決号作戦

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【決号作戦】とは、連合軍の本土上陸を前にして、本土防衛のために立案した作戦。

1944年のマリアナ・サイパン陥落は、日本の絶対国防圏が突破されたことを意味し、連合軍の勢いは目前の日本兵だけでなく、遠くはなれていると思われた日本本土にも襲いかかることになる。
更に「レイテ沖海戦」と翌年の「フィリピンの戦い」でも日本は完敗し、いよいよ連合軍の本土上陸が現実味を帯びるようになる。

それに伴い、日本は連合軍の本土上陸を遅らせることと、本土上陸を許してしまった際の戦力の整備や戦闘手段などを取り決めた作戦を立案した。
これが【決号作戦】である。
「坊ノ岬沖海戦」などで知られる【天号作戦】はこの【決号作戦】の一部である。
連合軍の本土上陸時期は1945年秋以降と推定され、これは連合軍側の見込みとほぼ合致していた。

陸軍は、戦力の大半がアジアで戦闘を行っており、当時日本国土に存在する陸軍兵力は全体のわずか1割程度であった。
この圧倒的な人員不足を補うべく、日本各地の兵やアジアに進出している部隊の一部を日本防衛のために集約することにした。
しかしそれでも全く防衛に必要な人数には達せず、陸軍は「根こそぎ動員」と呼ばれる、文字通り根こそぎ兵員を国民から招集した。
招集された人数は150万人以上とも言われている。
しかし揃ったのは人数だけで、装備も練度も明らかに見劣りしていた。

海軍も、肝心要の艦船戦力が風前の灯火であり、また燃料をはじめとした資源なども枯渇状態であることからなかなか出撃することができなかった。
この艦船を使って【決号作戦】を実施することは不可能に近かった日本は、代わりに特攻兵器の生産に注力するようになる。
もちろん特攻兵器に乗るための兵員を、陸軍同様招集している。

また国も、この【決号作戦】に際して国民戦闘組織、いわゆる民兵組織の構築に動いている。
1945年6月には「義勇兵役法」が公布され、男女それぞれ幅広い年代の者を招集することが可能になった。
防衛基地の建造も着々と進み、またその規模も非常に大きいものだった

【決号作戦】は陸海軍ともに特攻や玉砕が前提と言ってもいい作戦で、使われる兵器に関わらず突撃して、敵組織や兵器戦力を死ぬまで破壊し続けるというものである。
海軍が海上で特攻を繰り返して漸減作戦を行い、それでも上陸してきた敵に対して今度は陸軍が特攻を行う作戦が【決号作戦】である。

結局連合軍の本土上陸の前に日本は「ポツダム宣言」を受諾し、【決号作戦】が実施されることはなかった。