敵は空か海の中 支援特化の否砲撃戦武装
武装に関しても水上艦を攻撃することはほとんど考慮されていません。
主砲となるのは12.7cm連装高角砲と単装高角砲各1基。
12.7cm連装高角砲は、戦艦や重巡などに搭載された当時の日本の標準的な高角砲でした。
当HPのどこにも本装備について触れていないのでここで少し紹介いたします。
航空機の急速な発展に伴って、特に命中率を高めるための急降下爆撃対策は急務になってきました。
対空兵装というのは特に開発が遅れていた分野で、実はこの四〇口径八九式12.7cm高角砲というのは日本が初めてちゃんと高角砲として開発したものとなります。
昭和4年/1929年から設計が始まりましたが、この高角砲の活用にあたり、高度5,000mから1,200mにまで急降下してくる爆撃機に対して二門で毎分60発を放ち、うち1発でも致命傷が与えれればいいというのが主題となりました。
この60発というのは細かい計算があるので、実際に1門の発射速度が毎分30発というわけではありません。
現実的な発射速度として、毎分14発を高仰角で放つことが目標とされました。
速射性に大きくかかわるのが装填速度です。
これまでは弾丸と薬嚢を別々に装填する方式だったため、これを改めて弾薬包とすることは絶対でした。
また尾栓も閉まる速度が早い横鎖栓式を採用し、これで最速で毎分14発を達成しました。
速射性を高めるには装填手への負担も軽減しなければなりません。
弾薬包は15cm副砲を14cm砲に改めたのと同様に軽量化がすすめられ、34kgとなりました。
装填は半自動装填としたため、装填手は今までの12.7cm砲に比べると格段に仕事が楽になりました。
また高角砲そのものも軽くしないと目標への指向が遅れますから、ここも徹底されました。
そして革新的だったのが信管秒時調定器の開発でした。
初めて弾丸に時限信管が付けられることになったのですが、その爆発までの時間を設定する装置がなければ意味がありません。
信管の設定はコンマ何秒の世界なので、ちょっとの誤差を妥協してしまうと命中しない限り被害を与えることができません。
この開発が一番困難だったようで、製造が容易だったために砲だけはどんどん完成していく中、調定器だけは製造が遅れたので出来上がり次第工員が取り付けに走ったようです。
最終的な12.7cm連装高角砲の性能は以下の通りです。
項目/種類 | 40口径12.7cm連装高角砲 |
初 速 | |
膅 圧 | |
発射速度 | |
最大射程 | |
最大高度 | |
砲身寿命 | |
旋回速度 | |
俯仰速度 |
昭和6年/1934年に12.7cm高角砲は完成し、量産しやすかったこともあって順調に製造が進み、また並行して改良もされていきました。
その中で「丁型」には連装高角砲A2型およびB1型が搭載されました。
「丁型」の初期の艦には量産型のA2型が多く、やがて動力が10kwから15kwに増強されたB1型に切り替えられていきます。
本来ならこれに加えて高射装置を備えたB2型があるためにそれを採用したいところなのですが、九四式高射装置は「乙型」ですら2基搭載の計画が現実では1基で精一杯だったことから「丁型」に搭載されることはなく、四式射撃装置で補っています。
一方で前部に搭載された単装砲は、「丁型」製造に伴って初めて開発された兵器です。
単装砲架はB1型改四と分類されていますが、どうやらそれ以外の単装砲は存在しないのか資料がないのかもわかりません。
艦橋前にあるということで波をもろに被りますから、波除け用の楯の強度が強くされています。
同時に波をかぶりにくいように乾舷も高めに取られています(輸送時は通常より重くなり乾舷が低くなることも考慮に入れています)。
ちなみに前部が1門、後部が2門なのは、前に重い物が集中してしまうとバランスが崩れることと、射角を広く取れる方に数を割り振りたいという思惑のもので、これは長らく駆逐艦で採用されている配置です。
出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ
機銃はH案では25mm三連装機銃4基12挺という計画でした。
しかし計画が進むにつれて徐々に増えていき、ひとまずの最終案としては三連装4基に加えて単装機銃が8基の合計20挺となっています。
ひとまずと言ったのは、これはあくまで書類上のものであって、この後各艦は全くまとまりのない独自の数、独自の配置で機銃がどんどん増備されています。
スペースがないので増備のほとんどが単装機銃でした。
「丁型」の敵は空ばかりではありません。
船団を守るためには潜水艦を対峙することも同じぐらい重要です。
ここも機銃と同じく当初の計画より強化されています。
爆雷の数は36個で変わりありませんでしたが、九四式爆雷投射機2基と爆雷投下軌条が2基となり、投下装置が倍になっています。
やがて爆雷の数も60個に増やされていて、九三式水中聴音機や九三式水中探信儀も含めると当時の日本艦としては十分な対潜装備を誇っていました。
ですが水中聴音機も水中探信儀も性能としてはかなり貧弱で、自分のスクリューや機関の音が騒音となって肝心の潜水艦の音を捉えることができず、兵器に集中するとなるとかなりの低速でゆっくりウロウロするしかないという難儀なものでした。
対空対潜ときましたが、「丁型」には戦訓を踏まえた役割がもう一つあります。
それは輸送です。
「丁型」は船団護衛や哨戒のために急造されたわけですが、そうなると輸送そのものにも直接関与したいわけです。
小柄な「丁型」ですが艦載艇は変わらず4つ搭載されており、2つは6メートルカッター、そしてもう2つは【小発動艇】でした。
さすがに上陸用舟艇としてメジャーだった【大発動艇】(約15m)は大きすぎて搭載できなかったのですが、ちょうど上陸用舟艇は【大発】に一本化するタイミングと重なったために【小発】の調達は簡単でした。
【小発】は10.7m、これまでの駆逐艦の内火艇は7.5m~9mが採用されていたので、10.7mは結構大型ではありますが、魚雷は1基ですし次発装填装置もない「丁型」ではスペースも確保できました。
その魚雷、「丁型」にとって唯一と言っていい対艦兵器ですが、計画通りでは唯一の53cm六連装魚雷発射管搭載艦になるはずでした。
ところが1番艦の【松】完成の直前になって、「53cmじゃ射程も威力もしょっぱいからダメ」とちゃぶ台をひっくり返されてしまい、結局ド定番の61cm四連装魚雷発射管に変更になりました(直前かどうかは個人的には疑問)。
確かに八九式53cm魚雷のと九三式61cm魚雷の威力の差は雲泥の差です。
項目/種類 | 八九式53cm魚雷 | 九三式61cm魚雷 |
雷速・射程 | ||
炸薬量 | ||
その他 |
アメリカの一般的な魚雷だったMk14(潜水艦用)、Mk15(水上艦用) 53.3cm魚雷でも日本は大被害を多数受けてますから、53cm魚雷が弱いかと言われると必ずしもそうじゃないのですが(アメリカの魚雷にはトーペックスやHBX爆薬などが採用されている)、魚雷に関しては「ルンガ沖夜戦」などで重巡を食った実績もあるから差し替えられたのでしょう。
ただこの変更は【竹】の大金星がありますから、結果だけ見れば成功だったかもしれません。
以上の内容で、「丁型」の建造ははじまりました。
工期の目標は6ヶ月。
艦隊型駆逐艦に比べると明らかに性能が劣りますが、どちらかというとでかい海防艦のような存在だったため、同列で比較するのはナンセンスです。
【松】の竣工は昭和19年/1944年4月と遅きに失した感は否めませんが、終戦までの1年4ヶ月の間、「丁型」と後期型の「改丁型(橘型)」は量産され、そして次々と投入されていきました。
出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』