陸上攻撃機

航空機/飛行艇

陸上攻撃機 『連山』/中島 G8N

日本初の四発機「深山」は、ありとあらゆる問題が噴出した結果採用されることなく計画は中止。 しかし時はすでに戦中で、大型陸上攻撃機は必ず陸上基地や艦船攻撃に重宝されるようになると考えられ、日本に未だに四発機がない事態を憂いていました。 昭和18年/1943年、海軍は「深山」で失敗はしたものの、ノウハウを得ている中島飛行機に再び四発機の製作を指示。
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陸上攻撃機 『泰山』/三菱 G7M

「一式陸攻」の生産が始まった昭和14年/1939年、同時に海軍は次の一手として「十六試陸上攻撃機(泰山)」の開発を三菱に命令しました。 しかしその内容は時速556km/h・航続距離7,400kmという馬鹿げた数字で、しかもそれを双発機で実現しろというものでした。 さらに急降下爆撃可能や防弾ゴム皮膜といった嬉しくないオプションもついてきて、三菱は早々に「四発機でないと無理です」とさじを投げています。
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陸上攻撃機 『深山』/中島 G5N

1930年代から世界各国の航空機は目覚ましい発展を遂げ、特に大型の航空機の開発が活発になってきました。 日本は「ロンドン海軍軍縮会議」によって保有に制限がかけられた空母の代替として、陸上から長航続距離を持って敵艦船などを攻撃するための、全く新しい陸上攻撃機の開発に取り組み始めます。 それが「九六式陸上攻撃機」であり、そしてその後に製造される「一式陸上攻撃機」です。
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一式陸上攻撃機/三菱 G4M

「九六式陸上攻撃機」が誕生し、「第二次上海事変」において果敢に渡洋攻撃を繰り出していた昭和12年/1937年。 海軍は優秀な性能にも関わらず高い損耗率を出している「九六式陸攻」の後継機をすぐにでも用意すべきだと慌てていました。 戦闘機は後ほど「零式艦上戦闘機」が誕生して事なきを得るのですが、しかし旧式の複葉戦闘機にも撃墜される脆弱性は見過ごすことはできません。
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九六式陸上攻撃機/三菱 G3M

「ワシントン海軍軍縮条約」及び「ロンドン海軍軍縮会議」によって、世界の海軍兵力は決められた制限内での増強を強いられることになりますが、その中で急速に脅威となっていたのが空母です。 戦艦や巡洋艦は自前の砲での攻撃ですが、空母の艦載機はそこから飛び立つ数々の航空機がそれぞれ自由に攻撃することができます。
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