噴式戦闘爆撃機 『橘花』/中島 Kikka

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試製「橘花改」
全 長9.25m
全 幅10.00m
全 高
主翼面積13.20㎡
自 重2,400kg
航続距離2,055km
発動機
推進力
軸流式ターボジェットエンジン「ネ20」(空技廠)
最大475kg?
最大速度677km/h
武 装30mm機関砲 2門(翼内)
500kgまたは800kg爆弾 1発
符 号
連 コードネーム
製 造中島飛行機
設計者松村健一

(本項では全面的に「橘花改」を紹介する内容となります)

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技術の宝庫ドイツから、夢のエンジンを手に入れろ

(第1項は「秋水」と同じ内容です。)

昭和19年/1944年、日本はアリューシャン諸島を奪い返され、南方諸島も次々と失陥。
6月には「マリアナ沖海戦」において日本の救世主として期待された【大鳳】を始め、【翔鶴】【飛鷹】を失った挙句敵に痛打を与えることすらできずに大敗北。
航空戦だった太平洋戦争において、主力の空母を3隻失った「マリアナ沖海戦」の勝敗は戦争そのものの勝敗と直結していました。

なりふり構っていられない状況の中、日本には遠くヨーロッパで戦う同盟国のドイツよりやってくる2隻の潜水艦を今か今かと待ちわびていました。
「遣独潜水艦作戦」、中国を始めとした大陸ルートが軒並み連合国側だったため、技術や物資供与はこの潜水艦の往来しか方法がなく、アフリカ大陸の喜望峰を経由した数ヶ月の旅が頼みの綱でした。
そして今回の「遣独潜水艦作戦」には、アメリカの度肝を抜く最終兵器につながる最重要機密技術が関わっていました。

ドイツはヨーロッパで強国イギリス・ソ連相手に戦争を続けていましたが、その技術力は世界随一のものであることは戦前から周知の事実であり、そして第二次世界大戦においても、世界に先駆けた強力な兵器を多数投入していました。
その中に、ロケットエンジンやジェットエンジンを搭載した航空機があります。

まず、これに大多数が採用していたレシプロを加えた3つのエンジンについてものすごくザックリ説明しましょう。

1.レシプロエンジン
燃料の燃焼によるエネルギーでピストン(4ストロークが主流です)を回し、そこで得たエネルギーがクランクシャフトを通じて効率的にプロペラを回転させる方法。
燃料と空気を混ぜ、圧縮し、火をつけて燃やし、発生したガスをクランクシャフトで回転力に変換。
車のCMとかで4つのピストンが高速で動いている映像を見ることがあると思いますが、それがレシプロエンジンです。

2.ロケットエンジン
燃料と酸化剤などを掛け合わせた化学反応によって高圧ガスを発生させ、それを噴射させることで推進力を得る手法。
言葉通り、ロケットの発射に使われていて、短時間で猛烈なエネルギーを生み出すことができます。

3.ジェットエンジン
ロケットが酸化剤などの化学薬液を利用することに対し、ジェットエンジンは外部の空気=酸素と燃料を反応させて推進力に転換する手法です。
ジェットエンジンはまず自力で外部の空気を強制的に取り込む必要があり、速度が出て外気を十分取り込むことができれば、あとは燃料を燃焼させて推力に変えます。
空気をギュッと圧縮し、圧縮した空気と燃料を反応させて高圧ガスを作り、それを推進力に転換する方法です。

これまで採用されていたレシプロエンジンは、とにかくエンジンの馬力と燃料の質が重要でした。
しかしロケットエンジンとジェットエンジンは動力源が異なり、そして特にロケットエンジンは化学反応という爆発力を用いることから、想像を遥かに上回るエネルギーを生み出すことができます。
それは原子爆弾を見れば一目瞭然でしょう。

遡って昭和18年/1943年、ベルリンにいた日本大使館付きの武官たちはドイツがとんでもないロケット戦闘機を保有していることを知ります。
この技術をなんとしても日本にも取り入れるべく交渉を続け、ついに昭和19年/1944年4月、ロケット戦闘機「Me163B」とジェット戦闘機「メッサーシュミット Me262」の設計図、説明書、燃料の生成の方法などの資料を持った2隻の潜水艦が、ドイツを出発しました。
潜水艦が2隻なのは、この長い道中、確実に訪れるであろう敵の襲撃に備え、どちらか一方でも日本にたどり着ければという決意でした。
生か死か、命を賭した作戦が決行されます。

しかし先行した【呂501】は、5月16日に爆雷を受けているという通信を最後に連絡が途絶えてしまい、沈没してしまいました。
希望の炎は、4月16日に出発した【伊29】に託されます。
【伊29】は緊迫した艦内のプレッシャーに耐え抜き、日本まであと少しのシンガポールに7月26日に到着しました。

ところが日本に近いということはアメリカの警戒も強まるということ。
ここまで来たら一安心、という海域はどこにも存在しないのです。
そして7月26日、シンガポールを出発して台湾方面へ進んでいたところに、恐れていた事態が起こります。
【米ガトー級潜水艦 ソーフィッシュ】【伊29】に襲いかかり、雷撃によって【伊29】もまた、日本に到着することなく沈没してしまうのです。
ドイツの技術の結晶たるロケットエンジン・ジェットエンジンの資料とともに。

7月19日、1機の輸送機がシンガポールから日本にやってきました。
搭乗していたのは巌谷英一海軍技術中佐
ドイツから【伊29】に乗り込み、ドイツからの貴重な資料を輸送した一員です。
彼の手元には、数種類の書類がありました。

実は巌谷中佐はこの虎の子の資料を1日でも早く日本に届けるべく、数種類の書類を持って先に日本へと帰っていたのです。
【伊29】の沈没によって多くの資料は沈んでしまいましたが、この数少ない資料が、「秋水、橘花」誕生に向けた第一歩となりました。

ジェットの風は吹く前に遮られ しかし完成していれば特攻機

※以下、エンジンを「ネ20」とした「橘花改」を中心とした紹介となります。

噴式=ジェットエンジンを搭載することになる「橘花改」は、当初は戦闘爆撃機ではなく、単に対艦爆撃機として開発が始まりました。
そのため初期段階では戦闘機では欠かせない機銃が搭載されていませんでした。
搭載されていたのは500kgないし800kg爆弾1発のみ。
実際に完成したものもこの機銃を搭載しない初期型2機だけでしたが、この2機以降の製造は30mm機銃二挺が搭載された、戦闘爆撃機として開発が進んでいきます。

「橘花改」は仮称を「皇国二号兵器」と呼び、いかにこの兵器に命運を託していたかが伺えます。
(ちなみに一号兵器はどの兵器を指すのか、これが意外とわかりません。特攻兵器を表しているのでしょうか。)
「橘花改」のジェットエンジンは、レシプロに限界を感じていた日本にとっては非常に魅力的なエンジンでした。
日本の死活問題だった燃料不足とその質の悪さは、レシプロでは大きな障害でしたが、ジェットではレシプロほどの高い壁とはならなかったのです。
加えて構造も複雑なものではないし、部品数も少ない。
ノウハウゼロから始めるにはあまりに困難だったロケットエンジンに比べ、ジェットエンジンは随分期待の持てる新動力でした。

日本はこのドイツからの「メッサーシュミット Me262」がやってくる前に、海軍航空技術廠が独自に「ネ12」を研究していましたが、これがなかなか性能が上がらず、空技廠は頭を悩ませていました。
そこへ舞い込んできた「Me262」と、一緒にもたらされた小型ジェットエンジン「BMW003」の資料は、空技廠の研究が決して無駄ではないことを物語っていました。
ちなみに「Me262」に搭載されているエンジンは「Jumo004」ターボエンジンです。
「BMW003」の資料はマニュアルぐらいしかありませんでしたが、その資料と「ネ12」の研究成果を合わせて、新しく「ネ20」の開発が機体設計と同時に始まります。
「ネ12」を搭載したものを「橘花」と呼び、この新開発の「ネ20」を搭載したものを「橘花改」と呼んでいます。

一方機体の開発ですが、これは中島飛行機が受け持つことになります。
「Me163B」の機体を大いに参考にした「秋水」と違って、「橘花改」は手元にある資料の少なさや、オリジナルの「Me262」搭載の「Jumo004」の短期間での開発は無理であることから、見た目こそ「Me163B」をベースとしていますが、その中身は随分日本色が濃い、ほぼ独自設計のものとなりました。
「Jumo004」の出力は「BMW003」のほぼ倍です。
まだ「ネ12」の開発すら手こずっていた状況だったため、この判断は賢明でしょう。
一方陸軍の方は「Me262」をできるだけ忠実に再現した「キ201 火龍」の開発に取り組んでいます。

まず、「Me262」よりサイズが小型になっています。
これは搭載するエンジンが「BMW003」ベースの「ネ20」だったため、同じ大きさだと出力不足で性能が落ちてしまうためです。
翼も「Me262」は後退翼なのに対して「橘花改」はテーパー翼(横に真っ直ぐな翼)で、これも同じく出力不足から後退翼にするメリットがなかったためです。
また、翼はエンジン付近で人力で折りたためるようになっていて、これは空襲などにより機体を避難させる際にコンパクトにしなければ、壕に隠すことができないからです。

エンジンは本当なら胴体内に入れる設計にしたかったのですが、これだと製造に時間がかかりすぎるため、ここは「Me262」と同じように翼下に取り付ける形となりました。
しかし「ネ20」は出力不足が見込まれたため、離陸時の加速力を補うため補助ロケット2基が主翼と胴体の付け根付近に新たに取り付けられました。

また、前述していますがもとは対艦爆撃機だったため、艦艇からの矢のような機銃掃射に耐えうるようにそれなりの防弾装備がありました。
この性能があったのも、やがて戦闘爆撃機に切り替わっていった理由の一つでしょう。

他にも材質の変更や工程数の削減など、日本の現状に合わせた改良が随所に施されていて、最終的には双発にも関わらず「零戦」の半分の工数で製造できるようになりました。
なにせ事態は一刻を争う上、本土空襲も盛んになってきています。
明日の10機より今日の1機の時代ですから、中島の努力がうかがい知れます。

順調だった機体に比べ、難航したのはやはりエンジンでした。
いくら研究していたとは言え、「ネ12」は日本初のジェットエンジンでした。
「BMW003」の資料の少なさは如何ともしがたい上、今までのレシプロ以上の能力を発揮させるには当然高い精度が求められました。
そしてこの切迫した状況、耐熱素材の質の悪さ。
通常ならこれぐらいかかって当然なのですが、今は戦時中です、1ヶ月の遅れが致命的です。

結局「ネ20」は、昭和20年/1945年3月にようやく形にはなったものの、エンジン寿命は30~40時間ほどと推定され、さらに全力運転では15時間ほど。
数回飛んだらおしまいと言ってもいいほどの短寿命でした。

エンジンがないまま「橘花改」は身体だけの製造が始まります。
しかし製造工場も空襲によって破壊されていき、ついには農家の養蚕小屋を借りて分散して組立をしていくような状態でした。

機体は製造環境が、エンジンは構造設計が、それぞれ戦火に苛まれながらの決死の努力によって、ついに6月、ようやく試作1号機が完成しました。
「ネ20」のエンジン性能は未だに満足できるものではありませんでしたが、3月より耐久度は増しており、試験が可能なほどまでには精度を高めてきました。
6月といえば、奇しくも同じくドイツからやってきたロケットエンジンを搭載した「秋水」の試作機完成と同時期です。

試験飛行は8月7日に行われました。
しかし燃料は松根油を混ぜた質の悪い油で、いくらジェットエンジンとは言え果たしてこんな燃料でうまく飛行できるのか。
燃料は始動時は通常の燃料を使い、加速後に松根重油を混ぜた燃料に切り替える方式を取っていたとされています。
この時搭載された燃料は16分の飛行分だけで、他にも離陸用補助ロケットがない、前輪は出たままなど、軽負荷でとにかく飛ばすという目的のものでした。

期待と不安がうごめく中、快晴の下、木更津飛行場から日本初のジェットエンジンを搭載した「橘花改」が滑走路を走り出しました。
そして「橘花改」は見事離陸に成功。
たった11分ではありましたが、「橘花改」はしっかりとジェットエンジンを動力として飛行を続け、1年足らずで新しい技術を使えるようになったという成果に中島も胸をなでおろしたでしょう。

12日には前回で黙殺していた補助ロケット搭載や前輪を収めるなどの作業も行い、万全の状態で改めて飛行実験が行われます。
しかしこの補助ロケットが、1回の飛行実験でも操縦をしていた高岡迪(たかおかすすむ)少佐の勘違いを招いてしまいます。
補助ロケットは当然離陸までの補助ロケットですから、噴出する時間もごく僅かです。
ところが高岡少佐はこの補助ロケットが停止したことをエンジンそのものが停止したものと勘違い。
離陸前だったのでブレーキを掛けて離陸を抑えたのですが、ブレーキが間に合わず滑走路から飛び出して小破してしまいます。

仕方なく事故機の修復と製作中の試作2号機の手配を急がせ、改めて実験の予定が立てられました。
が、2回目の飛行実験は12日。
3日後に日本は敗北を受け入れ、太平洋戦争は終戦しました。
「橘花改」の歴史も、ここで潰えるのです。

結局「橘花改」は完成したのが2機のみ、その他機銃を搭載した機体は目下エンジンの製造中でした。
「ネ20」は改の製造計画があり、量産性も高かったジェットエンジンへの期待は高かっただけに、この終戦は技術者としては非常に悔しい結果だったでしょう。
この戦争末期にあらゆる新機軸の航空機の開発が進められたものの、やはり「橘花改」も戦場で活躍する機会はなかったのです。

なお、「橘花改」には「秋水」同様、特攻機としての運用をほのめかす証言が多数残されています。
レシプロエンジンは構造が複雑で部品も多いですが、ジェットエンジンは一度走り出せばレシプロに比べて格段の速さで量産ができます。
つまりどんどん作ってどんどん飛ばしたい特攻機に向いていたのです。
また、この時期はもう予算を得るには「特攻機として使う」といわなけれ許可が降りなかったという狂気の沙汰としか思えない証言もありました。
「花」の名が使われている理由はこれではないか、と想定されます。

ちなみに「橘花改」の性能ですが、ジェットエンジンはロケットエンジンのように短時間超爆発の動力があるわけではなく、レシプロより簡単な構造で量産ができる、というメリットが特徴です。
仕組みは基本的にはレシプロと同じですので、ジェットに変えれば劇的に速くなるのか、と言われると実はそうではありません。
速度も700km/h以下ですから、別に敵を凌駕できる速度かと言われると全然違います。

戦後、「橘花改」はアメリカに接収されます。
アメリカもジェット機の開発に取り組んでいたため、研究対象としてはうってつけだったことでしょう。
さらに1950年代からはジェット戦闘機が続々と登場し、時代はレシプロからジェットへと完全に移行。
「橘花改」の歴史は紡がれることはありませんでしたが、世界の技術発展に取り残されまいと懸命に努力した成果の一つとして今も名を残しています。