航空機/飛行艇

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局地戦闘機 『紫電/紫電改』/川西 N1K1-J/N1K2-J

昭和16年/1941年、川西航空機は海軍の命令で「強風」の開発を急いでいました。 しかし要求があまりにも困難なものだったので、命令を受けてから1年が経過した昭和16年/1941年末でも、未だに先行きは不透明なままでした。 特に、水上機でフロートが装備されているのにもかかわらず、「零式艦上戦闘機」よりも速くしろという要求が「強風」開発の遅延を生み出していました。
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局地戦闘機 『陣風』/川西 J6K1

十八試甲戦闘機「陣風」 全 長 10.118m 全 幅 12.500m 全 高 4.130m 主翼面積 26.000㎡ 自 重 3,500kg 航続距...
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局地戦闘機 『天雷』/中島 J5N

昭和18年/1943年2月、日本は激戦に次ぐ激戦に遂に根負けし、「ガダルカナル島の戦い」において撤退作戦を開始。 この「ケ号作戦」実施の一ヶ月前、海軍はアメリカが実用化に向けて着々と開発をしている「B-29」に脅威を感じていました。 太平洋戦争後期から続々と本土上空を飛び交うようになったこの「B-29」は、「超空の要塞」(ちょうそらのようさい)とまで言われ、高度8,500m以上の高高度から悠々と爆撃をすることができる代物でした。
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局地戦闘機 『閃電』/三菱 J4M

昭和14年/1939年から計画に入り、昭和15年/1940年から本格的に開発が始まった、局地戦闘機「雷電」。 それに引き続き、海軍は次の局地戦闘機の開発を三菱に指示します。 今回の局地戦闘機の大きな目玉は、速度も然ることながら、超強力な武装で相手を潰すという点にありました。
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局地戦闘機 『雷電』/三菱 J2M

「支那事変」で日本は「九九式艦上爆撃機」や「九七式艦上攻撃機」、「九六式艦上戦闘機」などの活躍により中華民国軍に攻撃を仕掛けていた日本ですが、一方で日本も中華民国軍の爆撃機によって航空基地や艦隊が大きな被害を受けていました。 そこで海軍では、敵陣に赴く艦爆、艦攻の護衛と敵戦闘機の撃墜を主任務としていた艦上戦闘機とは別に、自軍に攻め込む敵機を迎撃する局地戦闘機の要望が高まりました。
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水上攻撃機 『晴嵐』/愛知 M6A

昭和17年/1942年2月には【伊号第十七潜水艦】がアメリカ西海岸の石油製油所を砲撃し、また9月には【伊号第二五潜水艦】から飛び立った「零式小型水上機」がアメリカの山林に爆弾を投下し、被害は少なかったものの森林火災を発生させました。 昭和17年/1942年9月に急遽計画変更された「改マル5計画」では、空母の補強を最優先事項とした一方で、このアメリカ本土空襲に向けた船と、そこから発艦する攻撃機についても決められていました。
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二式水上戦闘機/中島 A6M2-N

日本はかねてより水上機能力の底上げと立派な戦力化を目指し、それは戦前戦中に多くの機体で反映されていきました。 その中でも名機と呼ばれる機体に「零式水上観測機」や「瑞雲」がありますが、それらと並んで評価が高く、太平洋戦争を戦い続けたのが「二式水上戦闘機」です。 日本はどうしても戦場が陸から離れてしまうこと、また仮想敵国が世界最強のアメリカであることから、陸上基地や空母がない状況でも戦える手段であった水上機の開発には世界一熱心に取り組んでいました。
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水上戦闘機 『強風』/川西 N1K

「支那事変」の際、日本は当時主力だった「九六式艦上攻撃機」だけではなく、「九五式水上偵察機」も攻撃機として運用していました。 そしてこれが思いの外実績を残したので、海軍は通常の艦上戦闘機だけでなく、水上機も戦闘機として運用しようと目論むようになります。
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零式水上観測機/三菱 F1M

戦艦の能力がどんどん高まる中、海軍は射程が伸びる一方でその命中率を上げる必要があるという認識を持っていました。 どれだけ長大な射程を得ようとも、近かろうが遠かろうが当たらなければ意味がありません。 命中したかどうかは船からでもある程度わかりますが、外した場合、果たしてどれほどの誤差があったのかという情報が次の命中に繋がる重要なデータとなります。
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水上偵察機 『瑞雲』/愛知 E16A

昭和14年/1939年、日本は軍艦の搭載用として「零式水上偵察機(試作時は十二試三座水上偵察機)」を完成させます。 空母を量産できればいいのですが、何分コストと時間がかかりすぎますし、加えて搭載数に限界がある空母に「偵察」しかできない艦載機を載せることには非常に懐疑的でした。 そこで、軽巡洋艦以上の大型艦に搭載できる水上機を偵察機として運用し、その穴を埋めようという意図で誕生しました。
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