【呂一型潜水艦】(F一型)

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基準排水量689t
水中排水量1,047t
一番艦竣工日呂号第一潜水艦
大正9年/1920年3月31日
同型艦2隻
全 長65.58m
最大幅6.07m
主 機フィアット式ディーゼル 2基2軸
最大速度水上 17.8ノット
水中 8.2ノット
航続距離水上 10ノット:3,500海里
水中 4ノット:75海里
馬 力水上 2,600馬力
水中 1,200馬力

装 備 一 覧

備 砲機銃 1挺
魚雷/その他兵装艦首:45cm魚雷発射管 3門
艦尾:45cm魚雷発射管 2門
搭載魚雷 8本
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初のイタリア潜水艦はディーゼルの複雑さに泣きを見る

明治38年/1905年、日本で初めての潜水艦(当時は潜水艇)がアメリカから分解された状態でやってきました。
近代潜水艦の祖とも言える「ホランド級潜水艇」です。
船体は今とはまるで異なり、端的に言えば不格好、日本ではドン亀と呼ばれた「ホランド級潜水艇」は、「日露戦争」で戦力として投入することが考えられていました。
しかし戦争中に竣工はしたものの、訓練などををしているうちに戦争は終結し、「第一型潜水艇」と名付けられた日本初の潜水艇は戦歴のないまま大正10年/1921年に除籍されました。

大変小型で、乗員16名、水上速度約8ノット、魚雷2本とはっきり言って大した能力ではありません。
しかし初期型から物凄い能力を備えているのは夢物語です。
この「ホランド級潜水艇」を基礎として各国様々な潜水艦を生み出していくことになるのです。

潜水艦の建造技術が全くない日本もまた、ここから各国の潜水艦を輸入しつつ技術を磨いていくことになります。
イギリスヴィッカース社製、フランスシュナイダー(シュネデール)社製の潜水艦が「波号潜水艦」として海軍戦力となり、またこれらの建造技術を駆使した「波六型潜水艦」川崎造船所が建造するなど、10年間必死に潜水艦の研究を続けました。

そして潜水艦が徐々に洗練化、大型化されていくにつれ、潜水艦に等級が割り振られるようになりました。
大正5年/1916年に一等・二等と別れ、さらに大正8年/1919年には三等が新設。
この大正8年/1919年に潜水艇という言葉が「潜水艦」へ変化しています。
これまで建造されてきた、「第一型」を含める潜水艦は全てこの時三等潜水艦に分類されました。

そして海外設計の潜水艦で初めて排水量500tを超えたのが、この「呂一型(F一型)」潜水艦です。
Fはイタリアフィアット社のFで、「F一型」はこのフィアット(ローレンチ)型潜水艦のライセンス生産で誕生します。
潜水艦の機関は最初はガソリンエンジンでしたが、この「F一型」からはディーゼル機関へと変更されています。
日本は潜水艦技術と並行してこのディーゼル機関の研究も急ピッチで行われています。
ディーゼルは機関そのものが複雑小型のために高価なのですが、燃費よく、ラーニングコストがいいため、水上艦よりも明らかに抵抗を受けて長期間行動が求められる潜水艦にとっては都合がいい機関でした。

またガソリンは引火点が非常に低いうえに揮発性が高いため、ちょっとでもガソリンが漏れてしまうと蒸発したガソリンが充満し、火花程度でもあっという間に爆発してしまいます。
潜水艦で爆発なんてしてしまったら対処のしようがありません。
一方でディーゼルの燃料は重油(小型船だと軽油も可)で、通常の空間でしたらもし漏れ出しても蒸発しませんし、引火点も60~70度以上ですからガソリンに比べると雲泥の差です。
さらにガソリンのように蒸発した成分を伝った広範囲の火炎もなく、液体燃料が燃えるだけというのも延焼を抑える性質と言えます。
本来なら水上艦にもこのディーゼルエンジンが搭載できればいいのですが、ついに日本ではディーゼル搭載艦は普及しませんでした。
【大和】で搭載計画があったものの不調に終わり、また【祥鳳】【龍鳳】でもディーゼルエンジンのトラブルで頭を抱えています。

一応、なぜボイラー式ではないのかといいますと、煙もくもく吐く潜水艦があってたまるか、ということです。
ディーゼルも煙が出るには出ますが、ちょっとした排気管があれば済みます。
実際に馬力が強いメリットを優先した蒸気式潜水艦も誕生はしているのですが、隠蔽性が損なわれる上に潜航前にいちいち煙突を収納しなければなりません。
さらに潜行機関はディーゼルですから、ボイラーとディーゼルを両方載せるとなるとめちゃくちゃ重く、大きくなり、とても実用性がありませんでした。

本艦とは関係のない話が続いてしまいましたが、なぜこの話をしたかというと、ディーゼルって難しいんです。
上記の通り日本のディーゼル水上艦は性能が悪く、【日進】でしか成功していないといってもいいでしょう。
そしてフィアット社のディーゼルもまた性能に問題を抱えており、せっかく完成した「F一型」は性能通りの速度がほとんど出せませんでした。
さらに日本のディーゼル技術のノウハウもない状態では整備も困難で、性能が悪くてもそれを修繕する術がありませんでした。
こういう技術は1人だけが持っていても意味がなく、各技術者にその力が付くのにはまだ時間が必要だったのです。

さらに船体強度にも問題があり、安全潜航深度50mと言われた本型は蓋を開けてみれば20mしか沈めないという有様でした。
20mが海面から見えるかと言われると見えはしませんが、潜航深度が浅い潜水艦は退避場所がありません。
水上艦からは速度では全く敵わないのですから、逃げ道は下しかないのです。
それが20mでは生きた心地がしないでしょう。

【呂1・呂2】は呉鎮守府所属で、当初は今ある潜水艦だけで潜水隊を編成してましたからこの性能でも潜水隊には所属していました。
しかし潜水艦の建造が進むにつれ、佐世保へ転属するも【呂1・呂2】は新造艦との整備性や強度の問題によって運用が難しい存在となっていきました。
昭和7年/1932年に2隻揃って除籍となっています。

同 型 艦

呂号第一潜水艦呂号第二潜水艦