【十・十空襲】または【沖縄大空襲】とは、1944年10月10日にアメリカ軍によって行われた沖縄への空襲である。
「マリアナ沖海戦」を皮切りにマリアナへの侵攻を着々と進めたアメリカは、次のターゲットとしてフィリピン制圧の準備を行っていた。
しかしフィリピン制圧の弊害となるのは日本からやってくる航空機であることから、アメリカは沖縄と台湾の航空基地に打撃を与えることにした。
一方日本も、次の標的が沖縄・台湾であることは予見しており、地上部隊や対空レーダー、高射砲などを沖縄に送る一方で、住民の疎開を急がせていた。
しかし陸軍部隊や装備は整いつつあったが、最も迎撃に効果的な戦闘機配備が遅れている状態だった。
市民もまだ空襲を経験したことがないことから来る危機感の希薄さと、同年8月に発生した、疎開船として使われた【対馬丸】がアメリカによって撃沈された恐怖から、疎開に積極的ではなかった。
そんな中、アメリカは日本の警戒網を掻い潜り、10月10日に大規模な空襲を決行する。
日本の哨戒機はことごとくアメリカに撃墜されており、また他の沖縄諸島への陽動もあり、アメリカの正確な目標を突き止めることは遂にできなかった。
アメリカの艦隊は本格的なもので、空母計17隻、攻撃を行った機は陸上機含め1,400機に迫った。
完全に虚を突かれた日本は、飛行場から停泊中の艦艇から軒並み攻撃を受け、また港湾施設なども徹底的な機銃掃射で破壊された。
攻撃はさらにエスカレートし、戦況に何ら影響がない漁船であったり、那覇市街地にも焼夷弾が落とされて火災が各所で発生。
市街地は最終的に9割が焼け落ち、那覇は2日で焼け野原と成り果てた。
日本はレーダーを配備していたものの、もともと日本のレーダーの信頼性は高くないというのが軍人共通の認識で、今回の奇襲もレーダーに表示はされたものの即時迎撃には移っていなかった。
また、ちょうど10日はアメリカの空襲を想定した「演習」が予定されていたこともあり、演習地域から離れた場所ではまさに演習が実施されているのだと勘違いしたという証言もある。
アメリカ機はわずか21機の損失。
日本は戦死者と民間人の死者が合わせて500人を超え、漁船を含めれば100を超える艦艇が沈没した。