
再び建艦競争が始まり、日本はこれまで不満に思っていた各艦種の大型化に踏み切ることになりました。
潜水艦は少し間が開いていた「海大型」の最新化を狙い、「第四次軍備補充計画」によって新しい設計が始まりました。
排水量は1,630tとなりましたが、不用意に大きくなったわけではありません。
サイズだけでいえば「海大六型b」とほとんど同じです。
最新の「海大七型」は運動性能と潜航速度を重視され、排水量の増はここに割かれました。
水上速度を落とさず、緊急退避のための潜航速度を高めるには、これまでとは全く異なる設計が必要となります。
ただ、その代償として航続距離が水上16ノット:8,000海里と減少しました。
これには機関が低過給性能の艦本式1号乙8型、つまり少し出力が落ちるものに変更になった影響もあります(小型化されたのでしょうか?)。
また魚雷発射管も艦首6門に対して艦尾全廃と、これまでの「海大型」とは雷撃兵装が大きく異なっています。
艦尾魚雷発射管の撤廃から、艦尾設計の変更が「海大七型」の特徴だと推測されます。
搭載数も12本と、全門発射機会は2回しかありませんが、しかし搭載魚雷はついに九五式魚雷、つまり酸素魚雷の搭載が実現し、無気泡発射管と合わせて非常に隠蔽性の高い雷装を備えることになりました。
「海大七型」は一番艦の【伊176】が昭和17年/1942年8月に竣工。
すでに「ミッドウェー海戦」で敗北し、アメリカ勢力の盛り返しが始まっていたころです。
逐次作戦に投入されましたが、【伊179】が竣工僅か1ヶ月で、訓練中にメインタンクに誤って海水が流れ込んで沈没、残りもすべて作戦行動中に連合軍に撃沈させられています。
同 型 艦
伊号第百七十六潜水艦 | 伊号第百七十七潜水艦 | 伊号第百七十八潜水艦 |
伊号第百七十九潜水艦 | 伊号第百八十潜水艦 | 伊号第百八十一潜水艦 |
伊号第百八十二潜水艦 | 伊号第百八十三潜水艦 | 伊号第百八十四潜水艦 |
伊号第百八十五潜水艦 |