基準排水量 | 1,635t |
水中排水量 | 2,300t |
一番艦竣工日 | 伊号第六十一潜水艦 |
昭和4年/1929年4月6日 | |
同型艦 | 3隻 |
全 長 | 97.70m |
最大幅 | 7.80m |
主 機 | ラ式2号ディーゼル 2基2軸 |
最大速度 | 水上 20.0ノット |
水中 8.5ノット | |
航続距離 | 水上 10ノット:10,800海里 |
水中 3ノット:60海里 | |
馬 力 | 水上 6,000馬力 |
水中 1,800馬力 |
装 備 一 覧
備 砲 | 45口径12cm単装砲 1基1門 |
7.7mm機銃 1挺 | |
魚雷/その他兵装 | 艦首:53cm魚雷発射管 4門 |
艦尾:53cm魚雷発射管 2門 | |
搭載魚雷 14本 | |
Kチューブ(水中聴音機) |
ディーゼル機関の新機軸 そして艦本式へ 海大四型
「八六、八八艦隊計画」で決められた艦隊型潜水艦配備の第一計画数は12隻。
「海大三型」が9隻、そして残り3隻が次の「海大四型」になります。
「海大四型」と「海大三型」の違いは、艦の肝となる機関の変更です。
これまでスイスのズルツァー社が用意するズルツァー式ディーゼルでしたが、ここで日本は「伊一型潜水艦(巡潜一型)」で初めて採用されて好評を得た、ドイツのラウシェンバッハ式ディーゼルへと交換することにしたのです。
馬力は減りましたがズルツァー式よりも安定度があり、水中速度が0.5ノットですが速くなっています。
機関交換に加え、耐圧強度増大のために船体構造の改良(小型化)が施されました。
しかしそのため艦首6門の魚雷発射管が4門に減少し、攻撃重視の帝国海軍にあって珍しく攻撃力の減少を容認しています。
そしてこのラ号ディーゼルは、やがて日本独自の艦本式ディーゼルの開発へと繋がっていくのです。
3隻の所属のうち、【伊61】が開戦前の昭和16年/1941年10月2日に【特設砲艦 木曾丸】と衝突して沈没しています。
そのため、開戦当初は「伊六十一型潜水艦」という呼ばれ方だったものの、ネームシップが消失したために旧型艦の名称変更に伴って「伊百六十二型潜水艦」へ変更になっています。
同 型 艦
伊号第六十一潜水艦 | 伊号第百六十二潜水艦 | 伊号第百六十四潜水艦 |