陸上哨戒機 『東海』/九州 Q1W

広告
広告

十七試哨戒機「東海」
全 長12,085m
全 幅16.000m
全 高4.118m
主翼面積38.210㎡
自 重3,102kg
航続距離1,342km
発動機
馬力
空冷単列星型9気筒×2「天風三一型」(日立)
610馬力×2
最大速度320km/h
武 装7.7mm機銃 1挺
爆弾250kg 2発
符 号Q1W1
連 コードネームLorna(ローナ)
製 造九州飛行機
設計者
広告



海軍唯一の対潜哨戒機 獲物を狩る前に狩られる側に 東海

太平洋戦争では潜水艦に最後まで悩まされた日本。
当初は駆逐艦や海防艦を中心に対潜哨戒活動がおこなれて護衛や撃退をしてきましたが、連合国の勢力が増えるに連れて潜水艦の脅威も爆発的に増えました。
これに伴い護衛には空母から発艦する艦載機も加わるようになり、対潜哨戒活動として有名な第九三一海軍航空隊が活躍しました。
対潜哨戒用に改造された旧式の「九七式艦上攻撃機」とともに、「大鷹型」【瑞鳳】と戦った経緯を数多く持ちます。

しかし空母には数の限界があり、駆逐艦や護衛艦には視界の限界があります。
そのため陸上からも飛び立つことができる新しい対潜哨戒機の要望が高まってきたのは、当然の流れかもしれません。
海軍は昭和17年/1942年9月、沿岸哨戒機として「十七試哨戒機」の開発を渡辺鉄工所(のち九州飛行機)へ命じました。
これは日本で初めての対潜哨戒機開発となりました。

渡辺鉄工所に求められた「十七試哨戒機」の能力は大きく2つ。
1.低速で長時間飛行できること(航続時間10時間以上)
2.急降下爆撃が可能なこと

1は相手は潜水艦でかつ船団などの護衛に付くわけですから、周囲をゆっくりと飛行するケースが多く見込まれたためです。
潜水艦の速度は海中では10ノットに満たない速度です。
時速数百キロという速度で飛び続けると簡単に見失ってしまいます。
巡航速度は70ノットで、「九七式艦攻」の巡航速度263km/h(約142ノット)のおよそ半分です。

2はもちろん潜水艦を撃沈させるための突撃です。
潜水艦は海中では上空の航空機に対してはほぼ無力です、逃げるしかありません。
急降下爆撃は潜水艦が深く潜水する前に撃沈するために必ず必要な能力でした。

この2つと対潜哨戒に相応しい機体を求め、渡辺鉄工所は開発を開始。
開発には戦前にドイツから研究用に購入していた「ユンカースJu88爆撃機」のデータが大いに役立ったと言われています(「十七試哨戒機」も双発です)。
昭和18年/1943年12月には試作機が誕生し、その後の試験でも尾翼の位置と面積を修正するぐらいの変更で済みました。
低速巡航性能も申し分なく、急降下爆撃も問題なく可能、また離着陸距離も短く済む、燃費もいいなど、要求を多く満たした、珍しく非常にスムーズに開発が進んだ戦時開発の機体です。

武装は7.7mm機銃一挺(後期型では20mm機銃換装機もあります)と貧弱ですが、250kg爆弾を2個搭載。
特徴的な機首部分と風防の全面ガラス張りは当然見晴らしを良くするためで、また三式一号磁気探知機という電探を搭載。
その名の通り通常では海上に存在しない磁気を探知し、潜水艦の居場所を突き止める装置で、およそ150mの高度差までなら探知できたそうです。
本来搭載予定の新型電探が間に合わず、旧式で不具合も少なくなかった三式空六号無線電信機を補うためのもので、単純な構造ながらも効果はあったようです。

搭載したエンジンは日立の「天風三一型」。
たった410馬力のエンジンのため、最高速度は高度1,340mで322km/h。
群を抜いて遅い航空機でした。
巡航速度を抑えたり、そもそも速度を必要としない機体であることから、この出力でも問題がないと判断されたのです。

このように、特徴的な構造で開発から1年で実を結んだ「十七試哨戒機」
ただ、そこからが遅い。
昭和19年/1944年4月、制式採用される前から製造が始まるのですが、武装等の強化を経て昭和20年/1945年1月にようやく「東海一一型」として制式採用されました。
試作機誕生から1年も経過してしました。
実戦投入も昭和19年/1944年10月で、「レイテ沖海戦」が勃発した時期にようやく配備されたのです。
その頃の日本に対潜哨戒機を用意されたところで、焼け石に水でした。

10月に佐伯海軍航空隊に配属後、多くが館山基地の第九〇一海軍航空隊で配備されました。
ただ、上記のように「レイテ沖海戦」が終結する頃の日本といえば、航路はギリギリ台湾とのつながりを保っていた程度です。
日本近海でもうじゃうじゃと潜水艦がやってきて、また空母や航空基地から到来した航空機の被害が後を絶ちません。
確かに哨戒機としての性能はありましたが、対航空機性能は皆無の「東海」にとって、制空権を奪われている中での飛行は狩場に現れた獲物も同然でした。

総製造数たったの153機。
うち半数以上が撃墜されるなど、実働1年に満たず、特攻機でもないのに損耗率5割超という、非常に悲運な航空機でした。

さらに、正式な撃沈記録がどこにもありません。
そもそも潜水艦の撃沈を認めるのは難しいのです。
対艦戦闘ならばもちろん爆発や沈没等で誰が見ても明らかですが、潜水艦の場合は爆雷などを投下し、その後の電波や海上に浮かんでくる破損品などから、「撃沈しただろう」という判断でした。
今になっても、「あの時に沈んだのはこの潜水艦じゃないだろうか?」程度の認識で、100%確実に撃沈した、なおかつアメリカも撃沈された、と両者の意見が一致する潜水艦は限りなく少ないです。

しかしこれでも、多くの目があってのこと。
「東海」に搭乗するのはたったの2人です。
しかも主に単独行動となるので、他に撃沈・撃破を確認する者がいないことが大半です。
また上記のように電波や磁気の探知、漂流物の確認をするためにグルグルと回っていたら、途端に敵機に襲われる危険もあります。
撃破(攻撃成功)は確認ができても、撃沈を認めることはあらゆる意味で困難でした。

このように、戦時開発機につきものの「誕生が遅すぎた航空機」の一員となってしまった「東海」
やはりコンセプトは間違っていないのですが、戦況が活躍を許しませんでした。