全 長 | 6.80m |
全 幅 | 2.40m |
全 高 | 2.75m |
全備重量 | 15.0t |
最高速度 | 40km/h |
走行距離 | |
乗 員 | 7人 |
携行燃料 | |
火 砲 | 試製四式三〇〇粍重迫撃砲 1門 |
重機関銃 1門 | |
エンジン | 統制型一〇〇式発動機空冷直列8気筒ディーゼル |
最大出力 | 165馬力 |
各 所 装 甲
砲塔 前面 | |
砲塔 側面 | |
砲塔 後面 | |
砲塔 上面 | |
車体 前面 | 8mm |
車体 側面 | 6~8mm |
車体 後面 | |
車体 上面 | 4mm |
車体 底面 |
30cm大口径の迫撃砲 時節を見ない開発で噴進砲の誕生で消滅
まず迫撃砲と何ぞや。
砲撃の写真や映像で、陸上に身長の7割ぐらいの長さの筒を固定し、そこに砲弾を入れて耳を塞ぎ、ポーンと飛ばしているものを見たことがあると思いますが、あれが迫撃砲です。
迫撃砲は軽い、小さい、簡単に撃てるのを特徴とし、射程が短い、狙ったところに落ちるかはわからないという問題はありますが、敵陣に無差別にポンポンと爆弾を落とすには効果的な火砲です。
また、迫撃砲は歩兵所有の火砲であることも特徴の1つです。
昭和18年/1943年4月、当時の日本の迫撃砲として大きな砲弾を放つことができたのは九六式中迫撃砲、九九式中迫撃砲(いずれも15cm)、そして同年に完成する二式十二糎迫撃砲の3つでした。
九六式、九九式は迫撃砲の威力増大を狙ったのですが、本来迫撃砲には不要な駐退復座機を設置せざるを得ないデメリットが大きく(構造の複雑化、重量増など)、結局使いづらいということで戦時中に二式十二糎迫撃砲が開発されたわけです。
しかし迫撃砲の威力を高めたいという思いがなかなか捨てきれない陸軍は、30cmという旧戦艦レベルのとんでもない口径を持った迫撃砲を開発し、かつそれを自走化してしまえということを思いつきます。
榴弾砲でええやんって思うんですけど、同じ口径の砲弾だと榴弾砲よりも迫撃砲のほうが軽量で済みますから、単純にでかい弾をぶち込みたいということでしょう。
制式化されたばかりの三式三十糎迫撃砲を車体に搭載するため、陸軍ではこれを搭載できる車輌を探します。
結果、車輌には【四式中型装軌貨車 チソ】が採用されることになりました。
とにかく砲が大きい上、仰角を得るためにこの状態からさらに上に上げたりするにはかなりのエネルギーが必要です。
なので構造としては、通常が写真の状態、発射時はこのまま砲をスライドさせて後ろに下げていき、地面と接地させて砲撃時の衝撃を全て地面で受け止める方法をとっています。
この他にも衝撃をより吸収させるために、駐退器と復座器が両側に2本ずつ装備されています。
そして仰角は50度固定とし、最大射程3,145mの距離を飛翔するというものでした。
砲弾の重さは170kgのために揚弾機、装填機も設置する必要があり、砲の固定も含めて他の戦闘車両に比べるととてつもなくメカらしさが出ています。
そうです、機械化部分が非常に多いのです。
完成した【試製四式重迫撃砲 ハト】はこれが最大のネックでした。
冒頭の通り、迫撃砲は軽く、小さく、簡単に撃てるのが特徴だったのですが、こいつはそれと真逆を突っ走っているのです。
戦時中にこんなのを試作するだけでも苦しいのに、これを量産するというのはあまりにもコストパフォーマンスが悪かったのです。
砲のコストに加えて、この砲弾を運ぶトラックも別で用意する必要がありますし、しかもそのトラックに積める砲弾の数も他の砲や戦車よりも確実に減ります。
戦況が劣勢に立たされている今、悪く言えば「あの辺りに適当に撃っとけ」の迫撃砲にこんなに莫大なコストをかける余裕がありませんでした。
加えて日本では噴進砲の開発に遅ればせながらも成功。
噴進砲、すなわちロケット砲は砲弾そのものに推力を持たせたもので、これまでのように砲の力で遠くまで飛ばす必要がなくなりました。
こうなると一発の威力は依然劣るものの、迫撃砲と同じくらいの大きなの砲筒から長距離を連続して攻撃することが可能となります。
迫撃砲に長射程が加わったような噴進砲は、コストも安いし砲も砲弾も軽便で、【ハト】のお株を完全に奪う存在となりました。
こうして【ハト】は試作車4輌が開発されたに留まり、もちろん実戦にも使用されていません。
ただ、単純に性能としてはよかったようで、使う機会があれば駆り出されていたかもしれません。