第四艦隊事件

軽巡洋艦

那珂【川内型軽巡洋艦 三番艦】

【那珂】は「川内型」の二番艦として起工し、横浜で順調に建造が進められていました。 ところが、まもなく進水式だという時に、突如関東を未曾有の大災害が襲います。 関東大震災です。 この延焼が横浜に襲い掛かり、横浜船渠もこの火事はなす術がなく全焼。 【那珂】も盤木が焼けたために船体は落下。
重巡洋艦

熊野【最上型重巡洋艦 四番艦】

5月には、「最上型」4隻をはじめとする第七戦隊に所属して「ミッドウェー海戦」へ出撃します。 ところが「ミッドウェー海戦」はまさかの大敗北。 主力の航空母艦4隻をたった一日で失った連合艦隊ですが、司令部はこのまま戻ってなるものかと、夜に乗じて当初の作戦通りミッドウェー島を砲撃するつもりでした。 しかしやっぱり止めだと命令は撤回、第二艦隊は撤退することになります。
重巡洋艦

鈴谷【最上型重巡洋艦 三番艦】

「友鶴事件」、そして「第四艦隊事件」と、相次いで船体設計の不備が発覚する中、「最上型」の三番艦【鈴谷】はこれらの問題を解消した上で建造されることになります。 そのため、【最上・三隈】とは設計が異なり、「改最上型」や「鈴谷型」と分類されることもあります。ボイラーが大型8基、小型2基の予定だったものを、大型8基にしぼり、その結果煙突を少し細くしています。
重巡洋艦

三隈【最上型重巡洋艦 二番艦】

【最上】と同じく、将来的に重巡洋艦として20.3cm連装砲を装備することを前提に建造された軽巡洋艦【三隈】です。 「バタビア沖海戦」では日本の輸送船団を狙う連合軍と対峙し、【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ヒューストン】、【豪パース級軽巡洋艦 パース】を撃沈させます。 日本の輸送船団にも損傷が出ますが(【最上】の誤射含む)、この海戦では一応の勝利を手にします。
重巡洋艦

最上【最上型重巡洋艦 一番艦】

昭和5年/1930年になると、日本は軽巡洋艦の老朽化に伴う代替艦の建造を計画していました。 「天龍型」は竣工してから10年になり、しかも3,500t級の小型設計。 「球磨型」の【球磨・多摩】も5,000t級ではあるものの大正9年/1920年、21年竣工でした。 軍縮の流れがあるとはいえ、このままでは国家を守る軍備が滞ってしまいます。
重巡洋艦

高雄【高雄型重巡洋艦 一番艦】

「高雄型」の特徴してあげられるのは大きく2つ。 1つは大きくなった艦橋。 もう1つは魚雷発射管に次発装填装置を取り付けたことです。 艦橋の大型化は、艦隊旗艦としての能力を最大限発揮する目的がありました。 「妙高型」の設計では戦隊旗艦程度の能力しか発揮できず、その戦隊を取りまとめる指揮官が鎮座する艦隊旗艦には向いていなかったのです。
重巡洋艦

那智【妙高型重巡洋艦 二番艦】

【那智】は「妙高型重巡洋艦」のニ番艦、やはり世界で最も強力な重巡洋艦として建造が始まりました。 しかし【那智】はことさら急いで建造されることになります。 なぜなら、昭和3年/1928年12月に行われる「御大礼特別観艦式」に、この【那智】が参加することが決まっていたからです。
航空母艦

蒼龍【航空母艦】

「ワシントン海軍軍縮条約」によって、【赤城】と【加賀】が戦艦から空母へと改造されてからおよそ7年。 日本には当時、上記の2隻の他に【鳳翔】と【龍驤】の計4隻が在籍していました。 条約で決められた保有制限の81,000tからこの4隻の総基準排水量を差し引くと12,630t。 そのうちの【鳳翔】は艦齢が16年に迫っており、廃艦を予定していました。
広告