揚陸艇 【機動挺】

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発動艇の強化版 長い距離を航行できて、直接揚陸も可能な機動艇

【大発動艇、小発動艇】の開発によって、陸軍は画期的な上陸用舟艇の配備が進んでいました。
しかしこれらはあくまで上陸用舟艇で、船から上陸させるまでの短距離移動用です。
輸送量も多くないため、もう少し航行能力に優れた大型の上陸用舟艇の研究が始まりました。
今回の上陸用舟艇には、戦車を載せることが大前提とされました。

船の設計の参考にされたのは、小型貨物船でした。
そしてまず実験台として【五郎丸】という300tほどの小さな船に、舷梯を取り付けてみました。
艦首からの舷梯を通じ、そこから兵士をかけ降ろさせる方法を試してみます。
これなら確かに上陸用舟艇を別に用意する必要はなく、ほぼ接岸することができます。
しかし問題が残ります。
このままでは兵器や物資を降ろすことができず、結局【大発】などを活用しなければならないのです。

そして次に陸軍は、すでに自分たちが建造している奇抜な船に目を付けます。
そう、特種揚陸船【神州丸】です。
【神州丸】のいいところは輸送物資と上陸用舟艇を多数搭載し、泛水(へんすい=船艇を水上に発進させること)機能を持つことで海上に【大発、小発】を海上に降ろすことができる。
しかし【大発、小発】を搭載できるようにしたところで、その船は擱座させて直接上陸させるのですから、上陸用舟艇を搭載する必要はありません。
つまり、【神州丸】の泛水機能を持った上陸用舟艇を建造すれば求めているものが完成します。
ただし、大きさも同じぐらいにしてしまうと離岸が大変なので、やはり大きさは小型貨物船程度、1,000t未満のサイズとされました。
また、【神州丸】は船尾がハッチになっていますが、これも【大発】のように船首に用意しなければなりません。

次に実験として使われたのは【よりひめ丸】です。
【よりひめ丸】の船首を改造し、観音開きとなるようにしました。
こうすれば、船首から陸地に擱座させたあと、その扉を開けば中から直接戦車などの車両を揚陸させることができます。
この際陸地まで渡す歩板も当然用意されたのですが、しかしこの歩板は船首の裏側に取り付けられていて、つまり船首の高さ分しか長さがなかったのです。
この長さだと戦車揚陸には足りず、今度は歩板の対応に追われます。

歩板の問題はありますが、とりあえず船の構造については目途が立ったため、先に試作船を造ることになりました。
当初は「特大汽艇」と呼ばれ、昭和16年/1941年7月に播磨造船所で建造がスタートします。
「特大汽艇」【九七式中戦車】10両を搭載できる能力と、13ノット以上という速度が求められました。
完成した「特大汽艇」【蛟龍】と命名されました。
(海軍の【蛟龍】とは別物)

しかしここに至るまでに結構な時間がかかっており、【蛟龍】の竣工は昭和17年/1942年4月で、すでに太平洋戦争は始まっていました。
幸いにも【神州丸】【あきつ丸】【大発、小発】などが十分活躍していたため、【蛟龍】が間に合わなくてもこの段階ではなんとかなっていました。

さて、【蛟龍】完成後の9月、さっそく試験運用が始まりました。
歩板の問題ですが、これはもとの1枚ものではなく、折り畳み式の電動歩板を船首裏にとりつけることになりました。
構造は2つ折りだと思いますが、まず船首解放後に歩板を前へ送り出し、そこからさらに折り畳んでいる歩板を広げて距離を延ばすという方法です。
しかしこの時の歩板の総延長は12mほどで、まだ十分な長さとは言えませんでした。

そして試験と戦況からも、設計・運用の見直しが図られることになります。
まず、この船は輸送用の上陸用舟艇だったので、先ほど紹介した戦車10両のように、積み荷の多さと揚陸のスムーズさが求められました。
しかし使ってみると、物資の輸送よりも、諸兵科連合という各所兵員をまとめた一班を揚陸させるほうが、上陸後の進軍がスムーズだということが判明。
これにより戦車搭載数は4両ほどに減少します。
その代わり、兵員輸送用の【小発】の搭載が新たに加わりました。

この他にも【蛟龍】にはあらゆる要求がありました。
1.上陸支援用の迫撃砲搭載
2.対空・対潜装備
3.歩板の延長(17mへ)
4.大型戦車(20t級)搭載可能な船内設備
5.速度UP

この要求はすべて、当時陸軍が決死の戦いを続けていた「ガダルカナル島の戦い」のためでした。
海軍の艦艇はもちろん、陸軍の小型舟艇も次から次へと沈没させられていました。
制空権が奪われていた以上、各船が独自に自衛能力を備えるしかありません。
また速度も、海軍の「鼠輸送」のように、夜間の強襲揚陸と空襲前の離脱をする上で欠かすことのできない要件でした。

ただ、その速度要求はなんと30ノットです。
同じ設計で倍以上の30ノットなんて、ぶっとんだ馬力を発揮できる小型の主機で強引に走らせるしかありません。
しかも船・主機ともにそれを量産する必要があります。
本気でそれに取り組むのなら設計を一からやり直さないといけないのは素人でもわかりそうなものですが。
というわけで、この案は却下、一応近い存在として「伊号高速艇」が設計・建造されています。

この要求を踏まえた2番艇が、【蟠龍】という名で昭和18年/1943年7月に竣工します。
そしてこの【蟠龍】をベースに、量産が始まっていきました。
【蟠龍】は戦時標準船に組み込まれることになり、小型貨物船の分類になるE型に分類されて「ES型」と呼ばれるようになります。
しかし陸軍ではこの船を【SS艇】と呼び、日本語訳として【機動艇】という扱いになっています。
当時【SS艇】【機動艇】と呼ぶことはなかったようです。
【SS艇】【蛟龍、蟠龍】含めて22隻が建造されました。

この頃、ちょうど海軍でも同じような揚陸艦の建造が進んでいました。
「第百一号型輸送艦」と呼ばれるものです。
役目はほぼ同じですが、【SS艇】より少し大きく、また主機もディーゼルではなくタービン式でした。
そして最大の違いが揚陸方法。
【SS艇】が観音開きに対し、「第百一号型輸送艦」【大発】と同じで、その開いた扉が直接歩板になるタイプでした。
なので、長さは【SS艇】より短くなります。
ただ、この艦首が平面の設計は航行能力を阻害する構造のため、単独航行可能とはいえ荒天では運用できませんでした。

「第百一号型輸送艦」【SS艇】は、所属こそ違えど建造意図と役割は同じのため、海軍が「第百一号型輸送艦」を一部陸軍に移管して運用されることになりました。
移管された船は【SB艇】(B=海軍)と呼ばれ、計22隻が陸軍の運用に加わります。

しかし実際に建造された隻数はご覧のように潤沢ではありませんでした。
戦況の悪化と、大型船の建造時間よりも【大発】の活用と改良に重きが置かれるようになり、量産とは言えない結果に終わっています。