駆逐艦山雲【朝潮型駆逐艦 六番艦】 起工日 昭和11年/1936年11月4日 進水日 昭和12年/1937年7月24日 竣工日 昭和13年/1938年1月15日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年10月25日スリガオ海峡海...駆逐艦
駆逐艦朝雲【朝潮型駆逐艦 五番艦】 起工日 昭和11年/1936年12月23日 進水日 昭和12年/1937年11月5日 竣工日 昭和13年/1938年3月31日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年10月25日スリガオ海峡...駆逐艦
駆逐艦満潮【朝潮型駆逐艦 三番艦】 【満潮】は【朝潮、大潮、荒潮】とともに第八駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊の下で太平洋戦争に挑みます。 開戦からは「マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦」に参加し、昭和17年/1942年2月には「バリ島沖海戦」に突入しました。 【満潮】は当時【大潮】とともに第二小隊として輸送船を護衛しながらマカッサルへ向かっていました。駆逐艦
駆逐艦時雨【白露型駆逐艦 二番艦】 太平洋戦争緒戦、【時雨】は主に護衛任務を行い、昭和17年/1942年4月には五航戦に所属し、【翔鶴・瑞鶴】の護衛を務めました。 5月は「珊瑚海海戦」に参加しますが、この戦いで【翔鶴】は沈没こそしなかったものの大破炎上。 【米レキシントン級航空母艦 レキシントン】を撃沈しますが、この【翔鶴】の大破は痛手となり、続く「ミッドウェー海戦」には【瑞鶴】とともに不参加を余儀なくされました。駆逐艦
重巡洋艦最上【最上型重巡洋艦 一番艦】Mogami【Mogami-class heavy cruiser First】 昭和5年/1930年になると、日本は軽巡洋艦の老朽化に伴う代替艦の建造を計画していました。 「天龍型」は竣工してから10年になり、しかも3,500t級の小型設計。 「球磨型」の【球磨・多摩】も5,000t級ではあるものの大正9年/1920年、21年竣工でした。 軍縮の流れがあるとはいえ、このままでは国家を守る軍備が滞ってしまいます。重巡洋艦
戦 艦山城【扶桑型戦艦 二番艦】Yamashiro【Fuso-class battleship Second】 「扶桑型戦艦」一番艦【扶桑】が竣工した時、予算の関係で着工がかなり遅れた【山城】はようやく進水したところでした。 しかし欠陥だらけの【扶桑】に浴びせられた罵詈雑言は、やがて建造途中の【山城】にも向けられることになります。 同じ設計図で建造されているのですから当然でしょう、「欠陥戦艦が二隻もあってどうするつもりだ」という心境になるのも無理はありません。戦 艦
戦 艦扶桑【扶桑型戦艦 一番艦】Fuso【Fuso-class battleship First】 「金剛型戦艦」の導入が始まり、いよいよ日本でも超弩級戦艦の設計・建造がスタートします。 当時としては世界最大、また世界で初めて排水量30,000tを超えた巨大な戦艦でした。 しかし、結論から言ってしまえば、「扶桑型戦艦」はなかなか見事な失敗作でした。 カタログスペックこそ、当時の世界水準に見劣りはしませんでしたが、実際に運用すると改善箇所がどんどん浮き彫りになってきます。戦 艦