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美保関事件

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【美保関事件】とは、1927年8月24日に発生した、夜間演習中の衝突事故である。

1922年、「ワシントン海軍軍縮条約」によって各国の海軍兵力に保有制限がかけられた。
日米に対して比率的に溝を空けられた状態を数で埋めることができなくなった日本は、1隻の性能を高めるとともに、それを操る兵員の練度底上げを図るため猛特訓を重ねることになった。

1927年8月24日、島根県の美保関に第一艦隊、第二艦隊が終結し、夜間無灯火演習を行うことになった。
「月月火水木金金」という言葉通り休みのない過酷な訓練が続く中、今度は無灯火での夜戦訓練を、しかも多数の艦艇が入り乱れるという想定で行うことになった。
無灯火ということは敵はおろか味方の位置を把握するのも一苦労で、さすがに危険だと反対意見も上がるほどだったが、演習は決行された。
演習は巡洋艦、駆逐艦で編成された乙軍が、戦艦部隊である甲軍に対して攻撃を行うものであった。
この演習には加藤寛治連合艦隊司令長官が自ら甲軍の旗艦【長門】で指揮を執る熱の入れようだった。

23時頃から演習ははじまった。
この日は月明かりもなく、漆黒の海原であった。
第五戦隊所属の【神通】は、後続に【那珂】と駆逐艦を引き連れていたが、その距離はわずか300m足らずであった。
荒れた闇夜での行動だったため、これぐらいの距離でなければお互いを視認することも難しかった。

23時6分、【神通】は前方に【伊勢】を発見し、すぐさま後方に知らせるために信号を放つ。
しかし同時に甲軍の護衛【龍田】に発見され、さらに【伊勢、日向】から照射射撃を受けてしまう。
これを回避するため、【神通】は右旋回で退避、【那珂】もこれに随伴しようと必死に舵を切った。

続いて【神通】は戦艦の背後に忍び寄るが、その前方に不意に駆逐艦が現れた。
無灯火なので当然味方艦も早々視認はできない、【神通】は衝突を回避するために舵を45度切り、辛うじて1隻目の駆逐艦をやり過ごすことができた。
しかしその先にはやはり視認できていなかった【蕨】が存在し、【神通】は回避することができずに【蕨】の腹を突き破る勢いで衝突した。

この時駆逐艦は【神通】の放った信号の方向に向かっていた。
しかしその後照射射撃などがあって転舵をしていた【神通、那珂】の影を追うことができなかった。
そのため2隻の軽巡は航続の駆逐艦に割って入る形に衝突してしまった。
後続にいた【那珂】は闇夜に響き渡る衝撃音に続いて眼前に現れた惨状への二次被害を避けるべく、急遽左へ舵を切った。
ところが左には【蕨】に続いていた【葦】が存在し、【那珂】は舵を切りきって【葦】が通り過ぎた艦尾を掠めてくれることを願ったが、無念にも【那珂】【葦】の艦尾に衝突した。
【葦】は三番砲塔以下が脱落し、28名が殉職したが、奇跡的に沈没は免れた。
【那珂】も艦首を損傷し中破した。

深刻だったのは【神通】【蕨】だった。
【神通】は一番砲塔付近までの艦首下部を失い大破。
【蕨】に至っては小型で排水量も少ない二等駆逐艦「樅型駆逐艦」であったこと、また衝突箇所が最も衝撃が全体に広がりやすい艦中央部であったことから、船体は真っ二つとなった。
またボイラーも爆発し、【蕨】は瞬く間に沈没した。
22名が救助されたが、五十嵐恵艦長以下91名が殉職した。

【那珂】は自力で、【神通】【葦】はそれぞれ曳航されて舞鶴へ向かった。
この修理の際に、【神通】は当初のスプーン・バウから「川内型」では竣工が遅れた【那珂】だけが備えていたダブルカーブド・バウへと変更されている。

事件後、【神通】艦長の水城圭次大佐を起訴したが、水城は判決前日に自宅で自決した。
亡くなった【蕨】艦長の五十嵐少佐は海軍大学校時代、水城の教え子であったことも水城が自決を選択してしまった理由の一つであろう。

事件の直接の原因は【神通】ではあったが、そもそも実戦ですら想定されない猛烈な訓練がこの事件を招いた。
「訓練に制限なし」を標語に掲げ、特に水雷戦隊の訓練は苛烈に過ぎた。
さらに【蕨】【葦】はこの夜間無灯火演習どころか、夜間航行訓練すら未経験で、臨時にこの演習に編入された艦であった。
悪条件が重なって起こった【美保関事件】であるが、しかし加藤は訓練を緩めることは許さなかった。
実は加藤「ワシントン海軍軍縮条約」の主席随員で、つまり条約反対派、もっと言えば対米強硬派の先頭に立つ存在であった。
同じ加藤でも加藤友三郎海軍大臣(当時)の決断によって日本は条約に批准したが、加藤寛治は受諾が決まったその日、「今日から米国との戦争が始まった」と悔しさを全く隠さなかった。

演習の総責任者であった加藤は本人は辞意を申し出たものの査問委員会は最終的に加藤への責任を問わなかった。
アメリカに勝つ、そのためには日々是訓練を徹底するしかない、という判断だったのである。

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