【日米安全保障条約】とは、1951年9月8日、【サンフランシスコ講和条約】と同時に日米間で結ばれた二国間条約のこと。
正式名称は【日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約】で、いわゆる旧日米安保条約である。
現行の「日米安全保障条約」は、1960年に結ばれた「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)」であり、旧安保は新安保発効に伴い失効となった。
共産圏の拡張と警察予備隊の発足から見えるように、1950年代から日本の武力整備は喫緊の課題となっていた。
しかし日本の再軍備化は連合国の本意の真逆に位置することで、アメリカは日本に軍を持たすことなく日本を守る手段を模索していた。
そんな中、日本は【サンフランシスコ講和条約】を各国と結ぶことになり、その準備が進められていた。
この条約を結べば日本は主権を回復することになり、通常ならばアメリカ軍を含めた占領軍は撤退し、日本は警察予備隊を中心として自衛力を高めていくことになる。
しかし「朝鮮戦争」がすぐそばで行われている中、他国に比べても明らかに見劣りする警察予備隊程度で東側諸国の勢力に対抗できるとは思えなかった。
そこで日本とアメリカは、講和条約締結後もアメリカ軍を駐留させる条約を結ぶことにした。
アメリカはソ連・中国・北朝鮮という共産圏が集中する地域の防波堤として活用しようとしていた日本から、引き続き自軍の力で監視することができ、日本も膨大な予算計上と反発が起こるであろう武力増強を回避することができるため、お互いにメリットがあった。
しかしアメリカ軍の日本駐留継続という事態にも大きな反発があり、国会では【サンフランシスコ講和条約】の全面講和派VS単独講和派の対立以上に荒れる議題となった。
アメリカによる日本防衛の義務がないことや、日本国内で警察予備隊では対処できない内乱が発生した際に駐留アメリカ軍が出動するという点が大きな火種となった。
吉田茂総理はこの反対を押し切る形で、【サンフランシスコ講和条約】と同時に【旧安保】を締結している。
しかし不満はなおもくすぶり続け、1960年にはアメリカによる日本防衛義務の明記と、内乱に関する記述を削除した「新安保」が締結された。
しかし今度は日米共同防衛という、日本がアメリカの戦争に巻き込まれるという恐れから国民を巻き込んだ「安保闘争」が勃発する。