起工日 | 大正10年/1921年11月7日 |
進水日 | 大正11年/1922年6月24日 |
竣工日 | 大正11年/1922年11月11日 |
退役日 (除籍) | 昭和20年/1945年10月5日 |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 1,251t |
垂線間長 | 97.54m |
全 幅 | 8.92m |
最大速度 | 39.0ノット |
馬 力 | 38,500馬力 |
主 砲 | 45口径12cm単装砲 4基4門 |
魚 雷 | 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門 |
機 銃 | 6.5mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 4基 |
三菱パーソンス式ギアード・タービン 2基2軸 |
峯風型もう1隻の回天搭載艦 38年生き続けた波風
【波風】は【野風】【沼風】【神風】とともに第一駆逐隊を編成し、千島・北海道の交通保護に従事します。
「日華事変」では華北・華中の沿岸作戦に参加。
太平洋戦争では同じく北方で哨戒・護衛活動を行います。
【野風】と同じくしばらくは北方から国内の移動が中心です。
キスカ島撤退作戦にも後方支援で参加しますが、そこから太平洋周辺にもどんどん潜水艦がでてくるようになり、激戦地でなくても哨戒活動は入念に行う必要に迫られます。
そして1944年9月18日、小樽から択捉島へ向かう船団護衛中に【米サーモン級潜水艦 シール】の魚雷が【波風】に直撃。
この雷撃は【波風】の艦尾をぶった切ってしまい、推進軸の付け根付近の被害だったため推進軸も変形してしまいます。
当然舵も艦尾と共に喪失していますから航行不能、【神風】に曳航され、小樽へと引き返します。
その後【波風】は【特設砲艦 千歳丸】に舞鶴まで曳航され、そこで本格的な修理を行うことになりました。
が、艦尾を失った【波風】は軍にとっては非常に好都合でした。
なにしろあれを積むには艦後部を延長改造しなければならないからです。
あれとは何を隠そう「回天」です。
人間魚雷として悪名高き「回天」を搭載する艦の準備を海軍は進めていて、「峯風型」では【汐風】が同じく「回天搭載艦」としての改装が施されています。
日本の危機をこれまで大きく感じることがなかった【波風】は、衝撃的な兵器を積むことで窮地を知ることになるのです。
2月に改装は終了し、1番砲と機銃以外の兵装が取り払われてしまった【波風】ですが、幸いにして終戦まで彼女は「回天」を積んで航海に出ることはありませんでした。
1945年6月からは、呉で【B-29】が投下した機雷監視を行い、そのまま終戦まで生き延びました。
終戦後、【波風】は特別輸送艦として復員輸送を行います。
1947年にはその任も解かれますが、【波風】はまだ退役することはありませんでした。
【波風】は賠償艦として中華民国に引き渡され、名前を『瀋陽』と改めます。
その後、13年の長きにわたって『瀋陽』は現役であり続けました。
1960年、『瀋陽』は遂に退役。
【波風】竣工から、実に38年後のことでした。