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【橘型駆逐艦 初櫻】
Hatsuzakura【Tachibana-class destroyer】

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起工日 昭和19年/1944年12月14日
進水日 昭和20年/1945年2月10日
竣工日 昭和20年/1945年5月28日
退役日
(解体)
昭和34年/1959年2月19日以降

建 造 横須賀海軍工廠
基準排水量 1,289t
垂線間長 92.15m
全 幅 9.35m
最大速度 27.3ノット
航続距離 18ノット:3,500海里
馬 力 19,000馬力
主 砲 40口径12.7cm連装高角砲 1基2門
40口径12.7cm単装高角砲 1基1門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 1基4門
機 銃 25mm三連装機銃 4基12挺
25mm単装機銃 12基12挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 2基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸
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ミズーリの水先案内人 敗戦の日本に花を手向けた初櫻

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集 第一巻解説』潮書房

【初櫻】は竣工後に第十一水雷戦隊に配属となりますが、姉たちのように瀬戸内海へ向かうことはなく、命令があるまで横須賀で待機となっていました。
そして6月4日、主機損傷によって航行ができずに横須賀に残っていた【潮】とともに横須賀鎮守府部隊へ編入されます。
しかし【初櫻】はついに命令を受けることなく、そのまま太平洋戦争は終結しました。

【初櫻】の活躍はここからです。
8月17日、【初櫻】は連合国の艦隊との会合に用いられました。
相模湾で待機していたアメリカ艦隊を日本の軍使が訪ねることになり、その船に【初櫻】が選ばれたのです。
そして翌日、【米アイオワ級戦艦 ミズーリ】を筆頭に、かつての黒船のように居並ぶアメリカ艦隊を東京湾に入港させるための水先案内人として、【初櫻】は東京湾に帰ってきました。
東京湾から見える勇壮な、そして大量の艦船は、日本が敵対してきたアメリカという存在がいかに巨大で強力であるかを無言で納得させるものでした。

一大イベントに参加した【初櫻】でしたが、その後昭和22年/1947年まで復員輸送に従事し、7月5日にソ連へ賠償艦として引き渡されることになりました。
ソ連では新たに『ヴェートレンヌイ』という名を拝命し、艦隊水雷艇(駆逐艦)としてソ連海軍に編入されます。
8月にウラジオストクへ回航され、そして10月には名を『ヴィラジーテリヌィイ』へ改称しました。

しかしその後は港に繋留される日々が大半を占め、そして昭和24年/1949年3月には標的艦へと種別を変更、名前も『TsL-26』(第26号標的艦)となりました。
昭和26年/1951年から53年は中期修理を受けることになり、完了後は標準的な標的艦へとグレードが上がっていました。
そして昭和34年/1959年まで使用された『TsL-26』は、2月19日に退役し、「橘型」としてはかなり長かった寿命に幕を下ろしました。

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