基準排水量 | 2,140t |
水中排水量 | 3,688t |
一番艦竣工日 | 伊号第五十四潜水艦 |
昭和19年/1944年3月31日 | |
同型艦 | 3隻 |
全 長 | 108.70m |
最大幅 | 9.30m |
主 機 | 艦本式22号10型ディーゼル(過給器付き) 2基2軸 |
最大速度 | 水上 17.7ノット |
水中 6.5ノット | |
航続距離 | 水上 16ノット:21,000海里 |
水中 3ノット:105海里 | |
馬 力 | 水上 4,700馬力 |
水中 1,200馬力 |
装 備 一 覧
備 砲 | 40口径14cm単装砲 1基1門 |
25mm連装機銃 1基2挺 | |
魚雷/その他兵装 | 艦首:53cm魚雷発射管 6門 |
搭載魚雷 19本 | |
22号対水上電探 1基 | |
航空兵装 | 水上機 1機 |
呉式1号4型射出機 1基 |
低速航続型の乙型改二 魚雷で海軍最後の大戦果を挙げる
太平洋戦争の開戦を間近に控え、日本は奇襲作戦の立案とその実施時期を決めるために必死になっていました。
そして同じく必死になっていたのが、常に不足していた潜水艦の配備数の増加でした。
日本は潜水艦技術はかなりの後発組で、この段階では全体的に安定して高性能ではありましたが、他国に対して秀でた潜水艦とはなかなか言い難いものでした。
しかしそれに加えて数が足りない。
潜水艦は行動範囲が広いですが、広くなればなるほど数がなければ非効率です。
日本はこの問題に対し、昭和16年/1941年の「マル急計画」で「マル5計画」の前倒しを進め、潜水艦の短期間大量建造を目論見ます。
この2つの計画によって「巡潜乙型」に加えて「乙型改一」の建造も始まります。
「乙型改一」は「乙型」のディーゼルを生産速度の速い艦本式1号甲10型ディーゼルへ換装しているのが大きな特徴です。
「乙型」も並行して建造されていましたが、竣工まで2年以上かかるケースの多かった「乙型」に対して「乙型改一」は1年半ほどでの竣工が可能でした。
しかしまだまだ、こんな程度じゃ間に合わんということで、さらに11月の「マル追計画」で最も多くの潜水艦を新たに建造、また建造計画の前倒しを図ることになりました。
この「マル追計画」は潜水艦以外には【標的艦 波勝】しか計画に入っておらず、どれだけ潜水艦の増備が急務だったのかがよくわかります。
この「マル追計画」で「乙型改一」同様、建造期間を短くするために盛り込まれたのが、「乙型改二」です。
「乙型改二」は搭載ディーゼルを汎用量産型の艦本式22号10型ディーゼルへ置き換え。
これは2号10型から1号甲10型へ換装した「乙型改一」とは全然違う性能低下で、水上速度は23.5ノットが17.7ノットまで激減しています。
馬力も11,000馬力が4,700馬力と物凄く下がっていて、とても他の「乙型」と同じ任務を行えるものではありませんでした。
それでも数がいる、そこそこ使える潜水艦を大量に造らねばならぬということで、この換装を受けて入れています。
しかし悪いことだけではありません。
「乙型改二」は航続距離がかなり伸びました。
これはディーゼルが小さくなったことで搭載燃料が増えたこと、また燃費もよかったことから14,000海里だった航続距離が21,000海里まで伸びています。
航続距離の増加は作戦行動範囲の増加と言い換えることができるため、速度は遅くても他の「乙型」では不可能な長期間作戦にも参加が可能でした。
またスペースができたことで搭載魚雷も2本増加、さらに建造中に開発に成功した22号対水上電探も竣工時には備わっており、別にデメリットばかりではなく短期間建造以外のメリットも獲得しています。
ですが問題はその誕生時期でした。
「乙型改二」も1年半ぐらいでの竣工ではありましたが、すでに戦争は後半戦、つまり日本がかなりの劣勢に立たされていた時期でした。
昭和19年/1944年に誕生した「乙型改二」は結局3隻だけが竣工。
【伊54】は10月28日に撃沈され、残りの【伊56、伊58】は「回天」搭載艦としても行動しています。
特に【伊58】に至っては竣工当初から「回天」搭載が決まっており、主砲が最初から搭載されていませんでした。
2隻とも2回目の回天作戦「金剛隊」の出撃に参加。
【伊56】は警戒陣を突破できずにこの作戦では戦果を挙げることができませんでしたが、【伊58】はこれを潜り抜けて4基(最初は2基でしたがのちに改造されて4基搭載に)の発射を完了させています。
戦果は2隻撃沈と報告されていますが、確実ではありません。
さらに【伊58】は終戦間近の昭和20年/1945年7月29日深夜に【米ポートランド級重巡洋艦 インディアナポリス】を雷撃によって撃沈しています。
命中は3発、1,500mという絶好の距離から放たれた魚雷によって【インディアナポリス】は1時間ほどで沈没しました。
時間差で発射した魚雷は、なんと1発目の破孔に2発目の魚雷も命中してより被害を深刻化させました。
深夜に浮かぶ巨大な艦影だった【インディアナポリス】を、【伊58】では「アイダホ級戦艦(ニューメキシコ級戦艦)」だと認識していたようです。
この【インディアナポリス】は単艦護衛なしで真珠湾からテニアン島に向かったあとでした。
何のためにテニアン島へ向かったかというと、あの悍ましい原子爆弾の部品と核物質を輸送するためでした。
もしこれが輸送前に撃沈できていれば、どのように歴史は変わったのでしょうか。
批判を恐れずに言えば、現実よりももっと悲惨な結果になっていたと私は想像します。
出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集 第一巻解説』潮書房
出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』
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