全 長 | 6.50m |
全 幅 | 3.05m |
全 高 | 3.10m |
自 重 | 40.0t |
最高速度 | 40km/h |
走行距離 | 200km |
乗 員 | 6人 |
携行燃料 | |
火 砲 | 試製105mm加農砲(長) 1門 |
一式三十七粍戦車砲 1門 | |
二十粍連装高射機関砲 1門 | |
九七式車載重機関銃(7.7mm) 2門 | |
※機関砲、機関銃の数量 資料によって差異あり | |
エンジン | BMW 液冷V型12気筒ガソリンエンジン改造 |
最大出力 | 550馬力 |
最強の貫通力と最強の装甲 駆逐戦車の完成形も未成に終わる
昭和18年/1943年7月、戦車大国ドイツとソ連の、日本から見たら一歩二歩どころか一周先を進んでいる戦車事情を鑑みて、日本もアメリカがより強力な戦車を投入する前に、そしてやがては訪れるかもしれない対ソ戦に対抗できるよう、一気に世界最強クラスの超強力な戦車砲を搭載する車輌を開発することが決定します。
用途としては【五式中戦車 チリ】とタッグを組み、【チリ】の前に立ち塞がる障害を一撃で破壊できるほどの威力を持った、試製十糎戦車砲(長)を搭載する砲戦車を開発するというものでした。
【チリ】搭載砲は試製七糎半戦車砲(長)
でしたが、これで敵わない戦車が出てきたら後方から10cm砲でぶっ潰すというわけです。
試製十糎戦車砲(長)は口径105mm、初速900m/s、1,000mで150mm装甲を貫通するというとんでもない威力が目標となっています。
1,000mで150mmというと、額面通りの威力だとアメリカの【M4中戦車 シャーマン】の重戦車化である【M26重戦車 パーシング】の100mmを超える車体、砲塔防楯装甲は当然ながら、中戦車ながら120mmの前面装甲を持っているソ連の【T-44中戦車】、ドイツ重戦車の筆頭である【Ⅳ号戦車 ティーガーⅠ】をも貫通できる数値です。
撃発(発射)はトリガータイプではなく足元のペダルを踏んで行いました。
この威力を発揮するために砲身長は5.7mまでになり、車体長の8割弱を占めます。
また、これほどの威力を発揮する砲弾は一発30kgにもなり、1人で装填するのは無理があったので、砲尾の自動開閉装置と半自動装填機が一緒に搭載されています。
ですがこの半自動装填機のような新技術は日本にはまだレベルの高いものであり、故障が相次いだようです。
主砲開発には色んな部品がすでに火砲で搭載されたり設計で組み込まれていたものを流用しており、できるだけ開発や生産の時間を短くしようと苦心しています。
一方で砲塔装甲も非常に硬く前面125mmと、距離次第ですが敵戦車の85mm砲には耐えれるような厚みを持っています。
側面は25mm(らしいけどもっと厚い資料もあります)と薄めですが、それでも日本最強の貫通力を持ち、同時に最も重要な前面装甲も日本最強のものでした。
本来であればこれにさらに砲塔旋回化させたいというのがあったでしょうが、戦闘室を限界まで後ろに下げていることや重量が40tという重戦車並みのもになることから断念されています。
砲身部分が左右10度ずつだけ動かすことができました。
なお、車体形状については掲載している写真のような【ホリⅠ】に加えて、戦闘室を一般的な戦闘車両同様中央付近に設置した【ホリⅡ】というタイプが存在します。
【ホリⅡ】も固定砲塔で、【ホリⅡ】はドイツの駆逐戦車【ヤークトティーガー】によく似ていると言われています。
また、【ホリⅠ】にも前面装甲を段型にしたタイプと、掲載写真のような傾斜装甲タイプが存在しています。
【ホリ】はさらに副砲として軽戦車並みの一式三十七粍戦車砲を搭載し、機関銃も九七式車載重機関銃、そして対空砲として二十粍連装高角機関砲までも搭載し、周辺いずれの敵にも対抗できる装備を持っていました。
高角機関砲については常設だったのか取り外し可能だったのかは不明ですが、あれも重いですから取り外したとしても設置はどうするつもりだったのでしょうか。
ただ、かつて多砲塔が流行ったのに廃れたのは理由があり、複雑化する構造と整備の面倒さに対して利が薄いのです。
副砲についてはちょっと欲張りすぎかもしれません。
エンジンはさすがに40tクラスを動かすのにこれまでの空冷ディーゼルエンジンでは全く力不足だったため、旧式化して使われなくなっていたBMW製の航空液冷エンジンを流用しています。
550馬力とこれまでの戦闘車両とは比べ物にならない大出力でした。
当然火災の危険性はありますが、だからこその後方支援+前面装甲125mmです。
設計は昭和19年/1944年2月に完了しましたが、この段階で果たして【ホリⅠ】と【ホリⅡ】のどちらかに絞り込まれていたのか、はたまた両方とも1門だけ製造されたのかが資料不足で不明ですが、ここから2門の生産が始まりました。
12月に試作砲が完成した後、射撃を実験をしているうちにどんどん時間は過ぎていき、翌年5月にようやく1門が三菱玉川工場で製作中の車体に搭載されるために移動したようです。
もう1門は伊良湖試験上での弾道性試験へと移っています。
ですが結局このまま終戦を迎えてしまい、この終戦までに【ホリ】の車体はついに完成しなかったため、【ホリ】の完成品は1輌も存在しないわけです。
この事情は同じく10cm砲の対戦車砲を搭載するはずだった【試製十糎対戦車自走砲 カト】でも全く同じで、砲は完成したのに車輌が完成せずに完成品を世に出すことができませんでした。
玉川工場で5輌が工程50%を超えていたと言われていますが、これもやはり【ホリⅠ】なのか【ホリⅡ】なのかはわかっておらず、終戦後の資料処分というのがなんとも悔やまれる存在の1つと言えるでしょう。
もし戦線に現れれば、少なくとも当時のアメリカ戦車では手も足も出ない攻撃力と装甲を誇ったために、【チリ】と合わせて本土防衛の要になったことは間違いないでしょう(空襲はどうしようもない)。
陸軍も【チリ】の生産を断念してからも【ホリ】については生産を継続していることから、陸軍にとって起死回生の号砲をこの【ホリ】から放ちたかったという思いは大きかったと思います。