起工日 | 昭和19年/1944年11月9日 |
進水日 | 昭和20年/1945年1月8日 |
竣工日 | 昭和20年/1945年4月28日 |
退役日 (引渡) | 昭和22年/1947年7月16日 |
建 造 | 横須賀海軍工廠 |
基準排水量 | 1,289t |
垂線間長 | 92.15m |
全 幅 | 9.35m |
最大速度 | 27.3ノット |
航続距離 | 18ノット:3,500海里 |
馬 力 | 19,000馬力 |
主 砲 | 40口径12.7cm連装高角砲 1基2門 40口径12.7cm単装高角砲 1基1門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 1基4門 |
機 銃 | 25mm三連装機銃 4基12挺 25mm単装機銃 12基12挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 2基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
※松型・橘型の艦の順序は基準によって異なります。
【楠】は竣工後に缶に不具合があることが判明し、第十一水雷戦隊として瀬戸内へ向かったのはその修理が終わったあとでした。
道中立ち寄った大阪港には、先に竣工して横須賀を発っていた【柿】がいました。
この2隻は3月に横須賀を出発して瀬戸内海を目指していたのですが、道中で【柿】の缶が爆発するという事件が発生。
同行していた【萩】に曳航され、やむなく大阪の藤永田造船所で修理を行っていたのです。
5月11日、【楠】は大阪港で初めての対空戦を行いますが、なんとか被害を抑えることができました。
そして修復が終わった【柿】とともに瀬戸内海へと向かいました。
しかし到着して2週間もしないうちに、第十一水雷戦隊は敵襲から逃れるために瀬戸内海を離れ、日本海側の舞鶴を目指すことになります。
そして27日、第十一水雷戦隊は予定通り舞鶴へと到着しました。
しかし、【楠】たちはその退避先では快く迎え入れられませんでした。
第十一水雷戦隊が危険から逃れてきたのと同じく、舞鶴もまた、戦闘の火種となりうる戦隊の受け入れに難色を示したのです。
結局舞鶴は第十一水雷戦隊の入港を拒否し、【楠】たちは数日待機ののち、福井の小浜港へと移動することになりました。
7月15日、【楠】は特殊警備艦となり、そして23日にはふたたび舞鶴へと戻ります。
そしてそのまま、8月15日の終戦を迎えました。
戦後は復員船として必死に働き、昭和22年/1947年7月16日に賠償艦としてイギリスへ引き渡されました。