【逆コース】とは、日本の民主化・非軍事化を進めていたGHQが、その思惑から逆行した動きに対して使われる言葉である。
終戦後、GHQ占領下にあった日本だが、軍隊のない民主主義国家としての再生を目指していたGHQの方針により、軍国主義・反民主主義を除いた思想や政治的自由が尊重されていた。
(軍国主義や反民主主義勢力、戦争を正当化した者などは排除されている。)
しかし終戦後に徐々に明るみになったのは、戦争で覆い隠されていた民主主義国家と共産主義国家の対立である。
もともとこの2つの思想は相容れるものではなく、共通の敵が倒れると次第に次の対立軸として表面化してくるようになる。
そんな中、日本国内でももともと存在していた日本共産党及び共産主義者の声が強くなりつつあった。
特に終戦直後は職を探すのも精一杯で、たとえ職にありつけても低賃金ばかりであった。
この荒れ果てた現状に対して労働組合などによる労働争議が多発したが、その勢力が拡大し、やがて日本共産党が先頭に立って内閣の打倒や共産化を目指した運動に変化していった。
一方GHQは、国内の共産化の動きと、やはり世界で勢力を拡大し続けるソ連・中国を始めとした共産主義国家の存在に危機感を覚えていた。
特に日本は隣国にこの二国が存在し、このまま日本が共産主義国化してしまうと、極東におけるアメリカの立場は大いに失墜することになる。
この流れを食い止めるべく、アメリカは日本を共産主義の防波堤にする必要性に駆られた。
この国内外の急激な変化に対し、GHQは当初掲げた民主化に逆行する行動を取る。
1947年2月1日、日本共産党主導で行われるはずだった大規模なストライキを、GHQが中止させたのだ。
このストライキを【二・一ゼネスト】と呼ぶ。
GHQは官庁や公務員などが無期限ストに入ると宣言していたこのストライキを容認すると、国のインフラは完全に麻痺し、さらに共産主義の潮流に内閣が飲み込まれてしまうと判断した。
労働運動は認められつつも、GHQの意思に背く行為、または共産主義化が想定される運動は許されない、という立場が明確になった【二・一ゼネスト】の中止命令は、当初自らが掲げた民主化を一部否定する行為として、【逆コース】と呼ばれるようになった。
さらに1950年には「朝鮮戦争」が勃発し、非軍事化の目論見も、駐留アメリカ軍の朝鮮派兵によって潰えてしまう。
GHQは日本に急遽日本を守護する者として警察予備隊の発足を命令する。
それはやがて現在の自衛隊につながる。
「軍」という存在ではないものの、実質的な軍事力であることは現在の日本を見ても明白である。
【逆コース】と呼ばれる行為は【二・一ゼネスト】だけではなく、共産主義の壁とすべく占領直後に公職追放されたものの処分を解除したり、逆に共産党員や共産主義者を解雇・排除した【レッドパージ】など、何度も行われている。
結局GHQが行ったことは、民主化はなく、あくまで民主主義国化であった。
民主主義国以外の思想は、抱くことは許されても国に影響を与えることは許されなかった。