基準排水量 | 2,620t |
水中排水量 | 4,762t |
一番艦竣工日 | 伊号第十三潜水艦 |
昭和19年/1944年12月16日 | |
同型艦 | 2隻竣工、2隻未成 |
全 長 | 113.70m |
最大幅 | 11.70m |
主 機 | 艦本式22号10型ディーゼル 2基2軸 |
最大速度 | 水上 16.7ノット |
水中 5.3ノット | |
航続距離 | 水上 16ノット:21,000海里 |
水中 3ノット:60海里 | |
馬 力 | 水上 4,400馬力 |
水中 600馬力 |
装 備 一 覧
備 砲 | 40口径14cm単装砲 1基1門 |
25mm三連装機銃 2基6挺 | |
25mm機銃 1挺 | |
魚雷/その他兵装 | 艦首:53cm魚雷発射管 6門 |
搭載魚雷 12本 | |
九三式水中探信儀 1基 | |
九三式水中聴音機 1基 | |
航空兵装 | 特殊水上攻撃機『晴嵐』 2機 |
四式1号10型射出機 1基 |
甲型改二はリトル潜特型 しかし晴嵐の搭載機会はゼロ
身も蓋もないですが、「伊十三型潜水艦」を知るのであれば「伊四百型潜水艦」のページを見ていただいたほうがより詳しく紹介しております。
それぐらい「巡潜甲型改二」は「潜特型」に影響を受けているので、ここでは「巡潜甲型改二」の誕生経緯と「潜特型」との相違点をご案内いたします。
昭和17年/1942年、前年に計画された「マル5計画」を「ミッドウェー海戦」敗北を受けて大幅に改定した「改マル5計画」が計画されました。
「改マル5計画」では水上戦闘艦の多くが廃案、縮小となり、空母と潜水艦や補助艦艇が激増しています。
潜水艦に至っては45隻の計画が139隻と100隻近い増備計画となっており、いかに潜水艦の建造が急がれたかが一目瞭然です。
ただ、この段階では潜水艦運用の根本的な問題は変わっておらず、戦況に見合った方向転換ができていたかといわれると不十分でした。
この計画の中で特型潜水艦が18隻計画されています。
これこそが「潜特型 伊四百型潜水艦」で、これまで構想の中だけにあった、アメリカ東海岸攻撃という壮大な計画のスタートでした。
しかし戦況はこの大それた作戦を成し遂げる「潜特型」の誕生をのんびり待ってはくれません。
「ガダルカナル島の戦い」で日本は輸送という軽視した任務を徹底的に妨害され、莫大な被害を出して撤退しました。
この輸送には低速の輸送船ではとても危険ということから、駆逐艦を使った鼠輸送、潜水艦を使ったモグラ輸送が行われましたが、別にこれらが安全というわけでもなく、さらに輸送量も激減するため非効率この上ありませんでした。
それでも手段はこれしかなかったのです。
「潜特型」の計画は壮大故に時間がかかるものでした。
何しろ全くの白紙状態からの設計ですから、完成するまで年月がかかるのを承知の上で計画に盛り込んでいます(それでもこれだけの新機軸の潜水艦を設計込み2年少々で完成させているのは、戦中においてかなりの速度だと思います)。
しかし正直そんな悠長なことを言っている余裕はなくなっており、水上艦は性能よりも量産第一というこれまでとは正反対の方向に突き進みつつありました。
「潜特型」18隻の完成に時間を費やすよりも、今この瞬間出撃できる1隻2隻の潜水艦が重要。
「潜特型」は計画縮小の末に3隻の竣工に留まり、そしてその夢も果たすことはありませんでした。
一方、日本の潜水艦の中心になるべく設計された「巡潜甲型」は、3隻が計画通り、そして【伊12】が搭載ディーゼルを製造の早い艦本式22号10型ディーゼルへ置き換えて建造が行われていました。
それに続くのが本来であれば【伊13、伊14】だったはずなのですが、この2隻は【伊12】のように前の船とちょっと違う程度ではなく、運用方法が全然違う方向に進みます。
5隻にまでなった「潜特型」構想ですが、減ったとはいえ消滅していないことから、やる気があったのはわかります。
ですが5隻の「潜特型」だけで果たして作戦の効果を上げることはできるのだろうか、その疑問は大いにありました。
何しろ5隻にまで縮小したことで、「潜特型」はこれまでの【特殊水上攻撃機 晴嵐】の搭載数を2機から3機に増やすことになっているのです。
なんで増やしたかって、言わずもがな攻撃力低下を懸念したためです。
つまり5隻じゃ実際足りないよってことです。
海軍の悪癖、もとい柔軟性がここで発揮されます。
「今造ってる船を改造してこっちに回せばいいじゃん」
改造大好きな海軍は、すでに「甲型改一」として建造が進んでいる【伊13、伊14】に対して、【晴嵐】搭載のための設備をグイっと押し込めることにしたのです。
なので、「甲型改二」は「潜特型」と同じ運用構想とは言え、母体はあくまでも「巡潜甲型」です。
ちなみに竣工はしていませんが、この後に【伊15、伊1(ともに二代目)】も続く予定でした。
「甲型改二」は前述の通り母体は「巡潜甲型」です。
なので、大きさや排水量は「潜特型」とは全く異なります。
しかし格納庫やクレーン、射出機などは【晴嵐】搭載に準拠するため、「甲型」ともまた異なる存在です。
【晴嵐】は2機搭載で、射出機は特注の四式1号10型射出機を装備。
自重3tを超える【晴嵐】を回収する(回収するケースはあまり想定されていませんでしたが)クレーンも装備され、「甲型」にただこれを載せるだけだとめちゃくちゃトップヘビーになってしまいます。
なので、「甲型改二」にはバルジが追加され、排水量は200t以上増えています。
排水量増に加えて、アメリカ東海岸までの距離を往復しなければなりませんから、搭載燃料も大きく増え、結果航続距離も「甲型」よりもかなり増えています。
しかしディーゼルは「甲型改一」と同じなので、速度は落ちてしまいました。
「甲型改一、潜特型」との比較をすると、
伊十二型 | 伊十三型 | 伊四百型 | |
基準排水量 | 2,390t | 2,620t | 3,530t |
水中排水量 | 4,762t | 4,762t | 6,560t |
全 長 | 113.70m | 113.70m | 122.00m |
最大幅 | 9.55m | 11.70m | 12.00m |
主 機 | 艦本式22号10型 ディーゼル (過給器付き)2基2軸 | 艦本式22号10型 ディーゼル2基2軸 | 艦本式22号10型 ディーゼル4基2軸 |
最大速度 | 水上17.7ノット 水中6.2ノット | 水上16.7ノット 水中5.3ノット | 水上18.7ノット 水中6.5ノット |
航続距離 | 水上16ノット: 22,000海里 水中3ノット:75海里 | 水上16ノット: 21,000海里 水中3ノット:60海里 | 水上14ノット: 37,500海里 水中3ノット:60海里 |
馬 力 | 水上4,700馬力 水中1,200馬力 | 水上4,400馬力 水中600馬力 | 水上7,700馬力 水中2,400馬力 |
このように全然違うのがわかります。
さて、「潜特型」をそのまま建造するよりも早く誕生し、第一の目標を達成した【伊13、伊14】ですが、いざアメリカ東海岸、狙うはニューヨーク、ワシントン(?)、といった空気はもはや霧散しており、喫緊の課題は本土防衛でした。
つまり、地球半周している暇はなかったのです。
さらに第二次世界大戦で戦いっていたドイツが降伏し、このままではパナマ運河を経由して大西洋に展開していた連合軍艦隊が続々と太平洋に進出てしまいます。
もしそうなったら日本はおしまいです、孤立無援、四面楚歌です。
この危機を少しでも遠ざけるために作戦はパナマ運河破壊へと転じたのですが、やがてそのパナマ運河破壊すら間に合わないことがわかり、最終的にはウルシー泊地への爆撃、そして特攻。
広げた大風呂敷の中に入っていたのは自決用の拳銃しかありませんでした。
この作戦において、【伊13、伊14】に出撃命令が下ります。
【晴嵐】を搭載してこの特攻に参加する、と思いきや、この作戦のための偵察に運用されたのです。
しかも搭載したのは【晴嵐】ではなく、分解された【彩雲】でした。
トラック島は空襲によって壊滅後、戦略的価値がなくなり孤立状態でした。
しかしウルシー泊地への偵察を行うにはこのトラック島へ高速偵察機を送るしかなかったのです。
この作戦を「光作戦」と呼び、【伊13】は【彩雲】2機ずつの部品を搭載して昭和20年/1945年7月11日に大湊を出撃。
続いて【伊14】が17日に同じく大湊を出撃。
遠くトラック島までの旅が始まりました。
7月20日、予定ならこの頃には【伊13】がトラック島に到着しているはずですが、まだ【伊13】の姿はありません。
道中は決して安全ではなく、予定が遅れることも当然あるでしょう。
しかし待てど暮らせど【伊13】の姿はトラック島では確認できません。
そして8月1日、ついに【伊13】は作戦行動中の沈没と認定され、【伊13】は初任務を遂行できずに生涯を閉じました。
【伊13】はすでにこの作戦を察知していたアメリカ軍に捕捉されており、7月16日に哨戒機と迫撃砲で【伊13】を攻撃。
この攻撃を受けて【伊13】は乗組員140名全員が戦死しました。
この戦死者数は1隻の潜水艦の沈没においては最大の数となっています。
一方後発だった【伊14】はこの攻撃には巻き込まれることなく、無事8月4日にトラック島へ到着し、【彩雲】の輸送にも成功しました。
ですが8月4日にトラック島に【彩雲】が到着したところで一体何ができるのか。
そう、何もできずに彼らはトラック島で終戦を迎えました。
この時【伊400、伊401】はウルシー泊地目指して出撃中でしたが、その作戦中に玉音放送を聞いています。
艦長らの英断によって、彼らはもはや敵ではなくなったアメリカに一矢報いるのではなく、報国の念をもって日本国再興の一員になることを決定し、日本へと帰還しました。
この3隻はアメリカに引き渡されて解析や実験ののちに自沈処分となっています。
同 型 艦
伊号第十三潜水艦 | 伊号第十四潜水艦 | 伊号第十五潜水艦 (二代目・未成) |
伊号第一潜水艦 (二代目・未成) |