最上型

軽巡洋艦

帝国海軍巡洋艦の進化 その2

このページは、ものすごくざっくりと帝国海軍の巡洋艦の進化を比較していくページです。 このページでは、軽巡洋艦誕生から終戦までの巡洋艦の進化を紹介いたします。 軽巡洋艦誕生以前の船についてはこちら(帝国海軍 巡洋艦進化の物語 前編)。 ...
航空機/飛行艇

水上偵察機 『瑞雲』/愛知 E16A

昭和14年/1939年、日本は軍艦の搭載用として「零式水上偵察機(試作時は十二試三座水上偵察機)」を完成させます。 空母を量産できればいいのですが、何分コストと時間がかかりすぎますし、加えて搭載数に限界がある空母に「偵察」しかできない艦載機を載せることには非常に懐疑的でした。 そこで、軽巡洋艦以上の大型艦に搭載できる水上機を偵察機として運用し、その穴を埋めようという意図で誕生しました。
重巡洋艦

熊野【最上型重巡洋艦 四番艦】

5月には、「最上型」4隻をはじめとする第七戦隊に所属して「ミッドウェー海戦」へ出撃します。 ところが「ミッドウェー海戦」はまさかの大敗北。 主力の航空母艦4隻をたった一日で失った連合艦隊ですが、司令部はこのまま戻ってなるものかと、夜に乗じて当初の作戦通りミッドウェー島を砲撃するつもりでした。 しかしやっぱり止めだと命令は撤回、第二艦隊は撤退することになります。
重巡洋艦

鈴谷【最上型重巡洋艦 三番艦】

「友鶴事件」、そして「第四艦隊事件」と、相次いで船体設計の不備が発覚する中、「最上型」の三番艦【鈴谷】はこれらの問題を解消した上で建造されることになります。 そのため、【最上・三隈】とは設計が異なり、「改最上型」や「鈴谷型」と分類されることもあります。ボイラーが大型8基、小型2基の予定だったものを、大型8基にしぼり、その結果煙突を少し細くしています。
重巡洋艦

三隈【最上型重巡洋艦 二番艦】

【最上】と同じく、将来的に重巡洋艦として20.3cm連装砲を装備することを前提に建造された軽巡洋艦【三隈】です。 「バタビア沖海戦」では日本の輸送船団を狙う連合軍と対峙し、【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ヒューストン】、【豪パース級軽巡洋艦 パース】を撃沈させます。 日本の輸送船団にも損傷が出ますが(【最上】の誤射含む)、この海戦では一応の勝利を手にします。
重巡洋艦

最上【最上型重巡洋艦 一番艦】

昭和5年/1930年になると、日本は軽巡洋艦の老朽化に伴う代替艦の建造を計画していました。 「天龍型」は竣工してから10年になり、しかも3,500t級の小型設計。 「球磨型」の【球磨・多摩】も5,000t級ではあるものの大正9年/1920年、21年竣工でした。 軍縮の流れがあるとはいえ、このままでは国家を守る軍備が滞ってしまいます。
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