ポツダム宣言

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【ポツダム宣言】とは、ドイツのポツダムにて行われた【ポツダム会談】中に、アメリカが主導して作成した米英中の共同声明である。
作成時にはソ連は含まれていない。
1945年8月14日に日本が【ポツダム宣言】の受諾を駐スイス日本大使を通じて連合国側に通達、翌15日に天皇陛下による「玉音放送」によってこのことが国民に伝えられ、太平洋戦争は終結した。

5月8日、ドイツ降伏によって連合国に敵対する国は日本一国になったと言ってもよかった。
それにより、ドイツのポツダムでは日本を降伏させるため、また日本降伏後の占領について会談が行われた。
これが【ポツダム会談】である。
【ポツダム宣言】の内容決定の経緯については長文となるため省略するが、アメリカは日本に対して【ポツダム宣言】とは別に無条件降伏を求める声明を出している。
日本はこれらに対して黙殺もしくは拒否を続けていた。

宣言の内容を大まかに箇条書きすると、
・日本がこの宣言を受け入れなければ、ドイツ同様日本が壊滅するまで攻撃を続ける
・国民を騙し戦争へ導いた戦争犯罪人を処罰する
・日本の秩序が保たれるまで連合国が日本を占領する
・日本の武装を全て解除する
・日本の民主主義化を進め、あらゆる障害を排除する
・これら全てを日本軍が受け入れた無条件降伏の宣言を求める

というものである。

この「無条件降伏」という言葉がややこしい解釈になるのだが、【ポツダム宣言】における「無条件降伏」とは、日本政府が軍に対して「無条件降伏」を認めさせ、それを日本政府が保証する形でこの宣言の受諾を求めたものである。
通常「無条件降伏」というのは軍および軍人に対して求められるものであり、例えば籠城を続ける不利勢力に対して優位勢力が無条件降伏を勧告し、それを不利勢力が受け入れて、全くの無抵抗、全くの無条件で敵に処遇を委ねるものである。
なのでこの「無条件降伏」は、「日本政府が軍から『無条件降伏する』との約束を取り付け、それを政府が保証する」ことを求められた。

またこの宣言に際して、「天皇制」の是非や、「原爆投下の事前通達」についても議論されており、特に「天皇制」の廃止や天皇陛下の処遇については、アメリカ世論も含めて強硬なものが強く、日本における天皇の存在意義に詳しい知日派であるジョセフ・グルー国務次官ウィリアム・リーヒ参謀長は苦労したようだ。
結局日本の政治体制・主権については「日本国国民の意志による平和的責任のある政府の樹立」という表現にとどめ、「天皇制」についてはあらゆる言及がなされていない。

7月26日から、採択された【ポツダム宣言】がアメリカから日本に向けて英語・日本語によって発せられ、政府やマスコミはこの宣言に対して各論評を発した。
すでにジリ貧であることを認識していた政府は【ポツダム宣言】を黙殺したが、メディアはこぞって徹底抗戦を叫んだ。
政府が黙っていることに対して各社は「黙殺」と報道したが、この「黙殺」が海外では「拒否」と報道されてしまい、結局連合国には日本は世論・政府ともに【ポツダム宣言】を拒否していると伝わった。

やがて8月6日に広島へ、9日に長崎へ原爆が投下されると、日本政府は一挙に宣言受諾へと傾く。
しかしここでもやはり議論となったのが、「天皇制」の扱いであった。
宣言には「天皇制」への言及がなされていなかったが、日本はどうしても「天皇制」が保障されることを明言してほしかった。
そのため、政府は「『天皇統治の大権を変更する』ということがないことを了解してほしい」という条件を添えて、受託することを回答した。
この回答に対してアメリカは、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」とした。
宣言において、日本は連合軍の制限下に置かれるのか隷属されるのか、という英訳の解釈について若干の論争があったものの、8月14日、日本政府は正式に駐スイス日本大使を通じて連合軍に【ポツダム宣言】の受託を伝えた。

翌8月15日、「玉音放送」によって日本国民に太平洋戦争の終結と日本の敗北が伝えられ、ここに太平洋戦争は終結した。
9月2日、【アイオワ級戦艦 ミズーリ】艦上で日本政府は降伏文書に調印した。

なお、この「玉音放送」を妨害しようとした「宮城事件」や、ソ連の終戦間際の「日ソ中立条約」の一方的な破棄と樺太・千島列島侵攻など、終戦後も各所で戦闘が行われていた。