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零式小型水上機/空技廠
Yokoshuka E14Y

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零式小型水上機一一型
全 長8.540m
全 幅10.980m
全 高3.800m(三点)
主翼面積19.00㎡
自 重1,119kg
航続距離882km
発動機
馬力
空冷単列星型9気筒「天風一二型」(日立)
340馬力
最大速度264km/h
武 装7.7mm機銃 1挺
爆弾30kg2発または60kg1発
符 号E14Y1
連 コードネームGlen(グレン)
製 造九州飛行機
設計者空技廠
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アメリカ本土空襲の立役者は影で活躍した小さな水上機

昭和12年/1937年、日本はこれまでの【九六式水上偵察機】の後継機に当たる小型水上機の開発に取り掛かります。
【十二試潜水艦用偵察機】と呼ばれた後継機は、その名の通り潜水艦に搭載させることを目的とした新しい水上機でした。

潜水艦は隠密性に優れるものの、当時はまだ探査能力が確立されておらず、周囲観察のためには海面近くまで浮上し続ける必要があるという大きな危険性を孕んでいました。
その対策として、水上機を海面で素早く組み立てて飛行させ、戻ってくるまで潜水艦は再び潜り続ける方法をこの【十二試潜水艦用偵察機】で達しようとしたのです。
ちなみに欧米でも同様の試みがありましたが、まず水上機・潜水艦の設計が困難を極める上、その界面に浮上して離着水する際の危険性も看過できないとして断念しています。

【十二試潜水艦用偵察機】は小型かつ単葉機という、潜水艦搭載用としては初めての試みで、渡辺鉄工所とのコンペの結果、開発は海軍航空技術廠が担うことになります。
潜水艦搭載水上機で最も重要なのは、分解できる・簡単に組み立てることができる特殊な構造です。
いくら小型でも全幅は10m以上あります。
超大型潜水艦の「伊四百型潜水艦」でも全幅は12mですから、そっくりそのまま収めることができる潜水艦なんて頭から構想に入っていないのでしょう。

分解可、組立容易に加え、水上機ですから海水に強いこと、また組立時に隙間ができて海水や塩分が入り込んで腐食が起こらないようにすることなど、「潜水艦用水上機」には様々な条件が伴います。
そしてもちろん、その水上機が役に立つ性能を持たなければならないのです。
戦前だったからよかったものの、収納のために低くした尾翼が安定感を損なったり、重量がなかなか絞りきれなかったりと、開発から採用までに3年もの時間を費やしています。
しかしその甲斐あって、組立は浮上してからわずか10分少しで完了したとのことです。

水上機としての性能は正直高くはありませんが、これは日本国内の他の水上機の性能が高すぎるため、相対的に低く見えてしまうのです。
艦船搭載用の水上機はかなりの広範囲を偵察するため、運動性や速度も要求されましたが、この【零式小型水上機】は潜水艦から大きく離れて偵察することはありません。
最高速度は250km/h足らずで、重量も1.5tとかなり軽量(【零式水上偵察機】は約360km/hで3.6t)。
一応7.7mm機銃は搭載していましたが、これも護身用で、使う機会はないに越したことはありませんでした。
60kg爆弾も1つ搭載が可能でしたが、これは【零式小型水上機】を有名にさせたとても重要な性能です。

完成した【零式小型水上機】は、開発の際に争った渡辺鉄工所から航空機分野だけ分離した九州飛行機が担いました。
【零式小型水上機】は大型の巡潜甲型(「伊九型潜水艦」)に搭載される予定でしたが、その後ほぼ同設計で若干小さくなった巡潜乙型(「伊十五型潜水艦」)にも搭載されることが決定。
【零式小型水上機】は試作機含めて138機が製造されました。
搭載可能な潜水艦の総数が23隻で、1隻につき1機搭載であることを考えると、かなりの数が製造されていることがわかります。

【零式小型水上機】は隠密に徹した地味な水上機ですが、1つアメリカの歴史にも深く刻まれた実績を持っています。
もしかしたら【零式小型水上機】は国内よりもアメリカのほうが有名かもしれません。

「アメリカ本土爆撃」

日本がかつて本気で構想を立て、「伊四百型」【晴嵐】開発に踏み切った起死回生の一手。
そのきっかけを作ったのが誰あろう【零式小型水上機】です。

昭和17年/1942年8月15日、【伊25】が密かにアメリカ西海岸のオレゴン州へと向かいました。
目的はアメリカに爆撃を行って大規模な森林火災を発生させ、本土が危機にさらされているという恐怖からアメリカの主力を本土防衛のために退却させることでした。
9月7日、オレゴン州沖に到達しますが天候が悪く、【零式小型水上機】は翌々日の9日に【伊25】から発進しました。
早朝、【零式小型水上機】は予定通りエミリー山上空から焼夷弾2発を投下。
みるみるうちに火の手は広がり、成果を確信した【零式小型水上機】は素早く【伊25】へと帰還します。

ところが前日までの悪天候で森林は多くの水分を溜め込んでいて、この火災は大変小規模なもので終わってしまいます。
10日には警戒していたアメリカ軍機に発見されて爆雷を受けて損傷しますが、航行に影響はなかったために作戦を続行。
29日に再び【零式小型水上機】がオーフォード近郊の森林に向けて爆撃を行いました。
しかしこの作戦も小規模かつ自然鎮火と、被害状況はアメリカの戦術を一変させるには程遠い戦果となってしましました。

しかしアメリカ本土「砲撃」は米英戦争や太平洋戦争中に他の潜水艦(【伊17】【伊26】,そして伊25自身)が行っていますが、「空襲」はアメリカ有史以来この【伊25】から発進した【零式小型水上機】の2回が唯一無二の成果です。
この2回の空襲に加え、【伊25】の砲撃はアメリカ軍陸上基地への砲撃で、かつアメリカ側が全く反撃できなかったということから、【伊25】と【零式小型水上機】はアメリカの歴史から切り離すことができない存在となっています。