
起工日 | 大正13年/1924年6月3日 |
進水日 | 大正14年/1925年6月5日 |
竣工日 | 大正14年/1925年12月21日 |
退役日 (沈没) | 昭和16年/1941年12月11日 ウェーク島の戦い |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 1,315t |
垂線間長 | 97.54m |
全 幅 | 9.16m |
最大速度 | 37.25ノット |
馬 力 | 38,500馬力 |
主 砲 | 45口径12cm単装砲 4基4門 |
魚 雷 | 61cm三連装魚雷発射管 2基6門 |
機 銃 | 7.7mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 4基 艦本式ギアードタービン 2基2軸 |
開戦からわずか3日後に沈没 爪痕を残せなかった如月
【如月】は竣工当初は「第二十一号駆逐艦」と呼ばれ、昭和3年/1928年に【如月】と改称されます。
二度にわたる「上海事変」では、空母の護衛を務めました。
太平洋戦争では、【睦月・弥生・望月】ら第三〇駆逐隊で「ウェーク島の戦い」に参加。
開戦からわずか3日後のことでした。
ウェーク島はすでにマーシャル諸島から飛び立った「九六式陸上攻撃機」によって攻撃が仕掛けられていましたが、米軍の戦力は日本が思った以上に維持されており、日本は予想外の苦戦を強いられることになります。
当初は大発動艇を利用しての上陸作戦が予定されていましたが、荒波によって大発動艇の航行が難航。
結局艦砲射撃による攻撃へと変更されました。
【夕張】を中心とした艦艇軍は、接近しながら砲撃を繰り出します。
しかし米軍は、日本が砲台の射程に入りきるまで一切反撃をしませんでした。
間合いに入ったことを確認すると、米軍はすかさず砲撃を開始。
日本は想定外の反撃に慌て、途端に混乱します。
片舷斉射を試みた【疾風】が、晒した船体に砲弾を浴びて沈没、日本はやむなく撤退を決定します。
しかし海上には投げ出されたままの大発がまだ残っており、回避しようにもその大発が邪魔になってしまいます。
さらには全滅したと思われていた「F4F ワイルドキャット」4機による攻撃も加わります。
やがて陸と空からの攻撃に【如月】が悲鳴をあげ、最後には投下された爆弾によって【如月】は酷く損傷します。
その爆弾は魚雷もしくは爆薬にも誘爆し、艦橋と2番煙突の半分、そしてマストが吹き飛ばされる大爆発を起こします。
【如月】は船体が二つに割れ、まもなく沈没していきました。
【疾風】に続き、帝国海軍2番目、そして「睦月型」初の喪失となりました。
このまさかの敗北によって、日本は次の戦いでは真珠湾攻撃から帰ってきた【蒼龍・飛龍】を投入し、一気に畳み掛けます。
それでも戦死者は米軍の4倍と、非常に被害の大きな戦いでした。
なお、【疾風・如月】や、のちの【東雲】の沈没を受け、日本は誘爆の危険性が高かった八八式爆薬の使用を中止し、新式爆薬へと交換していくことになります。