【伊号第五十一潜水艦】(海大一型)

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基準排水量1,390t
水中排水量2,430
一番艦竣工日伊号第五十一潜水艦
大正13年/1924年6月20日
同型艦1隻
全 長91.44m
最大幅8.81m
主 機ズルツァー式2号ディーゼル 4基4軸
最大速度水上 18.4ノット
水中 8.4ノット
航続距離水上 10ノット:20,000海里
水中 4ノット:100海里
馬 力水上 5,200馬力
水中 2,000馬力

装 備 一 覧

備 砲45口径12cm単装砲 1基1門
魚雷/その他兵装艦首:53cm魚雷発射管 6門
艦尾:53cm魚雷発射管 2門
搭載魚雷 24本
航空兵装(竣工後装備)水上機 1機
呉式1号2型射出機 1基
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艦隊型潜水艦の実験艦 一番幅広の海大一型

潜水艦も徐々に自国の技術を取り入れましたが、今までの二等潜水艦はあくまで小型、主戦力にはなりえませんでした。
この水上艦にはない隠蔽力が沿岸・近海でしか使えないのはとにかくもったいない。
この潜水艦が主力艦、そう、戦艦と共に動くことができればどれだけ心強いか。

「八六艦隊計画」の一環として、帝国海軍はこの潜水艦戦力の一大強化を図ります。
しかしこれまでの海中型・F型・L型とは違い、大航海が必要となります。
そのためには水圧に耐えきれる構造、航続距離の長大化、そして艦隊速度に合わすことが速度、また当然ながら雷撃能力も敵に致命傷を与えることができるように強化しなければなりません。
革新的な設計が必要となる、「海大型」と呼ばれる艦隊随伴型潜水艦は、まず実験用として1隻の建造が始まりました。
それが【伊51(海大一型)】です。

「海大一型」の特徴は大きく3つ。
1つ目は航続距離の劇的な増加。
2つ目は高速化のためのディーゼル4基搭載。
3つ目は後付けですが日本潜水艦初の水上機搭載能力を有したところです。

その前にまずサイズですが、言うまでもなく燃費と速度を上げるために、船体は細長くなっています。
「海大一型」の前に建造されている「呂六十型(L4型)」は全長76.2mですが、「海大一型」はこれが91.44mにまで長くなりました。
最大幅も7.38mから8.81mと1.5mも大きくなり、まさに「海大」という名にふさわしい大型艦です。
水上排水量も日本潜水艦で初めて1,000tを超えました。

ただ、船体の構造がこうなった理由に、2つ目のディーゼル機関4基搭載というのが関わっています。
これまでも、そしてこれからの潜水艦も、ディーゼルは極初期と「潜特型」を除いて2基2軸なのですが、「海大一型」は速度向上のために半ばむりやり4基のディーゼルを船体に突っ込んだのです。
これは要求された水上速度23ノット実現のための策で、当時日本はまだディーゼル機関を輸入に頼っていたのですが、その依頼先のズルツァー社から大出力の機関納入にはまだ時間がかかっていたのです。

やむを得ず「海中型」で使われていたズルツァー式2号ディーゼルを4基搭載させるのですが、この場所がまた問題です。
どうにもうまく収容させることができなかったため、最終的に船体は断面を見ると円が横に2つ並んだ形になりました。
つまり、特に横幅の大型化についてはディーゼル4基搭載のための苦肉の策だったのです。
事実、「海大六型a」までの「海大型」の歴史で一番幅広なのがこの「海大一型」です。

しかし、ここまでして速度アップを目指した「海大一型」の水上速度は、船体構造による抵抗の増大もあってたった18ノット止まりで、もともと海軍が要求する水上23ノットはおろか、また実験艦である本艦への要求であった20ノットという速度にも届きませんでした。
ちなみに23ノットという速度は、艦隊随伴に必要な速度というよりも、敵艦隊の巡航速度を上回るために設定された速度でした。

前後しましたが、航続距離は船体の大型化に伴い搭載燃料も増加したため、「呂六十型」の10ノット:6,000海里から3倍以上の20,000海里にまで爆発的に増えました。
艦隊随伴の際には長距離索敵の任務も増えることから、これだけの航続距離は頼りがいのある性能でした。

最後に航空兵装ですが、竣工時は装備されていませんでしたが、1931年(昭和6年)に水上機格納筒を搭載。
同時に「九一式水上偵察機」を搭載し、これにより日本で初めて水上機運用が可能になった潜水艦となりました。
さらに1933年(昭和9年)には呉式1号2型射出機が新たに装備され、発艦の手間が大きく省かれました。

名前は竣工当時は【第四十四潜水艦】でしたが、竣工から半年足らずで【伊号第五十一潜水艦】と改名されました。
「海大一型」は航続距離こそ向上したものの、速度面が全く失敗であったため、艦隊に配属されていたのはたった4年でした。
その後は訓練などで使用され、開戦前の1940年4月1日に除籍、その後売却されています。
「海大一型」そのものは何ら戦果を残す機会はありませんでしたが、この経験は着実に以後の潜水艦設計に役立っていきました。