バルバロッサ作戦

広告
広告

【バルバロッサ作戦】とは、1941年6月22日に行われた、ドイツが「独ソ不可侵条約」を放棄してソ連に攻め入った奇襲作戦の名称である。

1939年、ドイツは国土拡張を狙いポーランド侵攻を企んでいた。
しかしポーランド侵攻はともかく、その先にはソ連がいる。
ヨーロッパ全土を巻き込む戦争になることが確実な中、あまりにも巨大なソ連と早々に対立するのは得策ではないと考えたドイツは、互いにポーランドへ攻め入り、制圧後は決めた国境で分割統治するという条件でソ連に近づき、1939年8月23日に「独ソ不可侵条約」を締結した。
ポーランドの軍事力が対独・対ソに比べてあまりにも不足していることは明らかで、実際1ヶ月ほどで侵略は終わっている。
ドイツによるポーランド侵攻は「独ソ不可侵条約」締結のわずか9日後の9月1日であった。

これにより、ドイツは安心してこの侵略に異を唱えてくるであろうイギリス・フランス・オランダ等に戦力を集中することができた。
そしてソ連もまた、これを足掛かりに東欧のバルト三国とフィンランドに足を踏み入れている。
フィンランドとは「冬戦争」を3ヶ月、そして1941年6月から1944年9月まで「継続戦争」で戦っている。

1940年、フランスを制圧するも「バトル・オブ・ブリテン」でイギリス空軍に押し返されたドイツは、イギリス上陸を断念し、矛先をソ連へ向けた。
ドイツにとって「独ソ不可侵条約」はあくまで一時凌ぎであり、時期はともかくとしてソ連侵攻はポーランド侵攻時から考えられていたものであった。
この方向転換はイギリスとソ連にドイツが挟まれる構図となるため、ドイツ軍首脳部からは反発があったがヒトラーはこれを退けている。
フィンランド軍が勇猛だったとは言え、圧倒的な国力の差があった「冬戦争」でフィンランド軍以上の損害を被り、3ヶ月間も戦い続けたこと、また同じく北欧であるノルウェーについてはドイツが1ヶ月で制圧したことから、ソ連との戦争に自信を持っていた。

ドイツは鉱物資源の輸送路にあるバルト海を早期に奪取したいという思惑があり、そのためにはバルト海を警戒するバルト艦隊を黙らせる必要があった。
また同じく農産物の豊富なウクライナも要所と考え、第一目標はバルト艦隊を管轄しているレニングラードとウクライナとされた。
最終的にはレニングラード制圧の北方軍集団、ベラルーシ経由でモスクワを一直線に目指す中央軍集団、ウクライナのキエフを目標とした南方軍集団、計3個軍集団300万の軍勢が用意された。
これにはイタリア軍やルーマニア軍、ハンガリー軍も含まれていた。

6月26日、ドイツはソ連侵攻【バルバロッサ作戦】を開始する。
ソ連との戦争で必ず考慮しなければならないのが、冬の恐ろしさである。
人命はもちろん、戦闘機や戦車も燃料やエンジン、無限軌道などが凍りついてしまえば使い物にならない。
とにかく冬が来る前にできるだけ早く制圧を進めなければ、冬になるとたちまちソ連有利となってしまう。
かつてのナポレオンもまた、ロシアの冬によって大敗北を喫したのである。

ソ連は寝耳に水のドイツ軍侵攻に驚いた。
スターリンはまさか不可侵条約から2年足らずで、しかもイギリスと真っ向から殴り合っているドイツがソ連に牙を剥くとは全く考えていなかったのである。
ソ連付近にドイツ軍が集結していることや、偵察機の数が明らかに増えたという報告があったにも関わらず。
完全なる奇襲によって赤軍(ソ連陸軍の通称)は一方的な攻撃を受けることになった。

しかしソ連の強さはなんと言っても莫大な人口を元とした兵士の多さである。
奇襲を受けたとは言え、ドイツは想定以上のソ連の抵抗に苦しんだ。
最も多くの赤軍と戦うことになった南方軍集団の支援のために、ドイツはモスクワを目指していた中央軍集団の二個装甲集団から第二装甲集団をごっそり引き抜き、南方軍集団とともにキエフを包囲する形で攻め入った。
しかしこれによってモスクワ制圧の速度は確実に低下した。
補給路も伸び切っていて、南方軍集団の攻め入るウクライナではソ連が焦土戦術を行い土地の利用価値を限りなく減らされてしまう。

一方北方軍集団もまた苦戦しており、市街地でのゲリラ戦になることを恐れたドイツは、北方軍集団から第四装甲集団を中央軍集団へ転属させ、モスクワ制圧後、レニングラードを包囲し補給を絶たせる計画を立てた。

やがて攻めあぐねるドイツに対して最大の敵とも言える冬が到来し、更にドイツのお株を奪う超強力戦車、「KV-1」重戦車と「T-34」中戦車が登場。
全く歯が立たないこれらの戦車と、不足する耐寒装備、失われた制空権、どれだけ倒しても続々とやってくる赤軍の圧倒的兵力。
損害はソ連が遥かに多いが、ソ連はその被害に見合った働きでドイツの【バルバロッサ作戦】を見事失敗に追い込んだのである。