基準排水量 | 525t |
水中排水量 | 782t |
一番艦竣工日 | 呂号第百潜水艦 |
昭和17年/1942年9月23日 | |
同型艦 | 18隻 |
全 長 | 60.90m |
最大幅 | 6.00m |
主 機 | 艦本式24号6型ディーゼル 2基2軸 |
最大速度 | 水上 14.2ノット |
水中 8.0ノット | |
航続距離 | 水上 12ノット:3,500海里 |
水中 3ノット:60海里 | |
馬 力 | 水上 1,000馬力 |
水中 700馬力 |
装 備 一 覧
備 砲 | 25mm連装機銃 1基2挺 |
魚雷/その他兵装 | 艦首:53cm魚雷発射管 4門 |
搭載魚雷 8本 |
迷走の量産「小型」 戦況も時期も設計に合致せず全没
昭和15年/1940年8月、「マル臨計画」が策定されます。
開戦準備に向けた補助艦艇の大増強計画で、魚雷艇、駆潜艇、給油艦らと共に、量産型潜水艦もこの計画に含まれていました。
それが「中型、小型」両型の潜水艦です。
「中型」はあくまで二等潜水艦の分類通りの排水量で、また航洋性も良くなっていますから短距離の輸送や哨戒も行えるようになっていました。
そしてこれまでの「海中型」の実績をもとにした量産型であったため、現場からの評価も高い潜水艦でした。
一方で「小型」ですが、これは二等潜水艦というよりもはや排水量をオーバーした三等潜水艦で、排水量525t、全長約61mは過去の二等潜水艦と見比べてもダントツで小さいです。
役割は沿岸警備よりも狭い局地警備型と言っていい存在で、離島周辺の警戒任務を行うための潜水艦でした。
サイズの割に53.3cm魚雷発射管4門、搭載8本は多いように思います。
「小型」は「マル臨計画」の9隻に加えて昭和16年/1941年8月に実行が決められた「マル急計画」で9隻、計18隻が計画そして竣工しました。
ブロック工法を駆使して約1年での竣工が見込まれ、事実1年ちょっとで竣工している艦がほとんどです。
ただ、小さく航続距離も短く速度も遅い「小型」は「中型」とは異なり現場では歓迎されない船でした。
行動範囲が狭いのはとにかく運用上不便で、さらに乗り心地も良くないとなるとそりゃあ現場でも文句は出るでしょう。
彼らは命をかけて戦っているわけですから。
さらに「小型」は実際にはこの局地防衛ではなく、短い航続距離であちこちに出回るようになります。
局地防衛は局地防衛に戦力を避ける余裕があってこそで、当時は、いえ開戦前から潜水艦は慢性的な数不足に陥っていました。
なので性能の範囲で使えるだけ使うことになり、結局「小型」は他の二等潜水艦と似たような扱われ方をするに至ります。
小さいながらも撃沈の戦果はありますが、何分小型のために果たせる任務に制限が多く、哨戒任務中に敵に撃沈されるケースが目立ちます。
特に昭和19年/1944年5月から6月の1ヶ月ではトラック島を起点としてサイパン島やアドミラルティ諸島付近で活動中に7隻も沈められており、当時のアメリカ哨戒機や駆逐艦などの対潜能力の前には全く歯が立ちませんでした。
同 型 艦
呂号第百潜水艦 | 呂号第百一潜水艦 | 呂号第百二潜水艦 |
呂号第百三潜水艦 | 呂号第百四潜水艦 | 呂号第百五潜水艦 |
呂号第百六潜水艦 | 呂号第百七潜水艦 | 呂号第百八潜水艦 |
呂号第百九潜水艦 | 呂号第百十潜水艦 | 呂号第百十一潜水艦 |
呂号第百十二潜水艦 | 呂号第百十三潜水艦 | 呂号第百十四潜水艦 |
呂号第百十五潜水艦 | 呂号第百十六潜水艦 | 呂号第百十七潜水艦 |