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【呂十一型潜水艦】(海中一型)

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基準排水量 720t
水中排水量 1,030t
一番艦竣工日 呂号第十一潜水艦
大正8年/1919年7月31日
同型艦 2隻
全 長 69.19m
最大幅 6.35m
主 機 ズルツァー式2号ディーゼル 2基2軸
最大速度 水上 18.2ノット
水中 9.1ノット
航続距離 水上 10ノット:4,000海里
水中 4ノット:85海里
馬 力 水上 2,600馬力
水中 1,200馬力

装 備 一 覧

備 砲 28口径7.6cm単装高角砲 1基1門
魚雷/その他兵装 艦首:45cm魚雷発射管 4門
舷側:45cm魚雷発射管 2門
搭載魚雷 10本
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初めて日本で設計、建造された海中型 模倣から独立への第一歩

引き続きイタリアフィアット社製の「F一型」で海外潜水艦の技術を取り入れる一方で、日本もついに本格的な日本式潜水艦の建造の一歩を踏み出します。
初めて日本が独自に設計、建造した潜水艦は「波六型」でしたが、これはあくまで海外製潜水艦との比較用での建造でした。
結果、川崎造船所で造られた「波六号」はすでに輸入されていた「C一型、C二型」に比べると速度や航続距離で劣っており、まだまだ欧米には遠く及ばないことを思い知らされます。

続いて日本はフランスのシュナイダー(シュネデール)社製の「波九型(S型)」を2隻導入します。
この2隻、【波9】は日本で建造、【波10】はフランス建造のものを輸入していますが、実は竣工が3年も異なります。
【波10】は大正6年/1917年に竣工しているのに対し、日本建造の【波9】はそれが到着してからの起工だったために竣工は大正9年/1920年となっています。
第一次世界大戦勃発によってこの潜水艦のうち1隻はフランス海軍に引き渡すことになったため、幸か不幸か【波9】が日本建造となったのです。

この「S型」最大の特徴は複殻式船殻と呼ばれる構造で、これまで単殻式、つまり簡単に言えば一枚の鋼材で船体が覆われていたものを、二重構造にしたものです。
外殻は非耐圧構造、内殻は耐圧構造となっていて、この外殻と内殻の間をメインタンクとした画期的な構造はメリットだらけでした。
ただし大部分が複殻ではありますが、底部は露出しており完全複殻ではありません。[1-P225]

まず、外殻は非耐圧でも、潜航中そのタンク内には海水が入っています。
海中とタンク内の水圧が同じですから圧壊することはなく、内殻部が耐圧構造ならば問題がありません。
そして内殻内の音はメインタンクの海水と外殻を挟んで外に出ていきますから、これまでの単殻構造に比べるとかなり音漏れを防ぐことができます。
さらには配置箇所の構造上予備浮力が増大し、これは水上速度や航続距離の向上にも役立っています。
もちろん二重構造ですから外からの衝撃を軽減できるメリットもあり、また中のタンクが外に出たことから艦内のスペースも広がるなど、いいこと尽くしでした。
もちろん船体は大きく、構造も少し複雑にはなりますが、その分安定性も良くなるのでここは一長一短です。

ただし、現在は複殻式が多く採用されるようになったことから、逆に二重構造をやめることでより部分的なスペースの拡大というメリットもあったりします。
何と比較するかの基準の問題です。

「S型」は他にも危険なガソリンエンジンからの脱却を狙って、珍しく石油機関(灯油燃料)を搭載しています。
ですが被害を受けたときの爆発力はガソリンより抑えられる一方で、灯油燃料による燃焼効率が悪いことから、結局その後すぐに時代はディーゼル機関へと移行していきました。

さて、「S型」の経験を持って、いよいよ日本の潜水艦「海中型」の設計が始まります。
もちろん「海中型」はのちの「海大型」誕生を踏まえての言葉です。
全体的には「S型」の設計を踏襲していて、独自色は薄いものの、初の潜水艇が日本にやってきてから12年、ようやく日本の潜水艦史が本格的に動き出した瞬間でした。
機関は石油機関だった「S型」からドイツのズルツァー社製のディーゼルへと変更され、「S型」の数少ない問題点の解消も図っています。
石油機関は速度も遅かったため、このズルツァー式によって水上速度は17.0ノットから18.2ノットへ、航続距離は10ノット:2,050海里から10ノット:4,000海里へと大きく向上します。
特に速度に関しては過負荷公試で19ノットをたたき出し、これは複殻構造の利点を存分に発揮しただけではなく、当時の世界記録でもありました。[1-P225]

しかしディーゼル機関はかのドイツでもまだ安定性の高い物を供給するのが困難でした。
「F一、二型」同様「海中一型」もまた、船そのものは初の潜水艦設計、建造という面を踏まえると大変な成功でしたが、運用できるかといわれるとこのディーゼルのおかげでまたも不合格の烙印を押さざるを得なくなっています。
大正10年/1921年の南方長期機動訓練では【呂11、呂12】ともに落伍しており、「海中一型」は残念ながら意義はあっても戦力とはなれない存在となってしまいます。

なお、変わった構造としては「海中型」「四型」を除いて艦外にも魚雷発射管が両舷側1門ずつ装備されています。

同 型 艦

呂号第十一潜水艦 呂号第十二潜水艦

参照資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]軍艦開発物語 著:福田烈 他 光人社

潜水艦
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※1 当HPは全て敬称略としております。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
勝手ながら本HPの参考文献、引用文献はすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。