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潮【綾波型駆逐艦 十番艦】その2
Ushio【Ayanami-class destroyer】

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レイテ、マニラから逃げるも片足損傷 復活はなく静かな終戦

昭和19年/1944年1月1日に第七駆逐隊は第一水雷戦隊に配属されました。
12日には【潮】だけが船団護衛に参加していましたが、マーシャル諸島沖で【B-25】の空襲を受けて2発の爆弾を被弾してしまいます。
また至近弾による浸水の為に最大速度が20ノットにまで低下し、【潮】は急ぎクェゼリン環礁まで避難しました。

20日に【伊良湖】が雷撃を受けて損傷したため、【潮】【鳥海】【涼風】が救援に向かい、その後トラック島まで退避。
そして第七駆逐隊は北方部隊への復帰が決まったため、【雲鷹】を護衛して本土に戻った後、修理を経て再び北へと進路を取りました。
ただし14日に【漣】【米ガトー級潜水艦 アルバコア】の雷撃によって沈没してしまったため、第七駆逐隊はついに2隻だけとなっていました。

ところが7月7日には共に船団を護衛していた【薄雲】が、そして9日には護衛していた【太平丸】がそれぞれ雷撃によって沈没。
北方海域はもともと安全とは言い難い海域でしたが、アッツ、キスカ両島を失ってからは千島列島などへの移動でも非常に危険なものとなっていました。
加えて「マリアナ沖海戦」やサイパン陥落と南方でも大変な事態に陥ったため、第七駆逐隊はすぐに南へ戻されることになりました。
しかも南に向かう前に本土で訓練を行っていたところ、【潮】が発射した訓練用の魚雷が途中でいきなり方向を変えて【曙】に直撃し、缶室が一部浸水する被害を出しています。

昭和19年/1944年8月20日時点の兵装
主 砲50口径12.7cm連装砲 2基4門
魚 雷61cm三連装魚雷発射管 3基9門
機 銃25mm三連装機銃 4基12挺
25mm連装機銃 1基2挺
25mm単装機銃 8基8挺
13mm単装機銃 6基6挺
電 探22号対水上電探 1基
13号対空電探 1基(可能性大)

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

この本土在留中に【潮】【曙】は新たに13号対空電探を装備。
ですがすぐさま南方へ向かうことはなく、もはや突破口を失った日本海軍はレイテ島上陸に一縷の望みをかけて突撃することとなりました。 
「捷一号作戦」です。

第七駆逐隊は志摩艦隊に所属し、スリガオ海峡で西村艦隊に合流し、ここを通過してレイテ島を目指す針路をとることになります。
しかしこの作戦は艦隊同士の連携が非常に悪く、特に栗田艦隊がパラワン水道で重巡3隻を失ったことと「シブヤン海海戦」に巻き込まれたことと、「台湾沖航空戦」に際して第五艦隊が出撃したことから最初からスタートが遅く、進軍速度に大きなブレがありました。
時は10月24日、栗田艦隊は大幅に遅れる一方で、西村艦隊は当初の計画よりもかなり早くスリガオ海峡に到着しており、そして西村艦隊志摩艦隊との合流を待つことなく北上を開始しました。
志摩艦隊栗田艦隊の反転に合わせていると西村艦隊との距離がどんどん開いてしまうことを懸念し、先行する西村艦隊を追いかけることにしました。

ところがスリガオ海峡は米軍によって完全に封鎖されていました。
魚雷艇が数層に渡って配備されており、そして最後には戦艦を含む大艦隊が夥しい砲雷撃を仕掛け、【時雨】を除いて全ての艦がこの海に沈んでいきました。

その後を追っていた志摩艦隊も、やはり魚雷艇の洗礼を受けます。
魚雷艇は脆いですが小さくて素早い上に魚雷を至近距離から放ってきますので撃ち漏らすととんでもないことになります。
そしてその魚雷艇の放った魚雷が、【阿武隈】に命中してしまいます。
この時魚雷は【潮】目掛けて飛んできたのですが、これが外れて【阿武隈】に命中したと言います。

前方では【那智】が大破した【最上】と衝突しており、さらにその向こうでは真っ赤に燃え盛るいくつもの火柱がありました。
もはや反撃の隙も無いと判断した志摩艦隊は、まともな攻撃をすることなく撤退せざるを得ませんでした。

【最上】には「ミッドウェー海戦」の時のような幸運は訪れず、空襲の末に最後は【曙】によって雷撃処分されます。
一方魚雷を受けていた【阿武隈】には【潮】が護衛に就きますが、これもやはり空襲を受けて死に物狂いで逃げ続けました。
日が沈んだことでなんとかこちらはミンダナオ島まで逃げ切ることができ、ここで一夜を過ごします。

突貫での応急修理を行った後、2隻は翌朝には再び出撃し、合流の地であるコロンまでひた走ります。
しかし日が昇ると敵の行動も活発になり、10時過ぎには2隻は再び米軍の網にかかってしまいました。
【B-24、B-25】が迫ってきて次々と爆弾を投下していきます。
【潮】【阿武隈】は必死に機銃を撃ち続けますが、もはや25mm機銃程度ではそう簡単に致命傷にはなりません。
爆弾は【阿武隈】の船体を大きく破壊し、最後は搭載していた魚雷に誘爆したことで【阿武隈】はついに沈没(なぜ投棄していなかったのか)。

【阿武隈】の被害甚大なるをみて次は【潮】がターゲットになりますが、【潮】はこの絶体絶命の状況でも遂に致命傷を受けずに難局を突破することに成功します。
空襲を耐え抜いた後、【阿武隈】の生存者を救助して【潮】はコロンまで駆け抜けていきました。

「捷一号作戦」は大失敗に終わりました。
しかしアメリカの進軍を食い止めるためにはフィリピンの防衛が絶対です。
ここでまたいろいろ食い違いが発生するのですが、最終的にレイテ島にできるだけ多くの輸送を行って陸軍支援を行うことになりました。
これが「多号作戦」です。
残存駆逐艦や輸送艦、輸送船など、輸送に使える船がどんどん注ぎ込まれていきました。

10月31日、第二次輸送部隊がマニラを出撃。
この作戦には【潮】の他に駆逐艦では【曙】【霞】【初春】【初霜】【沖波】が参加しています。
まだアメリカもこの「多号作戦」に対して動き出しが鈍い時期だったため、この輸送は【能登丸】が空襲で沈没するものの輸送はほぼ達成されました。
しかしこの後から「多号作戦」は一気に危険度が増し、第三次輸送部隊が壊滅的打撃を受けることになります。

一方で数少ない拠点となっているマニラも頻繁に空襲を受けるほど危機が迫っていました。
第二次輸送部隊がマニラに戻ってきたのは11月4日でしたが、翌日の空襲では【那智】が3つに分断されるほどの爆撃を受けて沈没し、【曙】も大破してしまいます。
【那智】は10月29日の空襲により大きな被害を受けていて、ほとんどなす術がありませんでした。
【曙】【潮】がキャヴィデ港まで曳航され、そこで繋留されて工作部による修理を受けることになりました。

5日の空襲の影響で、「多号作戦」は遅延が発生します。
第三次輸送部隊は本来6日に出撃予定でしたがこれができなくなり、逆に第四次輸送部隊の準備が先に整ったため、数字通りではなく第四次輸送部隊が先に出撃、第三次はこれが帰ってきてからという段取りに変更になりました。
【潮】は第四次の方に参加しており、8日に【長波】【若月】などとともにマニラを発ちました。

今回護衛するのは【高津丸、香椎丸、金華丸】の3隻で、8日は運よく台風の中を通過できたため空襲を受けることはありませんでした。
しかし翌日になると天気が回復してしまい、第四次輸送部隊はオルモック湾を目前にして空襲を受けてしまいました。
幸いなことにこの空襲の被害は浅かったのですが、後々響くのが機銃掃射による大発動艇やデリックの損傷でした。

オルモックに到着した【潮】達ですが、目の前には本来あるはずだった大量の【大発】が数えるほどしかないことに気付きます。
実は昨日隠れ蓑となっていた台風が一方では日本に負の側面ももたらしており、この台風が湾内にあった【大発】を破壊したり転覆させたりと猛威を振るっていたのです。
使える【大発】は50隻中わずか5隻であり、こんな状況で揚陸が満足にできるわけがありませんでした。
加えて前述の輸送船搭載の【大発】、デリック損傷もあって、物資に限っては揚陸が絶望的でした。

それでもやらなあかんもんはやらなあかんので、【大発】の代わりに吃水線の浅い海防艦でできるだけ浅瀬まで運び、そこから浜まで人と物資を運び地道に揚陸を進めます。
足がある人間ですら海の中をジャブジャブ歩くのは大変なのですから、箱にぎっしり詰まった弾薬ですら運ぶのに一苦労です。
日が昇るまで半日ぐらい非効率な揚陸を続けた【潮】達ですが、やはり人員の揚陸は何とかなったものの、物資類は微々たる量しかもたらされませんでした。

多くの揚げ残し物資を抱えたまま、10日10時半には部隊は撤退を開始。
しかし粘りすぎたせいで太陽は十分高く昇り、懸念された空襲が再び【潮】達を襲ったのです。
この空襲で【高津丸】【香椎丸】が被弾。
ちゃんと積み下ろしができていれば生存の道もあったのかもしれません、2隻とも最終的には船内に大量に残っていた弾薬に引火して沈んでしまったのです。

また【第11号海防艦】も被弾により航行不能となりました(最終的に砲撃処分)。
【金華丸】だけが無事だったので、今後の作戦のために何としても【金華丸】は守らねばなりません。
部隊は救助と撤退組に分かれ、【潮】【秋霜】【若月】【占守】【沖縄】とともに撤退組として戦場を後にしました。

ところが第二波が生き残りの【金華丸】を狙って再び襲来。
対空機銃がうなりますが、この空襲で艦首にもろに爆弾を受けた【秋霜】はやがて艦首が断裂。
それでも【秋霜】は防水処理などを適切に施し、15ノットのほどの航行は可能となりました。
【金華丸】も小破したものの、新たな沈没を出さずにマニラまで撤退に成功しています。

なんとか帰ってきたとはいえ、マニラがそもそも安息の地ではなくなっています。
アメリカは5日の戦果だけでは満足できず、13日に再び艦載機がマニラを焼き払いました。
この空襲で【曙】がついに沈没し、また【木曾】【初春、沖波】【秋霜】も沈没や大破着底と、再び惨劇が繰り広げられました。
【潮】も爆撃によって左舷片側航行を強いられ、ついに残存艦艇はマニラを脱出、シンガポールへと落ちのびます。

シンガポールで応急修理を受けたものの、大掛かりな機関の修理はできず、【潮】【妙高】を護衛して本土へ戻ることになります。
【妙高】も「シブヤン海海戦」で雷撃を受けて15ノット程度の速度しか出ず、お互い手負いの状態で危険海域の踏破をしなければなりませんでした。[1-P53]
しかし空の次は水の中、【米バラオ級潜水艦 バーゴール】が12月13日に2隻を発見し、魚雷発射の命令が下されるのは時間の問題でした。

【バーゴール】は浮上して2隻の前方で待ち伏せていましたが、その距離が3,000mを切ったとき、【潮】【バーゴール】を発見。[1-P55]
信号が点滅したことで発見されたことを悟った【バーゴール】は直ちに6本の魚雷を発射しました。
このうちの1本が【妙高】の艦尾左舷側に命中し、【妙高】は航行不能となります。
【潮】は爆雷を投下するために【バーゴール】に迫ったのですが、結局反撃をすることなく【妙高】の救助にあたっています。[1-P55]

攻撃を受けなかったことで【バーゴール】は魚雷を再装填し再び接近。
しかし【妙高】は、大胆不敵か舐めているのか浮上しながら近寄ってくる【バーゴール】を発見。[1-P55]
すぐさま主砲を放っていますが、残念ながら命中した砲弾は不発で爆発を起こすまでには至りませんでした。
それでも貫通した砲弾は電路関連や前部魚雷搭載用ハッチを粉々に破壊し、また火災も発生。
この被害によって【バーゴール】は潜航不能となり逃走し、救援を聞いて駆けつけた【米ガトー級潜水艦 アングラー】に護衛されて撤退していきました。
この際多くの乗員が【アングラー】に乗り移っていて、状況によっては自沈処分も考える必要があるぐらい、【バーゴール】の被害は大きいものでした。[1-P56]

一方【潮】は他の潜水艦の襲撃を警戒し、結局【バーゴール】への攻撃は行いませんでした。
追加の攻撃はなかったのですが、もともと片軸航行となっている【潮】では、浸水航行不能の【妙高】を引っ張るなんて到底できません。
【初霜、霞】、そして最後は【羽黒】が救援のためにやってきて、曳航されてシンガポールへ戻っていきました。
【潮】は単艦でサンジャックに到着しました。

19日、【潮】は5隻の海防艦と共にヒ82船団を護衛して日本へ向けて出発しました(うち【第19号海防艦】が他の輸送船護衛のため離脱)。
今度の試練はまたも潜水艦でした。
21日に【米ガトー級潜水艦 フラッシャー】は船団を発見し、攻撃のチャンスを伺っていました。

1日中つけまわしていた【フラッシャー】は、翌22日についにその機を得ました。
護衛が少し緩くなった隙をついて、なんと1隻で3隻を立て続けに撃沈することに成功します。
しかも日本側は敵の機雷を恐れて【フラッシャー】への反撃が全くできず、丸焦げになっていく輸送船の沈む様をただ見つめるばかりでした。

日本に戻った【潮】は、片足だけとなった主機の修理を受けることもなく、ただ終戦の玉音放送を聴くまで横須賀で待機するしかありませんでした。
第一水雷戦隊は解隊され、数合わせの第二水雷戦隊に編入。
そして「坊ノ岬沖海戦」で、最後の第七駆逐隊の僚艦であった【霞】(昭和19年/1944年11月15日編入)が沈没し、最後はその第七駆逐隊も解隊。
第四予備駆逐艦に指定された折には、警備艦としてまだ働き口のあった【響】に主砲が移されています。
弱者が消え去っていく様を、その身をもって体験してきた【潮】は、終戦後の昭和23年/1948年8月に解体されてその生涯を閉じました。

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]第二水雷戦隊突入す 著:木俣滋郎 光人社