サンフランシスコ講和条約

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【サンフランシスコ講和条約】とは、1951年9月8日にサンフランシスコで結ばれた、連合国諸国との戦争状態が正式に終結し、日本の主権が回復した平和条約。
【サンフランシスコ条約】【サンフランシスコ平和条約】とも呼ばれる。
また同時に【日米安全保障条約】も結ばれている。

主題は前述の通り、

・連合国と日本国との戦争状態の終結
・日本国民の主権回復(独立)

であり、またそれに伴い様々なことが取り決められている。
概ね問題なく現在まで履行されているが、領土問題については未だ日本国と相手国との対立が続いており、特に竹島においては当初から韓国が領有権を主張するも、アメリカによって却下されている経緯もあり、問題が長期化している。
また北方領土については、「千島列島・南樺太の権利、権限及び請求権の放棄(第2条(e))」に明記されていることもあり、また「日ソ共同宣言」では「平和条約締結時に引き渡す」との内容の記載があることから、竹島とは問題の性質は異なる。

余談だが、同じく領土問題としてよく取り上げられる尖閣諸島については、【サンフランシスコ講和条約】時点では全く対立はなく、1960年代後半の海洋資源の発見から中国と台湾が領有権を主張するようになった。

【サンフランシスコ講和条約】は参加国の大半が批准したが、署名したものの批准しなかった(インドネシアなど)、参加したものの署名しなかった(ソ連など)、会議そのものに参加しなかった(中国など)の例外もある。
ちなみに署名(調印)と批准の違いだが、

署名:参加者による履行の意思表示
批准:国家として正式に履行することを決定すること

であり、署名したものの批准せずとは、会議出席者は署名したもの国内でその決定を認められなかったケースである。
なお、本条約に署名をしていないソ連(現ロシア)とは、「日ソ共同宣言」で国交は回復したものの未だ平和条約締結には至っていない。

当事国かつ国際連合の常任理事国である中国が不参加の理由だが、当時中国はまだ「中華民国政府」「中華人民共和国政府」が存在しており、どちらが本当の中国として認めるか、諸外国も統一見解を持てていなかった。
アメリカは中華民国のみの参加を、イギリスは中華人民共和国と合わせての参加を支持したため、結局アメリカは両政府代表を招聘せず、日中間の講話については両国に委ねることとなる。

その他、批准国は日本への賠償請求の放棄や、沖縄や小笠原諸島は引き続きアメリカ統治となることなどもこの条約で決められている。

この会議に参加するに当たり、国内では会議参加国との全面講和ではなく、アメリカとの単独講和を求める声が多数であった。
当時は朝鮮戦争や米ソ対立による冷戦の空気が漂っており、単独講和は日本の対共産主義の立場をより鮮明にして対立を煽るという主張であった。
一方全面講和はこの米ソ対立のどちらにも属さない中立に立つことを目指していて、新たな火種に自国が巻き込まれない方法を模索した結果の主張である。
しかし情勢の悪化の中で自力でこの対立と一線を画すことは難しかったこと、また米軍駐留を認める【日米安全保障条約】の是非がより重要案件として国会で議論されていたことから、最終的には全面講和に落ち着いた。